「月刊紐育音楽通信 February 2024」

本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています。

 1ドル150円。この現実をどう理解・解釈すれば良いのでしょうか。

例えばラーメン一杯20ドル。もうこれ自体が狂気の沙汰と言えるニューヨークのラーメン屋相場ですが、これを150円で円換算すれば3千円です。3千円のラーメンなんて食べたいと思われますか?

 思えばバブル全盛期の1995年4月。1ドルは80円を切るという異常事態を迎えていました。この換算レートで考えれば20ドルのラーメンは1500円台。まあ、これでも日本だと高級ラーメンでしょうが、当時のニューヨークではラーメンも10ドル以下で食べられましたから(とは言え、ラーメンを食べられる店はごく僅かでしたが)、当時は700~800円ほどであったわけです。

 実生活でのバランス感覚で考えると、円ドル換算レートというのはどのくらいが適正なのか。これはある意味ではビジネス面よりも、日本からアメリカに渡って暮らす人達にとっての物価感覚が信頼出来ると言えますが、それでも特にコロナ後、円換算する前にニューヨークの物価高はそもそも異常な状況ですから、既に比較も意味を成さない状態になっていると言えます。

 とは言え、クロワッサンやデニッシュ、マフィンなどが1個5ドル(750円)。外でランチを食べれば税金・チップを入れて平均25ドル(3700~3800円)。旅行ならいざ知らず、そんな所で生活したいなどと思ってニューヨークに来る日本人は今や極めて稀でしょう。

 これはビジネスの場においても同様です。日米間のビジネスは、ドルで報酬を得る日本側の人には割高感があって好都合ですが、円で報酬を得るアメリカ側の人には割安感どころか損失感すらあります。

 ですが、ドルで報酬を得たとしてもニューヨークで生活するとなると、そんな割高感はあっという間に消え去ります。

 例えばニューヨークの最低賃金は15ドルですが、1日8時間、週5日働いたとすると、月2400ドル稼ぐことになります。日本円にすれば36万円ですから中々とは言えますが、日々のランチに4千円近くも使っていたら生活できません。これでは、ニューヨークで仕事をしよう、勉強しようという人が少なくなるのも当然です。

 アメリカ側の人にとっては、日本は仕事をする場、具体的には手稼ぎ先とは成り得なくなっていますが、旅行先としては1ドル150円は大変魅力的です(航空運賃は高騰していますが)。

 アメリカ側のミュージシャン達にとっては、日本での仕事はドル換算してしまうと低くなりますが、日本側のミュージシャン達にとっては、アメリカでの仕事は円換算すると収入的にはこれまでよりも上がります。

 そうした中で、これは送る側にも受け取る側にも充足感があるように思えるのがアメリカ側から日本への寄付です。実は先日、能登半島地震の被害者救済支援のための寄付を行いましたが、例えば500ドル寄付したとすると円にすれば7万5000円。送る側にとっても実際よりも多く寄付した感がありますし、受け取る側にとっても嬉しいものと言えるのではないでしょうか。

 アメリカ側から見れば、日本への旅行や寄付に魅力がありますが、日本側から見れば、日本にいたままアメリカとビジネスを行いドルで支払い・報酬を得るのは悪くありません。そんなところに新たなビジネス・チャンスもあるのかもしれませんね。

トピック:カントリー音楽界は人種差別の温床なのか?

 常に人種に関する話題・問題は尽きない米音楽界ではありますが、今回は

その当事者となっているのがビヨンセであるだけに、様々な意見が飛び交い、様々な方面にまで波及する、久々に大きな“事件”となっています。

 事の起こりは、ビヨンセの新曲「TEXAS HOLD ‘EM」です。

 この曲は先日、今年のスーパー・ボウルにおいて初披露されたものですが、曲調がカントリー音楽であったことが大きな話題を呼びました。

 つまり、R&B界の新女王とも言えるビヨンセが、遂にカントリー界に進出した、というわけです。

 実はこの曲は、ビヨンセにとって初のカントリー曲というわけではなく、

2016年にリリースされた彼女の6枚目のアルバム「レモネード」に収録された「ダディ・レッスン」が、実質上のビヨンセ初のカントリー・ソングと言えました。

 当時、「ダディ・レッスン」も方々で話題・論争を巻き起こし、ファンや大方のメディアは彼女の新たなアプローチを称賛しましたが、対象的にカントリー界はほぼ無視というリアクションで、CMA(カントリー・ミュージック協会)のアワードも、グラミー賞のカントリー部門もノミネートすらないという状況でした。

 しかも、上記のCMAアワードのステージで、ビヨンセがディキシー・チックス(現ザ・チックス)とこの曲を歌った時に、一部のカントリー・ファン達がこのパフォーマンスを批判・中傷し、それに対して多数の一般音楽ファンや音楽業界、そしてニューヨーク・タイムス紙を始めとするメディアが“総攻撃”をかけ、カントリー業界やファン達が益々保守化・孤立化していく形となりました(時はドナルド・トランプが大統領に当選したトランプ旋風の真っ只中)。

 そうした伏線があったところに、今回のビヨンセのカントリー調の新曲「TEXAS HOLD ‘EM」に対して、一部のカントリー音楽業界が一層アグレッシヴな行為に出ました。

 前述のスーパー・ボウルの後、オクラホマ州のカントリー・ミュージック専門ラジオ局KYKCの番組に対して、視聴者からこの曲をオンエアしてほしいというリクエストが来たところ、「KYKCはカントリー音楽のステーションなのでビヨンセの曲は流さない」と回答して拒否し、ファンやメディから「人種差別」、「責任を取れ」と猛反発を受ける羽目になりました。

 ファンやメディアの猛反発は収まらず、結局KYKCはその決定を取り消し、今後同曲をオンエアする予定であると発表しました。

 なんともお粗末で低レベル、2020年代になってもこの状況なのかと呆れるほどの事件ですが、残念ながらカントリー音楽界においては、そうした現実がまだ残っていると言えるようです。

 因みに、このKYKCの局長は、「もし誰かがローリング・ストーンズの曲をリクエストしていたら同じように返答しただろう」などという的外れの言い訳もしていましたが、ビヨンセの新曲は誰が聴いてもカントリー調、本人自身もカントリー・ソングと自認して発表しているわけですから、詭弁にも程があります。

 KYKCの局長は、オンエア拒否については撤回したものの、そのスタンスに関しては全く改めるどころか、以前「ダディ・レッスン」を同局でオンエアした際にもリスナーから反発を受けた、とか、今回の「TEXAS HOLD ‘EM」が大手保守系TV局の番組で紹介されたことにKYKCの伝統的なリスナー達から苦情が寄せられている、などと発言し、挙げ句の果てには「どうやら我々(KYKC)は、この曲の大規模なキャンペーンのためのターゲットにされたようだ」とまで言い出す始末です。

 こうしてこの事件を見てみると、カントリー音楽界というのは人種差別の温床のようにも見えてしまいますが、実際には決してそうでないということを、私自身、カントリー音楽系の業界内で仕事をした経験の中でもしっかりと理解・認識しています。

 アーティストのみならず、レーベルやマネージメントを始めとする、所謂カントリー音楽系の業界内にも黒人のみならず、ヒスパニック系やアジア系といった有色人種は益々増えてきています。

 もちろん中には見るからに“怪しそうな”白人というのもいますが、それは別にカントリー音楽界に限らず、逆にジャズ界やヒップホップ界では白人やアジア系を嫌う黒人というのもいるものです。

 ただ、カントリー音楽というものが、白人保守派にとって最後の牙城の一つであるように認識している人達もいることは間違いありません。

 特に今回の場合は、南部の田舎のラジオ局という場所の問題と、オールド・スタイルなラジオというメディアの問題も重なっていると言えます。

 例えば南部に行くと、我々有色人種はこの場所・この店には行かない方が良い、というところは今も存在します。それらは限られたものではあるものの、そこに依存し、拠点としている層もいるわけですが、だからといってその部分をマジョリティとして考えてしまうのは非常に危険です。

 その一方で、カントリー音楽を音楽面からしっかりと見つめれば、そこには黒人の歴史・黒人音楽の歴史が深く関わっていることも知ることができます。

 カントリー音楽のルーツは、ヨーロッパ特にアイルランドの音楽(ケルト・ミュージック)からの大きな影響が見られますが、これはアメリカ大陸に新天地を求めて渡ってきた、または連れてこられた下層階級(良い言葉ではありませんが、理解していただきやすいと思いますので使います)の中でも、アイルランド系は特に大きな位置を占めているため、新大陸における彼等の労働歌・賛美歌・生活の喜怒哀楽を歌う歌として広まり、発展し、マウンテン・ミュージック、アパラチアン・ミュージックとも言われるカントリー音楽の原型を形成していったという歴史があります。

 そこにアフリカ大陸から奴隷として連れてこられたアフリカ人の音楽文化が加わり、奴隷制における白人と黒人の主従関係の中で、両者の音楽は微妙に影響を与え合っていったわけです。

 以前にもお話ししましたが、私が初めて手にした楽器はバンジョーで、初めてプレイした音楽はカントリー/ブルーグラスという音楽でしたが、バンジョーという楽器も、そもそもはアフリカ起源の楽器です。

 元々は木の実を半分に切ってくり抜いて動物の皮を張り、それに木の枝を刺して動物の腸などを弦として張り、動物の骨や牙などで弾き鳴らすというものでした。弦の下に貼ってある動物の皮が振動・共鳴するという原理は、まさに三線や三味線とも同じと言えるわけですが、それが発展・進化し、白人達の音楽にも使用されるようになっていきました。

 つまり、楽器についてもこうした混じり合う起源というものが多数存在するわけです。

 そもそも、1920年代のカントリー音楽泰明期には、黒人ミュージシャン達の楽曲・演奏が取り入れられていたことは様々な記録から明らかになっています。

 つまり、カントリー音楽における人種の融合という部分は、当初から、というよりも当初の方が慣用で顕著であったとも言われます。

 しかし、カントリー音楽の表舞台では黒人が全面に立つことはほぼありませんでした。70年代のチャーリー・プライドや90年代以降人気を獲得していったフーティー&ザ・ブロウフィッシュのダリウス・ラッカーといった例外もありますが、彼等は白人主導の業界から生み出され、白人主体のマーケットに向けて発信されていったという面も否定できません。

 そうした中では、全くカントリー音楽とは無縁と思われ、生粋のR&Bやジャズ・アーティストと見られていたレイ・チャールズやエスター・フィリップスなどが発表したカントリー・アルバムには、R&Bやジャズとカントリーの自然な接点やルーツの共有などが見られます。

 私自身はコロナが始まるまでの十数年間、ニューヨークの黒人教会でチャーチ・ミュージシャンの仕事も続けていましたが、いわゆるゴスペル音楽(本来はキリストの福音を伝え、賛美する音楽であって、音楽ジャンルを指すものではありません)の中にはジャズやブルース、R&B(最近ではヒップホップも)だけでなく、カントリー音楽の影響が色濃く残っていることを肌で感じました。

 ジャズの革命児と言われるオーネット・コールマンの相棒として、長年彼の音楽を支えたベーシストのチャーリー・ヘイデンは生粋のカントリー音楽出身のミュージシャンです。そんな彼がオーネットとプレイした時は、「カントリーと何ら変わらない、自分にとってとても自然な音楽だった」と言っていたのも印象深いと言えます。

 話は大分広がってしまいましたが、今回のビヨンセのカントリー進出(?)に対する評価は、今の状況ではまだ一筋縄では行かないことも確かです。

 彼女のカントリー音楽へのアプローチが、新たな中傷・差別、更には一層の分断・対立を生み出し、ビヨンセにとってもマイナスとなりかねないことを心配する黒人アーティスト達も多くいます。

 また、常に何かと問題提起をし続け、変革を促し続けるビヨンセですので、今回の“事件”も確信犯的な“戦略”である、と批判を向ける層もいます。

 確かに、ビヨンセのバックには“戦略家”ジェイ・Zが必ずいるわけですから、そうした面が存在することは否定できないとも言えます。

 それに対して大方のファンやメディアは、ビヨンセの新たなアプローチを歓迎し、“カントリー音楽ルネッサンスの到来”・“制度的な抑圧から解放”などと騒ぎ立てる人達も多くいます。

 ですが、正直、そうした評価や認識よりも、音楽というのはもっと素直で正直なものです。

 そもそも前述のビヨンセの「ダディ・レッスン」は、彼女のヒューストンでの生い立ちへの賛歌でもありました。つまり、彼女の中には南部のユニークな融合文化の中で生まれ育ったというバックグラウンドがあるわけで、人種的にもクレオール(フランスまたは一部スペイン、アフリカ、ネイティヴ・アメリカンを中心とした、植民地文化の中での混血)の血が流れていることは一層の多種多様性を内包しているとも言えます。

 相変わらず人種問題で論争が巻き起こるアメリカ音楽界ですが、言葉や意識・認識ではなく、もっと音楽そのものが持つ自然な伝達力によって、頭ではなく、“耳からの解放”が進んでいくことができれば、と願うばかりです。

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