【I Love NY】月刊紐育音楽通信 September 2013
(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)
ニューヨークは今、11月の市長選挙を前に候補者の様々な話題で毎日賑わっています。今回は共和党に有力な候補者がいないため、民主党候補のトップが市長当選、と目されていますが、そんな民主党候補で支持率トップを走っていたのが、当選すればNY初の女性市長でゲイ(レズビアン)市長となる現・市議会議長のクィンです。
ところが最近、二番手であった市のオンブズマン、デ・ブラシオがトップに躍り出てきました。そんな彼は最近、ブロンクスの病院閉鎖に反対する抗議行動に参加して妨害行為で逮捕されたのですが、評判が落ちる一方のNY市警が相手であるだけに、逆に市民の人気は高まっているようです。これに続くのが黒人で市の前・会計監査官であったトンプソンですが、彼は人種差別政策として悪名高い「Stop & Frisk」(NY市警による路上での呼び止め&質問・検査で、最近連邦地裁が違憲判決を下して益々論議を呼んでいます)に賛成しているため、身内の黒人支持が低いようです(私の演奏している黒人ゴスペル教会でもオバマ大統領のような支持は全くされていません)。その次がお騒がせ男の前・NY選出下院議員だったウィーナーですが、彼のお騒がせぶりは日本でも報道されているでしょうし、その素行はあまりに愚かで、ここでお話しする気にもなれません(苦笑)。さらにその次が市の現・会計監査官である中国系のリウですが、彼は「Stop & Frisk」反対派の急先鋒ですし、なんと最近マリファナの医療使用と数量限定付きの店舗販売と一般使用許可を公約に打ち出して話題になっています。残念ながら支持率を見れば当選はあり得ないリウですが(アジア系はまだまだ地位が低いのです…)、彼の歯に衣着せぬ発言と行動力は、間違いなくNYのマイノリティの声を反映していると共に、タバコ産業に牛耳られ、ねつ造された“マリファナ神話”を崩すための大きな一石を投じているとも言えます。
トピック:アーティストや作品のサポート・支援(パトロン)とは?
先日、ある大物ジャズ・ミュージシャンにインタビューする機会がありました。彼は伝説の域に達した巨匠ではありませんが、間違いなく“現代の巨匠”と言える一人です。
インタビューは彼の自宅で行われることになり、私はニュージャージー州の郊外にある彼の家を訪ねました。そこは閑静な住宅地にある一軒家。しかし、それは豪邸と呼ぶにはほど遠い、小さな平屋だったのです。
まず私は彼の家に驚きました。失礼な言い方ですが、あれだけの名声と評価を得ている大物ジャズ・ミュージシャンの家とは思えない佇まいだったのです。
彼は笑顔で私を迎え入れてくれ、インタビューもスムーズに進みました。彼と会うのは初めてではありませんでしたが、今回のインタビューで彼とはうち解けて話ができるようになり、その後も電話やメールでのやりとりが続いたのですが、彼の言葉に徐々に不満の色が出始めたのです。それは私個人に対するものではなく、レコード会社やメディアなど、彼を取り巻くミュージシャン以外の周囲の環境に対してのものでした。
簡単に言えば、彼は世間で思われているほど実際には評価されているわけではないし、今まで一度たりとも充分なサポートを受けたことも無い、というわけです。これまでのメディアやファンの評価、メジャーなレコード会社でのリリースなど、彼がそんなに過小評価されているとは思いにくかったのですが、彼の自宅を訪ねて、その生活振りの一端を垣間見た私は、残念ながらその言葉に納得してしまいました。
彼が言うように、「レコード会社やメディアは自分に対してある一つのイメージを押しつけていて、それに合わさなければ、仕事のチャンスが無い」というわけです。
実際に、現在の彼はメジャーなレコード会社との契約は切れ、彼自身が取り組みたい新たなアプローチは、メジャーなジャズ・クラブでは歓迎されていないのです。
こうした話は、実は巷には山ほどあります。特にクラシックのような“アート指向”と、ロックのような“エンターテインメント指向”との狭間にあるとも言えるジャズは尚更です。
ニューヨークは今も“ジャズの街”とも言われます。確かにジャズがこれほどフィットする街は世界中どこにも無いと思います。しかし現実を見れば、それは観光産業としての側面があまりに大きいのです。
よく、ニューヨークのジャズ・クラブ(特にメジャー系)に足を運ぶ人のほとんどは、観光客か同業者(ミュージシャン)であると言われます。昔のように、地元のファン達が気軽に足を運び、業界やメディアの人間達が新しい才能を求めて集まり、口コミなどによって更に大勢の人が集まってくるような場所ではなくなってしまいました。
さらに言えば、ジャズという音楽自体が、今やメジャーな音楽ではなくなっていることも事実です。ジャズは流行からは切り離された、年寄りやマニアの音楽のように扱われ、音楽産業の中でも“金にならない”ことは誰もが認めている状態なわけです。
これを何とか改善しよう、ジャズを救おう、と賢明に活動してきた代表的なミュージシャンにウィントン・マーサリスがいます。このニューオーリンズ生まれのサラブレッド(父親は著名なジャズ演奏家・教育者です)とも言える類い希な才能を持つトランペット奏者を、ニューヨークのクラシック音楽界(さらにバレエやオペラも)をリードする(牛耳ると言うべきでしょうか)リンカーン・センター(ロックフェラー財閥の一機関です)が目を付け、バックアップし、ウィントンを旗頭にして、ジャズは徐々に市民権を取り戻していきました。
しかし、それは結局ジャズをクラシック音楽と同じような土俵に乗せてしまうことになり、“過去の遺産の継承”から脱却できないものなってしまったとも言えます。
とは言え、リンカーン・センター(またはロックフェラー)は、現代のニューヨークのジャズにおける“最大スポンサー/パトロン”であることは間違いないと言えます。そして、この“スポンサー”、“パトロン”というのが、実はかつてのジャズにおいても非常に大きな役割を果たしてきたことは重要な点と言えます。
例えば、ニューヨークにおいてジャズが流行したのは、1920年代から30年代にかけてのハーレム・ルネッサンスの頃であると言われます。ミュージシャンで言えば、ルイ・アームストロング、ファッツ・ウォーラー、デューク・エリントン、ジョセフィン・ベイカーなどがニューヨークを拠点に活動し、ジャズの全盛期を築き上げていったわけです。
これをアメリカの学校で習うような歴史的解釈で言えば、「南北戦争後の奴隷解放によってもたらされ、その後の公民権運動への足がかりとなる、黒人達の意識向上と意識改革が白人社会に対向する新たなカルチャーを生み出した」ということになるわけですが、このハーレム・ルネッサンスをビジネス(お金の回り方)的な視点で見ると、それは決して黒人社会の中だけで起こったことでは無いのです。
もちろん主役は黒人達ですが、このハーレム・ルネッサンスが“ニューヨークのムーヴメント”として、ニューヨーク全体でも話題となり、ハーレムの外にまで影響を及ぼしていったことに関しては、彼等のスポンサーまたはパトロンとなってサポートした白人富裕層の存在を無視することはできません。
彼等の多くは、真の平等意識を持ち、黒人文化に感銘を受けてサポートを行ったと言われますが、もちろん中には金目当てで黒人文化を利用して搾取を行った白人も山ほどいたわけです。ですが、結果的には黒人文化が白人社会に紹介され、文化自体が栄えたことに関しては、一つの功績はあったと言えると思います。
このサポーター(支援者)よりももっと力強いパトロン(後援者・擁護者)という存在は、その後のジャズ・ムーヴメントをも支えていったと言えますが、中でもダントツだったのは、50年代のジャズ・シーンに登場したイギリス生まれのユダヤ人である“ジャズ・パトロン”、パノニカ(ニカ)・ドゥ・コーニグスウォーターです。ジャズがお好きな方なら、セロニアス・モンクやホレス・シルヴァー、ジジ・グライスなどの曲名にもなっていることでご存じの方もいらっしゃると思いますが、もともとはロスチャイルド家の娘であり、コーニグスウォーター男爵と結婚したため、ニカ夫人(男爵夫人)とも呼ばれています。
ジャズ界のみならず、アート界にはこれまでパトロンが山ほどいましたが、この人のような“無償の100%サポート”を行った人というのは、ちょっとお目に掛からないかもしれません。なにしろ、彼女がサポートしたジャズ・ミュージシャンは、コールマン・ホーキンス、チャーリー・パーカー、アート・ブレイキー、セロニアス・モンクなどですから、当時のジャズをリードした天才ジャズメンの影には彼女がいたと言っても過言ではありません。しかも、パーカーとモンクは最後はパノニカの家に住み、彼女の家で亡くなってもいるのです。
パノニカほどではありませんが、彼女のようなパトロンはジャズ界だけでなく、アートの様々な分野で存在していました。例えば美術分野で有名なのは、パノニカ同様、ユダヤ人で大富豪の名家のお嬢さんであったペギー・グッゲンハイムです。グッゲンハイムと言えば、フランク・ロイド・ライト設計のユニークな建物でも知られるニューヨークのグッゲンハイム美術館が有名ですが、ここを設立したソロモン・グッゲンハイムはペギーの叔父にあたります。また、ペギーの父親ベンジャミン(ソロモンの弟)は、タイタニック号の沈没事故で亡くなりましたが、救命胴衣を他人に譲り、タキシードで正装して静かに死を迎えたという実話は、映画「タイタニック」でも描かれています。
さて、そのペギーは、ジャクソン・ポロックを見出したことが一番有名ですが、彼女の場合はパノニカのような“慈善家”とは違って、あくまでも“アートのために”パトロン活動を行ったタイプでしたが、逆に恋愛関係は派手で、一時結婚していたマックス・エルンストの他に、サミュエル・ベケット、マルセル・デュシャン、イヴ・タンギーなど、男性遍歴が派手であったことでも知られています。
パノニカもペギーも本が出版されていますし、これらの本は下手なジャズ・ヒストリー本や美術史本などより数段面白いですが、それはアートが激動していた時代故であるとも言えます。
よって、さすがに現代では個人で有力なパトロンというのは圧倒的に数が少なくなりましたし、“パトロン”という言葉自体も、使われ方や意味合いが変わってきました(元々は、単に店などの“お得意さん・常連さん”や“ごひいき”という意味で使われます)。
しかし、パトロンという存在自体は、今も形を変えて残っています。特に70年代以降、パトロンは個人から企業や基金・財団へと急速に姿を変えていきました。つまり、組織による主催・協賛・後援という形態です。
こうした組織によるパトロネージは、個人によるパトロネージとは大きく形が異なっています。つまりそれは、アーティストや作品そのものを世に広めようという純粋な気持ちをベースにしたサポートから、組織のイメージや方向性に合ったアーティストや作品をサポートするという形に変わっていったわけです。つまり、まずアーティストや作品ありきから、まず組織・企業ありき、という形に変わってしまったと言えます。
その結果、組織・企業のイメージやテーマに合わないアーティストや作品は、日の目を見る機会がないと言っても過言ではありません。
さらに、これはパトロンとしてサポートする組織・企業だけでなく、音楽業界自体に関しても言えることです。特にレコード業界や音楽メディア業界は、巨大化することによって、イメージやテーマ、“売りやすさ”や“わかりやすさ”が益々重要になっています。よって、それらに当てはめられないアーティストや作品は、どんどんと疎外されていく結果となっていくわけです。
ここで話は最初に戻りますが、今回私がインタビューを行った某大物ジャズ・ミュージシャンもその一人であると言えます。何故彼のような類い希な才能を持つ著名なアーティストが、きちんと評価されることなく、“冷や飯”を食い続けているのか。この点を、私達は今後もっときちんと考えていくべきではないでしょうか。
特に私達のように、アーティストや作品と、リスナー/ユーザーとの狭間に立ち、アーティストや作品を“活用・利用”して、ビジネスを行っていくサイドの人間には、尚更であると思います。“活用・利用”は、アーティストや作品を世間に発表していく上でも必要であり、意義あることであると思います。しかし、それらが単なるその場限りのご都合主義によって“消費・浪費”されていくことは避けなければなりません。
アメリカでもよく、音楽が個性とパワーを持っていたのは80年代までで、90年代以降の音楽は魅力に欠け、特出したものは少ない、などと言われます(特に音楽業界やメディア・サイドの人々によって)。
しかし、そうなった大きな要因の一つは、新たなパトロンとなった組織や企業、そして音楽業界やメディア業界自体であると言えます。
私自身は時間とお金の許す限り、なるべく“ライヴ・シーン”(生きた音楽)というものに足を運ぶようにしています。それはジャンルは問わず、メジャーなクラブやコンサート、イベント、フェスティヴァルから、アングラでマイナーで実験的でアヴァンギャルドなもの、そして若い学生や子供達に至るまで全てです。70年代からニューヨークのそうしたシーンを見てきた私が確信を持って言えることは、今も“個性”と“パワー”と“魅力”は何一つ劣らない、ということです。もちろん、その度合いは個人や作品によって異なりますし、絶対数(才能ある人間という意味だけでなく、アーティスト人口という意味でも)が減っていることも確かです。ですが、問題は、何故こうしたアーティストや作品、ムーヴメントが世に出ることが無い(少ない)のか、そして、どうしたら世に出すことができるのか、ということです。
このことは、単に組織や企業、音楽業界やメディアに対する反論・反発ではなく、私自身への問いかけとして、また私自身の今後の仕事に対する“チャレンジ”であると理解し、捉えるようにしています。