【I Love NY】月刊紐育音楽通信 November 2013
(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)
これまで、ニューヨークでは日本のような“暴走族”というのを見かけることはほとんどありませんでした。ニューヨークに限らず、アメリカのバイク族と言えばハーレーですし、郊外や地方に行くとよく見かけるハーレー軍団は、今では年配の人達が圧倒的に多いですし、無謀で危険な運転をしたり、暴力・暴行に及ぶことなどはほとんどありません。
ところがここ数年、日本の暴走族も顔負けのような傍若無人のバイク軍団がニューヨークでも増えているのです。特にマンハッタン島の周囲を走る自動車専用道路や、郊外に向かう高速道路などでは、そうした連中をよく見かけるようになりました。少ない時でも50台くらい。多い時は200〜300台以上という数のバイクが押し寄せてくるので、車は道路脇に止まって、彼等が通り過ぎるのを待たなくてはなりません。
日本との違いは、彼等は夜中ではなく、週末の真っ昼間に登場することです。ですから、私は毎週、ゴスペル教会での演奏でブロンクスからハーレムに移動する時によく彼等に遭遇してしまいます。午前の礼拝が長引いて、午後の礼拝に遅れそうな時なども、ジッと我慢して道路脇で待っていなければならないわけです。同じような思いで不満を募らせているドライバーがたくさんいる中、先日、ついに起こってはならないような事件が起きてしまいました。暴走族の走行中、停車せず一緒に走っていた車が、彼等に襲われてしまったのです。
しかも、暴走族に進路をふさがれて囲まれ、暴行が始まったことに恐れおののいた車のドライバーが、その場から逃げ出すときに暴走族の一人を引いてしまったのです。暴走族は当然激怒し、この車を追いかけ、遂に捕まえてドライバーを引きずり出して暴行を加え、同乗していたドライバーの奥さんや小さな子供にまで暴行を加えようとしました。幸い、その場に居合わせた勇気ある通行人が間に入って、その奥さんと子供は無事で、ドライバーも殺されずに済みましたが、なんと、その暴走族の中には非番のニューヨーク市警の警官が何人か参加していたことが明るみに出て、大変な問題となりました。さらに、暴行に至った暴走族のほとんどは黒人系とヒスパニック系。暴行されたドライバー一家はアジア系ということで、人種問題にも発展していきました。単なる“無軌道な若者達の愚行”では収まらず、様々な関係に亀裂を生じさせ、根深い問題へと発展していってしまうのが、常に緊張と危険と背中合わせであるニューヨークという街の恐ろしい点でもあると言えます。
トピック:ブルックリンのダウンタウン・ミュージック・シーン
1995年に公開された、アメリカ、日本、ドイツ合作の映画に『スモーク』という作品がありました。ブルックリンのダウンタウン(下町)にある煙草屋を舞台に、ハーヴィー・カイテル演じる店主とその仲間達(ウィリアム・ハート、他)の、もの悲しくも心温まる人間模様を淡々と描き、トム・ウェイツの音楽と共に、静かな話題になりました。
この作品は、アメリカの著名な文学作家ポール・オースターの原作・脚本で、香港出身のウェイン・ワンが監督を務めましたが、この映画の直後に、姉妹編的な作品として作られた『ブルー・イン・ザ・フェイス』という映画も公開されました。
こちらは、ウェイン・ワンとポール・オースターの共同監督という形で、舞台と主役は同じながら、たくさんの有名人ゲスト(マイケル・J・フォックス、リリー・トムリン、マドンナ、ジム・ジャームッシュ、ミラ・ソルヴィーノなど)のカメオ出演が楽しい見所となっていました(私は最後までマイケル・J・フォックスとリリー・トムリンの“変装”に気が付きませんでした)。
また、長年ブルックリンに住んでいて、ブルックリンの文化を作り上げた“ブルックリナイト(ブルックリンっ子)”達(ルー・リードなど)のドキュメンタリー映像が挿入されるのも、作品に面白い効果を生み出していました。
この映画を観ればブルックリナイトの気質がわかる、とまでは言いませんが、そこにはブルックリンっ子の“いかにも”的な気質が散りばめられていて、わかる人にはニンマリしてもらえる内容となっています。
このブルックリンナイトという呼び名ですが、ニューヨーカーとは違うの?という疑問がおありかもしれませんが、ここは実は微妙に、というか人によってはかなり大きく違うと言われるところなのです。
例えば、前述の“気質”に関する部分も、それらは既にニューヨーカー気質の一部となっている部分もあり、今やブルックリナイトとニューヨーカーの気質の違いを明確に述べるのは難しくなってきているとも言えるます。
ブルックリン訛りというのも存在しますが、これもニューヨーク訛りの一部となっている部分もあり、また黒人系、イタリア系、ユダヤ系で違ってきますし、ブロンクス訛りとの違いも微妙なので、はっきりと区分けすることは難しいと言えます。
例えば、冒頭の二つの映画でのハーヴィー・カイテル(ブルックリン出身)の話し方や、スパイク・リーの映画(特に『ドゥ・ザ・ライト・シング』は黒人系とイタリア系のブルックリン訛りが聞けます)などはブルックリン訛りが聞ける代表的な作品と言えると思います。
ブルックリンというのは、元々ニューヨーク市とは別の独立した行政区(ブルックリン市)でした。それが、1898年の区画整理によって他の区(郡)と併合し、現在のニューヨーク市が誕生したわけです(ブルックリンの公式名称は、「キングス郡」と言います)。ですから、昔からブルックリンに住む人達の中には、ブルックリナイトとしての地元意識が強い人もまだたくさんいるわけです。
しかし、最近はブルックリンがマンハッタン以上にホットなエリアになって、他の地域から移ってくる人がどんどんと増えているため、ブルックリナイトやブルックリン訛りというのは、どんどんと薄れていく傾向にあるようです。
さて、前置きが長くなりましたが、今回は今まで何度か取り上げたブルックリンの“メジャーな”音楽文化ではなく、“マイナー”つまり“ダウンタウン・ミュージック・シーン”のお話しです(“ダウンタウン・ミュージック”と言う場合の“ダウンタウン”は、単にエリアのことを指すのではなく、どちらかというとマイナー&アングラ傾向の強いインデペンデントで庶民的な広義の“下町”という意味合いです)。
そもそもブルックリンは、昔から文学(冒頭でご紹介したポール・オースターもその一人)や演劇において重要なエリアでしたが、音楽に関しては何と言ってもアメリカのクラシック音楽の二大巨匠とも言えるジョージ・ガーシュインとアーロン・コープランドが有名です。
その後、ポップスやロックの世界では、ニール・ダイアモンド、ニール・セダカ、バーバラ・ストライザンド、キャロル・キング、バリー・マニロウ、ルー・リード、パット・ベネター、ノラ・ジョーンズ、マックスウェルなどといった大スター達を次々と輩出しました。
そうした中で、ブルックリンの音楽カルチャーの最も代表的なものの一つとして知られ、当初は黒人達の“ダウンタウン・ミュージック”として始まったのがヒップホップでした。
元々はブロンクスで誕生したこのカルチャーは、ハーレムと共にブルックリンでも大きく発展し、ビッグ・ダディ・ケイン、ウータン・クラン(RZA、GZA)、バスタ・ライムス、ノートリアスB.I.G.、モス・デフ、リル・キム、タリブ・クウェリなどといった超個性的な地元出身アーティスト達を数多く輩出してきました。
そして、最近のブルックリンというよりも全米のヒップホップ・シーンを牽引しているのが、これまでも度々話に出てきたご存じジェイ・Zというわけです。
このジェイ・Zに代表されるように、現代のヒップホップ・カルチャーは完全に商業ベースに乗って大きく変貌していきました。ヒップホップ自体が様々なメジャーなファッションやカルチャーとも結びつき、“ダウンタウン(下町)”から、まるで“アップタウン(山の手)”のカルチャーのようになってしまっている今、ブルックリンには昔のようなヒップホップ・カルチャーは存在しない、とも言えます。
何しろ、ビッグ・ダディ・ケインや、ビギー(ノートリアスB.I.G.)、リル・キム、ジェイ・Zなどの故郷で、かつてはブルックリンの中でも貧しい黒人オンリーの危険地域と言われていたベッド・スタイ(ベッドフォード&スタイヴサント)地区なども、今や白人の若いヒップスター達の集まるエリアまでできてしまっているので、特に若い黒人のヒップホップ・アーティストにとっては、活動の場がどんどん少なくなってきているというのは一つの事実と言えるようです。
そういった中でも、若い世代のヒップホップ・アーティスト達は今も様々な場に活動を広げており、他ジャンルや他メディアとのコラボを行ったりもしてます。また、まだ再開発されていない、未だに“怪しい・危ない”ブルックリンの様々なエリアでは自主的な活動も継続されているわけです。
こうしたブラック・カルチャーの豊かさは、ブルックリンの人種構成も背景にしていると言えます。なにしろ、ニューヨーク市全体の黒人比率は20%強に減ってきているのに対して(ちなみに、アジア系は13%近くに増えています)、ブルックリンはまだ32%近くを維持しています(ちなみに、アジア系はブルックリンでも10%を超えました)。
しかし、ブルックリンが黒人の多い町となるのは、ハーレム同様30年代以降のことと言われています。ジャッキー・ロビンソンが活躍していたブルックリン・ドジャーズの本拠地エベッツ・フィールドがあった頃は、メイン・ストリートであるフラットブッシュ・アヴェニューもまだ白人が多かったそうですが、その後、ヒップホップ・カルチャーの隆盛も後押しして、“怪しい・危ない”黒人の街になっていくわけです。
しかし、この辺りもいまや再開発が次々と進み、怪しげな商店街(昔は、それらがファッション面でのヒップホップ・カルチャーの一つであったのですが)は次々と取り壊され、高層ビルの建設ラッシュは目を見張る勢いです。
当然のことながら、マンハッタンから移転してくる企業・オフィスも増えており、ダウンタウン・ブルックリンは音楽ビジネスも含めて、エンターテインメント・ビジネスに関しても新たな拠点になりつつあります。
一方、アーティスト・サイドでは、以前はウィリアムズバーグやダンボといったエリアが人気で、シーンも盛んでしたが、異常なまでの人気と地価高騰で、これらはすっかりハイソな街となってしまい、マンハッタンのソーホーのようなお洒落な裕福エリアとなってしまっています。
それに変わるのが、ウィリアムズバーグの東側である、イースト・ウィリアムズバーグやブッシュウィック、そしてダンボの南側であるレッド・フックと言えそうです。
レッド・フックの方は、どちらかというと新進アーティスト達の居住エリア的な要素が強いと言えます。ここは、イースト・リヴァーを南下して湾に面した所なので、昨年のハリケーン・サンディでかなりダメージを受けてしまい、復興に時間も掛かっています。ニューヨークは、世界的な気候の変化で、毎年ハリケーンが到来するようになってしまいましたから、今やウォーターフロントの人気は下がりつつあるようで、再開発も予想されていたよりは少しスローペースとなっています。
一方のブッシュウィックは、アーティスト達が昔の倉庫や工場を改造して、住居だけでなく、ギャラリーやスタジオなどに作り替え、新しいレストランやクラブも増えて、週末だけでなく平日の夜でも、若者達が長蛇の列を作るスポットがいくつもできています。マンハッタンで言えば、昔のソーホーやチェルシーのような感じですね。元々が工場・倉庫エリアなので、大きな建物が多く、まだまだ地価も安目なので、今が狙い目と、アーティスト達の大移動が急ピッチで進んでいる感があります。
いわゆるニューヨークのダウンタウン・ミュージック・シーンで地道な活動を続けている私の娘も、数年前からリハーサル・スタジオも、レコーディング・スタジオも、クラブも、このブッシュウィック・エリアが圧倒的に多くなっていると言っていました。
私も以前からよくこのエリアには足を運んでいるのですが、例えば2年前と今とでは、街の雰囲気が恐ろしく変わっています。以前はちょっと怪しげ・危なげなエリアだったわけですが、今や夜中まで若者達がウロウロしている(ウロウロできる)エリアになってしまって、正直驚きであると言えます。人種的にも、以前は黒人ばかりであったのが、随分と多様化していき、今では若い白人ヒップスター達がほとんどになってしまっているようなエリアもあるほどです。
そんな状態ですから、最近は土地デベロッパー達も目を付けているので、このエリアも後数年もすれば、ウィリアムズバーグやダンボなどのようなハイソなエリアになってしまい、“ダウンタウン・ミュージック・シーン”もあっと言う間に別のエリアに移っていってしまうかもしれません。
一つ言えることは、昔のヴィレッジやソーホー、チェルシーなどと違い、最近の移り変わり(開発と高級化)のスピードは、以前よりもかなり早いということです。あるエリアが再開発されるまでの期間もそうですが、そのエリアがバブリーになって高級化していくまでの健全な期間(この間が、まさにシーンの興隆期とも言えます)も、今や数年単位となっているようです。
ニューヨークの一般的な市民生活も含めて、アメリカ全体として言えば、まだ経済は決して良くはなっていないだけに、ニューヨークのホットなエリアの動きは、あまりにもスピードが速すぎ、とても地に足の付いたものには見えず、“いびつ”な“地域限定バブル状態”にあるという印象を否めません。