2021年03月

【STEP INFO】

いよいよ春ですか?
春が来ちゃいますか?
皆さんのところには春が来ましたか?
でも花粉ちゃんも一緒に来ちゃうんですよね。。。うちの後輩も見てて可哀想で。。

そう言えば新年度、完全自炊にする為に今野菜炒めと鍋を作りまくっています。
まずは焼く・煮るが基本だと弊社のスタッフに強く言われ、
毎日野菜を焼く、野菜を煮るを繰り返しております。おかげで少し体重減りました^ ^

皆さんも新年度なにかに挑戦されている事は有りますか?

さて、それでは今月のメールマガジンスタートです!

 

(柏原)

【Shop in Azabu】FRIJOLES 麻布十番

3/14、早くも開花宣言した東京ですが、
まだまだ気軽に外食出来る状況にありません。

麻布スタジオから歩いて5分、
さくっと手軽にテイクアウトできるお店をご紹介したいと思います。

 

「FRIJOLES 麻布十番店」

ふりじょるず……ではなく、スペイン語でフリホーレスと読むそうです。
フリホーレスとは豆を塩茹でしたもののことで、メキシコでは定番料理。

今回はフリホーレスの看板メニュー、「ブリトー」と「タコス」をご紹介します。

オーダーはいたってシンプル。
下記に沿って好きなものをオーダーします。

 

「ブリトー」1000円(税抜)

炭水化物ダイエットをしている方は、お米抜きにして野菜を多めにする事も可能!
チキンかビーフ、どちらか選べない~!なんて時も、
ハーフアンドハーフという欲張りコースでOK!

個人的にはアボカドのワカモーレを追加がおすすめです!

 

 

続いての人気メニューは

「タコス」1000円(税抜)

辛い物がお好きな方はレッドアルボルというサルサのトッピングに挑戦してみてください。

 

何より、直ぐにオーダーできるので、お忙しい方でも大丈夫!
自分好みにカスタマイズできるので、気分に合わせて色々な味を楽しんでみてください。

 

 

店名:「FRIJOLES 麻布十番店」

所在地:東京都港区麻布十番2-3-5

TEL:03-6459-4095 / FAX:03-6459-4096 営業時間:10:00~21:00

(山中)

【MUSIC】ペリー&キングスレイ

メディアコミュニケーション部の仲川です。
先月2月22日、
フランスのダフト・パンクが解散を発表したというニュースが飛び込んできました。

近未来的なマスクやサウンドプロダクションなど
彼らは多くを語らず、聴き手に委ねる余白を残していましたが
常にまっすぐな筋が通っていました。

この解散の発表の仕方も

個人的には 山口百恵さんの引退(リアルタイムではありませんが…笑)と肩を並べる
引き際の美学を感じました。

余談になりますが、

引き際 心のベスト 10 第 1 位は「千代の富士の引退会見」です。
あのウルフが涙をこらえながら絞り出した「体力の限界です」。
その人の魂がにじみ出る瞬間ってたまらなく惹きつけられるのです。
皆さんが惹きつけられた引き際 第1位は何ですか?

さて話を戻して、20 世紀末、ダフト・パンクの登場によって
21 世紀のはじまりはフレンチエレクトロが世界を席巻しました。
フランスのダンスミュージックは
もともとシンセサイザーを多用したエレポップが盛んで
テクノ・ポップからフレンチハウスを経由して
ダフト・パンク以降のフレンチエレクトロへとつながっていくんですね。
そのシンセサイザーを含む電子音楽の先駆者だったのが
フランスパリ出身の「ジャン=ジャック・ペリー」です。
彼はドイツ生まれの「ガーション・キングスレイ」と
「ペリー&キングスレイ」というユニットを 1965 年ごろに結成し
ポップサウンドに昇華した電子音楽を世に放ちます。
その中には皆さんもよーく知っている音もあるんです。

「Baroque Hoedown」

この曲を気に入ったディズニーが、
1970 年代に この曲をテーマにスタートさせたのが、エレクトリカルパレードだったんですね。

ぜひダフトパンクをきっかけに フランスのダンスミュージックや
ペリー&キングスレイのような電子音楽に遡ってください!
まだまだ楽しい発見がたくさんあります。

 

(仲川)

【I love NY】「月刊紐育音楽通信 March 2021」

(本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています)

Sam Kawa(サム・カワ) 1980年代より自分自身の音楽活動と共に、音楽教則ソフトの企画・制作、音楽アーティストのマネージメント、音楽&映像プロダクションの企画・制作並びにコーディネーション、音楽分野の連載コラムやインタビュー記事の執筆などに携わる。 2008年からはゴスペル教会のチャーチ・ミュージシャン(サックス)/音楽監督も務めると共に、メタル・ベーシストとしても活動中。 最も敬愛する音楽はJ.S.バッハ。ヴィーガンであり動物愛護運動活動家でもある。

          

 

 

 私には長年の友/コンパニオン(同伴者)である小犬がいます。彼は大の恐がり屋で怯えやすく、とても繊細というか非常に神経質で気難しく、他の人間はもちろん、他の犬にも決して馴染めないのが悩みの種です。

 それは彼が虐待されていた家庭から引き取られた犬であること、それが故に私が過保護に育てすぎたことが原因で、私自身も反省していますが、やはり犬にもそれぞれ持って生まれ、そして育った環境によって形成された個性・特性というものがあります。

 公園などを散歩していて、他の犬が親しげに近づいてきても吠えてしまいますので、ドッグランなどはもっての外ですし、常に人気(ひとけ)というか犬気?の無い場所を歩かねばなりません。ヴェテリナリー(獣医)でも待合室で他の犬と一緒に待つことができないので、いつも外で待たねばなりません。グルーミングも暴れて怪我をした経験があるので、いつも自分で彼のグルーミングをしています。

 アメリカでもニューヨークは特に犬を飼う人が多く、犬のオーナー達は犬同士を遊ばせ、オーナー同士もコミュニケートすることを好みますし、犬も人間同様、ソーシャル(社交的)であることが、良い犬の目安・評価になっていると言えます。

 ニューヨーク市でも犬は外ではリーシュ(リード)を付けることが義務づけられていますが、実際には公園内だけでなくストリートでもリーシュ無しの犬を良く見かけます。それは、その犬が“ソーシャル”で決して他人に危害を加えないということを証明(というか公言)しているわけですが、そんな犬が近づいてきたら私の友/コンパニオンはたちまちパニックしてしまいます。

 よって、世間から見れば私の友/コンパニオンは完全な落伍者(落伍犬)であり、私自身も犬をしつけられないダメな人間という烙印を押されがちです。

 そんな彼と私を心配し、友人の何人かは犬の矯正トレーニング・コースやセラピー施設・病院などを勧めますが、私はそれが正しい解決法だとは思っていません。

 「そもそも犬はソーシャルな動物なんだから」とも良く言われますが、私はそれも正しいとは思っていません。

 どんな犬にも唯一無二の個性・特性があり、それを“矯正”するというのは簡単なことではありませんし、果たしてそれがその犬にとって必要なことなのか、結果的に幸せにつながるのかは、非常に判断が難しいところです。

 これは人間でも同じ事です。自閉症やADHD、躁鬱気質や分裂気質、自律神経失調症(という病名は実はアメリカではほとんど使われることがありません)、果ては同性愛まで矯正するというセラピストやドクターがアメリカにはたくさんいます。

 しかし、先天的な問題や育った環境によってもたらさえるその人の性格・特質を、罪を犯した犯罪者を更生させるがごとく矯正しようという発想(先天的な問題すらも“罪”と解釈する人達もいますが)は正しいと言えるのでしょうか。

 それが他人に危害を加えることにならなくても、社会に適用できるべく矯正することは必要なのでしょうか。

 理想論かもしれませんが、“世間に歓迎されない”性格・性質を排除して矯正するのではなく、周囲がその“違い”を寛容に受け入れることが大切だと私は思っています。

 世の中は相変わらず人種差別や宗教差別、職業差別、そして最近はコロナ差別などもはびこり、“違い”を理解できない、受け入れられない人々が、“違い”を持つ人々を傷つけ続けています。

 そうした傷というのは、怪我や病気で受けた傷よりも何倍も重い、ということを傷つける人達は理解できないようです。

 私の友/コンパニオンである彼は、私と二人でいれば、外にいるときとは信じられないほど落ち着いて、物静かで、のんびりとくつろいでいます。そんな彼に「犬はもっとソーシャルな動物なんだよ」などと言うことは私にはできません。

 

 

 

トピック:暴かれるアメリカの音楽史~ビリー・ホリデイという存在

 

 またまた古い話から始まることをご勘弁下さい。それは私がまだ小学生の頃。当時私はモータウン、特にスープリームスとジャクソン5が大好きで、ダイアナ・ロスが憧れの女神であったのですが、そんな彼女が1970年にソロ活動をスタートさせて2年ほどが経ち、遂に映画デビューを果たすことになりました。何でもビリー・ホリデイという偉大なジャズ・シンガーの役を演じるというのです。

 当時、この「ビリー・ホリデイ物語」という映画は日本では公開されず、私は2枚組のサントラ盤を買って聞きましたが、これがジャズか…という程度で、ダイアナの魅力はあまり感じられませんでした。

 

  しかし、この映画はアメリカではヒットして大変話題になりました。そのサントラ盤は彼女にとって初の全米チャート・ナンバー・ワン・アルバムとなりましたし、受賞は逃しましたがアカデミー賞の主演女優賞にもノミネートされました。

 既にビリー・ホリデイの死から10年以上が経っていましたが、この映画とサントラ盤によって、ダイアナだけではなく、ビリー・ホリデイの人気も再燃したと言われています。

 

 そんなわけで、私はその映画を機にビリー・ホリデイ本人の歌にも接するようになりました。しかし、これも何度聴いても今ひとつ。気だるい、暗い、覇気が無い…。

 しかし、「奇妙な果実(Strange Fruit)」という奇妙な曲名が気になりました。

 

 70年代当時から、ビリー・ホリデイという存在の大きさは圧倒的であったと言えます。特にフランク・シナトラやジャニス・ジョップリン、バーバラ・ストライザンドなどがビリーを大絶賛し、また多大な影響を受けていたということは、ジャズに限らない幅広い音楽分野にまで彼女の存在を知らしめることになったと言えます。

 

 ビリーはエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンといった、ビリーよりも少し若いシンガー達と共にジャズ・ボーカルの頂点とも評されてきましたが、彼女の歌はあまりに独特ですし、音楽としてはジャズであっても、その存在感はあまりに強烈で、一つのジャンルなどには収まりきりません。

 

 10歳の時に強姦され、何度も養護・矯正施設に入れられ、売春で稼いでいた母親と共に売春容疑でも逮捕され、酒とドラッグ漬けの毎日となり、何人もの男達に利用され続け、同性愛にもひたり、ドラッグによって度々逮捕されては復帰し、最後は声も出ず、歌詞も覚えられず、酒とドラッグによる合併症で世を去る…という、あまりに悲惨で壮絶で波乱に満ちた人生を歩んだということは、これまでもよく知られています。

 

 そんなビリーの映像作品は、ドキュメンタリー作品を除くと、前述のダイアナ・ロスによる映画化と、2014年にオン・ブロードウェイに登場したミュージカル作品「Lady Day at Emerson’s Bar & Grill」というトニー賞受賞作品があります。

 どちらもそれぞれに見応えのある素晴らしい作品であったと言えますが、先日、新たな解釈と問題提起を試みた、センセーショナルなビリー・ホリデイの伝記映画が登場しました。

 タイトルは「The United States vs Billy Holiday」。アメリカ対ビリー・ホリデイという何とも物騒なタイトルですが、パンデミック故に劇場公開を断念し、去る2月26日からHuluで配信され始めました。

 

 ビリー・ホリデイのストーリーと言えば、扱われるテーマ/内容は、ドラッグに溺れ、葛藤・格闘するビリー・ホリデイというのが定石でもありましたし、実際にそれがこれまで世に出たビリー・ホリデイ・ストーリー全てに通じる骨子であるとも言えました。

 今回の新しい作品でもその点はしっかり扱われているのですが、それ以上にフォーカスされている最大のポイントは、前述の奇妙なタイトル、「奇妙な果実」なのです。

 

 この「奇妙な果実」という作品は、ニューヨーク在住の作詞・作曲家であったルイス・アレン(これはペン・ネームで、実はコミュニストであったユダヤ人)が当時新聞に掲載された黒人のリンチ死体の写真に衝撃を受けて作った曲とされています(今回の映画ではビリーが疑似体験または幻覚体験する形で、そのシーンが登場します)。

 歌詞を読めばおわかりになりますが、この「奇妙な果実」というのは木にぶら下がった、黒人のリンチ死体のことであり、それは人種差別に対する強烈なプロテスト・ソングというか告発曲であったわけです。

 ビリー・ホリデイは後になってこの曲を歌い始めたわけですが、その歌詞のインパクトとビリーの真に迫る歌唱によって、この曲はビリーにとって欠かせないレパートリーとなり、ビリーの代名詞のようにも扱われていきました。

 つまり、ビリーは人種差別に対する自身のステートメントまたは心の叫びとして、この曲を歌い続けたわけです。

 

 と、ここまではこれまでの世間一般の理解であり、これまでのビリーの伝記作品でも必ず取り扱われてきた事柄なわけです。

 しかし今回は、黒人のみならず白人のファンも多く持ち、強い影響力と大きな人気を有していたビリーがこの「奇妙な果実」というプロテスト・ソングを歌うことを阻止し、ビリーのドラッグ問題をネタや口実にして、ビリーの歌手生命をも破壊しようと工作したのがアメリカ政府(具体的にはFBI)であった、というのがこの映画が訴えた“告発”であると言えます。

 

 映画の中では、ビリーに近づく黒人のFBI偽装潜入捜査官(黒人)の上司として登場するのが、この告発と糾弾の矛先であるハリー・アンスリンガーというアメリカ財務省管轄である麻薬捜査・取締局のトップとして君臨した男です。

 アンスリンガーは5人の歴代大統領の下で麻薬捜査を率い、麻薬撲滅に生涯を捧げた功労者として、特に5人目となったケネディ大統領からは敬意と信頼を得たと言われています。

 しかし、彼は実は根っからの人種差別主義者で、麻薬捜査・取締の名の元に黒人に対する不当で悪質な弾圧を行っていた、というのが、黒人女性として初めてピューリッツァー賞のドラマ部門を受賞したスーザン=ロリ・パークスによる今回の脚本の基盤となっています。

 

 アメリカ司法省の捜査局は、ビリーが「奇妙な果実」を歌い始める数年前の1935年にFBI(アメリカ連邦捜査局)に改称されましたが、FBI初代長官のエドガー・フーヴァーは、司法省の捜査局時代から数えると、約48年間も国家捜査機関のトップに君臨していました。

 フーヴァーは特にFBI長官になって以降その権力を乱用し、公然と不正な捜査を強行していました。マフィアからは賄賂を受け、歴代大統領を脅迫するにまで至り、しかも悪質な人種差別主義者として有色人種を毛嫌いし、キング牧師やマルコムXの暗殺をも仕組んでいたという疑惑が、死後、様々な証言や書籍・映画などによっても明らかになっています。

 そのフーヴァーの下で麻薬捜査を率いていたアンスリンガーが、麻薬捜査の名の下にビリー・ホリデイを徹底的にマークし、弾圧し、死に追いやった、という解釈であるわけですから、これは最近のアメリカで特に問題視されているシステミック・レイシズム(組織的な差別)の最悪のパターンと言える国家レベルでの差別・弾圧を告発した映画でもあると言えるわけです。

 

 そんな衝撃的な内容の作品である「The United States vs Billy Holiday」ですが、脚本のパークスが書き上げ、ディレクターのリー・ダニエルズが描き出す世界を、リアリティ感たっぷりに表現・体現しているのが、今回ビリーを演じたアンドラ・デイの正に体当たりで鬼気迫る演技と歌であると言えます。

 彼女はスティーヴィー・ワンダーに認められたというエピソードもあって、シンガーとしては既に誰からもその実力を認めてられていると言えますが、今回の場合は、ビリー・ホリデイを彷彿させるどころか、ビリーそのものではないかと思わせるような歌いっぷりが感動を超えて驚愕であると言えます。

 声のトーンや、ヴィブラートやフレイジングなどといったテクニック的な面はもちろんのこと、ビリー・ホリデイの独壇場とも言えるジワジワと押し寄せてくる深い情感をも自分のものとしているのですから、思わず身震いするほどでもあります。

 しかも、ドラッグで身体が蝕まれて声も荒れていく様や、曲によって、またその日その時その場の状況によって変化する微妙な情感をも表現している点は見事と言うしかありません。

 

 この映画におけるアンドラの歌と演技は方々で絶賛の嵐を巻き起こしており、早速、映画公開の二日後に開催されたゴールデン・グローヴ賞では映画演技賞ドラマ部門において主演女優賞を獲得しましたし、4月25日に開催され、3月15日にはノミネーションが発表されるアカデミー賞においても、既に主演女優賞の呼び声が高くなっています。

 

 先日、オプラ・ウィンフリーによるインタビュー映像も観ましたが、オプラはアンドラもいる前で、ディレクターのリー・ダニエルズに対してジョーク交じりで「アンドラは本当にヘロインやってないの?」と尋ねて一同は爆笑していました。

 それほど、アンドラの演技はヤバすぎるほどに迫真と言えますし、何でも麻薬中毒者の映像を見たり、経験談を聞いたり、果ては注射の際の腕の縛り方なども学んだということです。更に、普通だったら絶対に断るヌード・シーンにもスタッフや出演者全てを信頼して取り組んだというのですから、彼女のド根性は実に見上げたものであると言えます。

 

 そんな見所一杯の「The United States vs Billy Holiday」ですが、この作品によって、いよいよ音楽界においても、人種偏見・差別によって偽られ、でっち上げられた歴史や隠された事実が明るみに出る動きが活発になってくると思われます。

 その衝撃はあまりに大きいと予想されますし、今後様々な歪みや問題も引き起こすと思われます。しかし、その対価を支払ってもまだ余りあるほど、有色人種、特に黒人達はこのアメリカの音楽界においても搾取され、弾圧され、都合の良いように扱われてきたわけです。

 私自身は暴露本には一切興味がありませんが、例えばこんな私でも25年以上アメリカの音楽ビジネスに身を置いてきた中で、信じられないような秘話や醜聞は山ほど聞いています。

 そういった話を暴露し、単に金や地位名声のために利用するということはあまりに醜悪ですが、その中には“知らされなければならない事実”というものも数多くあると言えます。

 今回の映画で行われた告発は、間違いなくその一つであると思いますし、音楽界、そして世の中全体のポイジティヴなリアクションにも期待していきたいと思います。