【I Love NY】月刊紐育音楽通信 June 2017
恐れていたことの一つがまた現実となってしまいました。大きな音楽イベントや
スポーツ・イベントなどの公共施設、つまり大型のコンサート・ホールやスタジアムなどが
今後の大規模なテロの標的となる確率は極めて高い、ということは前々から言われていました。
よって、マジソン・スクエア・ガーデンやラジオ・シティ・ホールなどでは入場に際して
かなり厳しいセキュリティ対応が行われていましたが、カーネギー・ホールなどの
クラシック系や、郊外のホールなどでは正直「この程度のセキュリティで大丈夫なのか」と
言えるような状況でした。
2015年11月にパリで起きた同時多発テロの中で、イーグルス・オブ・デス・メタルという
ロック・バンドの演奏中にテロが勃発して89人もの犠牲者を出した事件はまだ記憶に
新しいですが、イギリスのマンチェスターにおけるアリアナ・グランデのコンサート
終了直後を狙ったテロは、犠牲者数はパリの時よりも少なく、公演終了後では
あったわけですが、やはりスーパー・アイドル級の大コンサートであったこともあり、
ニューヨークはもちろんこと、世界中の音楽イベンター達にとって戦慄すべき
大事件となりました。
既にニュース報道でご存知かと思いますが、アリアナ・グランデはとりあえず
6月5日までのツアーをキャンセルとしましたし、イギリス、そしてヨーロッパ公演を
キャンセルするアーティストも
出始めています。更に、出演者よりも戦々恐々としているのはイベント会社や会場などの
イベンター側です。更に、ステージ設営会社やPA会社、マーチャンダイズ産業や
会場内で運営する飲食産業、そしてスポンサーとなる企業に至るまで大きな影響を
及ぼし始めています。
もちろん、今回の大惨事によって興行産業が衰退するようなことはないと思いますが、
それでもセキュリティ面の見直しを始め、興行の形態やシステムに大きな変化を及ぼすことは
間違い無いでしょうし、なによりも観客側に大きな不安と影を与えることは
必至であると言えます。
私が常日頃利用しているグランド・セントラル駅構内も次のテロ標的となる可能性の高い
最重要チェック・ポイントの一つとなっているため、ほとんど常にニューヨーク市警の警官と
機関銃を手にした州兵によって監視され、守られていますが、今後は銃を構えた警官や
州兵達に守られてコンサート鑑賞をするなどという事態を思い浮かべるのは
何ともゾッとします。
トピック:ユニバーサルの中国戦略とテンセントのアメリカ戦略
もう20年以上も前の話ですが、音楽ソフトを開発・販売する友人の会社が、
中国の会社から共同ビジネスのオファーを受け、サンプルをほしいと言われて
送ったところ、しばらく返事もなく、忘れた頃に大きな荷物が届いたので
開けてみると、中国版のコピーと共に「Thank you!」というメモ書きが
入っていたという笑い話のような出来事がありました。
もちろん中国版というのは不正コピーなわけで、“共同ビジネス”というのは、
単に(無料)コピーして販売させてほしいということだったわけです。
中国または中国人には著作権を始めとする知的所有権の発想が無い、
ということはよく言われてきました。私も長年、音楽教育・教則ソフトを
企画・制作してきて、日本、北米、ヨーロッパ、オセアニアの
ディストリビューターと契約を交わしてきましたが、中国に関しては著作権が
守られないという懸念から極めて慎重、と言いますか正直避けていました。
ですが、ヨーロッパのディストリビューターからのオファーで、結果的にそこと契約する
中国(香港)のディストリビューターとも契約することになったのですが、
結果的に売上数は非常に少なかったため、不正コピーの疑惑は常に感じていました。
まあ、それはもう10〜20年程前の話ですし、今は大分状況も変わってきていると思いますが、
それでも、この知的所有権が介在する中国とのビジネスは、
他に比べて後れを取ってきたことは間違いありません。
そうした中、ユニバーサル・ミュージック・グループが、
テンセント・ミュージック・グループによるディストリビューションによって、
中国に大々的に進出するというニュースが5月の半ばに発表されました。
日本の皆さんの方がよくご存知であろうと思いますが、テンセントは
アリババ・グループと共に、中国語圏という限定されたローカルなマーケットを
対象としながらも、今や世界のIT業界&ビジネスに多大な影響を及ぼしている
中国の巨大持ち株会社です。
Eコマースに重点を置いているアリババは、1999年にカリスマ経営者の
ジャック・マーによって設立。ヤフー中国の買収(但し、2013年に閉鎖)で
話題になり、2014年にはニューヨーク証券取引所に上場したことは
アメリカでも大きく報道されました。スポーツ、特にオリンピック・ロビーと
強く結びついていると言われ(トランプ現大統領との結びつきも強いと言われています)、
強力な人脈とスポーツ・イベントなどを通した巧みなプロモーション戦略も駆使しながら、
今や世界最大の小売流通企業となっています。
このアリババに対して、1998年設立のテンセントは特にゲームとアニメに
絶大な力を誇っており、現在、売上的には世界最大のゲーム会社となっています。
更に中国におけるネットワーク・サービスに関しても絶大な力を誇っており、
プラットフォームの構築、つまりアプリに関しても収益は世界最大と言われています。
このネットワーク・サービスとメッセンジャー・アプリに関しては、
世界的な規模では何と言ってもFacebookやTwitterがダントツですし、
テンセントのマーケットはFacebookやTwitter自体が規制されている中国国内ですので、
テンセントはユーザー数的にはFacebookにはかないませんが、広告収入中心の
Facebookに対して、テンセントは前述のゲームとアニメを武器にしていますので、
ネットワーク・サービスとゲーム&アニメを巧みにリンクさせて
収益を飛躍的に上げているのが特徴でもあります。
さらに、ネットワーク・サービスのもう一つの柱となるモバイル決済に関しても
テンセントは伸び続け、今やユーザー数ではEコマースの覇者と言われるアリババを
上回っていると言われています。
そういった飛躍的な成長を遂げているテンセントですが、2014年からスタートした
音楽(ディストリビューション)部門に関してはまだまだ若く、ゲーム、アニメに比べれば
規模も小さいですが、既にソニー・ミュージックとワーナー・ミュージック・グループとも
ディストリビューション契約を交わしてきており、今回ユニバーサルとの
ディストリビューション契約によって、いよいよアメリカの3大巨大音楽産業の
ディストリビューションを全て手中に収めることになったというわけです。
今回のディストリビューション契約というのは、
テンセントのストリーミング・プラットフォームを利用したプラットフォームの
テリトリー内における音楽ディストリビューションということになります。
要は中国におけるストリーミング・ディールとなるわけですが、
やはりストリーミングが主要な音楽メディアとなったが故に、著作権の不安・問題があった
中国でのディストリビューションが大きく前進したと言えます。
何故なら、不正・違法コピーの可能なCDやDVDなどのディスクと違い、
ストリーミングは媒体自体に形の無いメディアですので、この違いは極めて大きいわけです。
更に今回のユニバーサルとテンセントとの契約では、ユニバーサルのコンテンツを、
テンセントのテリトリーにおいて第三者に提供・譲渡できるエクスクルーシヴの
サブライセンス権も含まれています(この部分には私は未だに不安を感じます)。
また、これは中々興味深いアイディアですが、「アビーロード・チャイナ」という
スタジオ(レコーディングとマスタリング)を共同でデザイン・建設し、
ロンドンの本家アビーロード・スタジオとリンクさせる、ということにも合意したそうです。
これには中国系アーティスト達も大歓迎の反応を発表し始めており、クラシック界では
ヨーヨー・マ(ソニー・ミュージック所属)と並んで圧倒的な人気を誇る中国人ピアニストの
ラン・ラン(ユニバーサル所属)などは、「アビーロード・チャイナは、
中国の音楽文化・伝統の全世界への一層の露出をもたらし、数多くの才能ある
中国人アーティストにとっての世界発信の拠点となることは間違いない」と
今回のユニバーサルとテンセントの提携に諸手を挙げて歓迎・賞賛しています。
ユニバーサルは実は以前から中国に対するライセンス事業などの展開を行っており、
中国へのディストリビューションと共に、中国のアーティストの米国並びに世界進出にも
強い関心を持っていましたが、それを先頭に立って推進しているのは、3ヶ月前の本稿で
「2017年の音業界において最もパワーを持つ人物は?」と題して紹介したビルボード誌の
「2017年パワー100リスト(2017年の音業界においてパワーを持つベスト100人のリスト)」の
ナンバー2に君臨していた現ユニバーーサル・ミュージック・グループの会長&CEOの
ルシアン・グレインジと言われています。
彼は特に買収に関して絶大な力を発揮する人と言われていますが、今回のテンセントとの
提携についても彼の功績は非常に大きいと言えます。
そんな彼にとって、中国への本格的な進出、そして中国企業との本格的な提携は
大きな目標の一つであったと言えますが、ユニバーサルにとってもネックとなっていたのは
やはり著作権の問題です。
ですが、前述のようにメディアがストリーミングとなってこの懸念は大きく払拭され、
実際に今回のユニバーサル側の発表では、中国における著作権保護の強化・増強という点も
テンセントとの共同事業の軸の一つとして述べられていました。
更に、中国におけるストリーミング需要はロケット級に上がっており、
実際に中国におけるレコード、CD、ストリーミングなど全てのメディアを含む
録音物に関する音楽産業の卸売り総収入は、2016年は前年(2015年)比20%以上、
2014年比では2倍(200%)以上という驚異的な伸びを記録しています。
そしてそれを支えるのは、現在総収入の96%を占めると言われるデジタル音源である
というわけです。
そうした状況故、「今こそが中国をリードするテンセントとの革新的且つ
戦略的なパートナーシップを進める時」であるとして、「それによって中国全体の
音楽“エコ・システム”の発展を加速させることができる」とグレインジが
意気込んでいるのも頷けると言えます。
一方、現在中国において1700万曲を越えるコンテンツを月単位で6億人の
ユーザー(内、有料購買者は1500万人以上)に提供していると言われるテンセントも、
「ユニバーサルのリソースと弊社のディストリビューション能力を活用することによって、
中国の何億という音楽ファン達に対して豊かで個人に特化した音楽体験を
供給することができるし、この戦略的な契約によって著作権保護における弊社の努力は
一層強化されることになり、有料課金購買モデルに向けて業界を持ち上げていくこともできる」
と力強い発言をしています。
しかし、話はそれだけなのでしょうか。実は今回の話の前から、テンセントは
ユニバーサルへの投資(株の売買)に熱心であるという噂が流れていましたが、
結局、今回の発表ではそうした内容の話は一切ありませんでした。
アメリカの音楽業界、そして音楽業界人にとって、中国マーケットの動向と
中国マーケットへの進出は自分達の今後のビジネスに関わる大きな関心事であることは
もちろんですが、中国資本のアメリカ進出、つまり投資や株の購入そして買収といった
自国のマーケットへの進出は、ある意味で自分達の今後のビジネスだけでなく、
自分達の生活そのものにも関わる大きな関心事であると言えます。
今、世界中で同じような動きが起きていると思いますが、アメリカも各種製造業から、
不動産や建設業、アパレル業、ホテル業、食品産業を始め様々な分野で
中国資本が次々と進出し、アメリカのマーケットを掌握・支配し続けています。
例えば皆さんがニューヨークのタイムズ・スクエアの真っ只中に立って周りを見渡せば、
どれだけの数の“漢字広告”、つまり中国企業の広告を目にすることができるか、
ということでもアメリカの“中国化”は恐ろしいスピードで進んでいます。
そうした中で、スポーツ産業とエンタメ産業に関しては、スポンサーシップではなく
業界内部自体として見れば、アニメや映画、クラシック音楽などを除けば
遅れ気味と言われています。特に音楽はある意味アメリカならではの
産業の基盤・牙城の一つとも言える存在ですし、
これは単に産業や経済といった側面だけでなく、アメリカの文化そして教育にも
大きく関わる重要な位置をも占めていると言えるわけです。
よって、テンセントの今後の動きは、アメリカの音楽業界のみならず、
音楽文化自体にも大きな影響を与えるという点で注視していく必要があると言えます。