【I LOVE NY】「JAPAN」という音楽ビジネスの可能性

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

先日6月1日にJapan DayというイベントがNYのセントラル・パークで行われました。
今年で2回目となるこのイベントは、NY日本総領事館が主催し、在米の日本企業がスポンサーとなり「文化を通じた日米の相互理解の促進」をメインの趣旨としています。

NYにはJapan Societyという日本の芸術・芸能文化の紹介・振興を目的とした民間団体もありますが、アート指向の強いJapan Societyに対して、このJapan Dayはもっと日常レベルの日本の「今」を伝えることに主眼を置いています。真夏日のような暑さの中、2万人近い人が集まり、実に賑やかなイベントとなりました。

ここ数年、アメリカにおける日本そして日本文化への関心は急速に高まっています。一昔前までは「日本」と言えば電化製品か車が代名詞―しかし、驚くべき事に当時は「SONYやNISSANはアメリカの企業だ」と思っているアメリカ人が数多くいたこともあり、それらの商品から「日本」という顔がはっきりと見えることはありませんでした。

日本文化への関心に最も大きく貢献したのは、やはり食文化。当初は「スシ」しか知らないアメリカ人に、「テリヤキ」「トーフ」「ウドン」などが次々と浸透していき、今では蕎麦屋や焼鳥屋、居酒屋に足を運ぶアメリカ人が急増!!

今やマンハッタンにおいては数ブロック歩けば日本食レストランが見つかる、というほどの数になりましたが食文化に続いて、しかも食文化以上の影響を与えたのが、ご存じ「アニメ」。「アニメ」も今や立派な英語となっており、アメリカ製アニメであるカートゥーン(Cartoon)とは別物として理解されています。

ご存じの通り「リング」「呪怨」といったホラー映画のハリウッド版が大ヒット、日本映画と言えば「ホラー」という印象を根付かせました。また一般的な関心とは言えませんが、近代美術博物館(MOMA)などの建築においても日本人デザイナーが次々と起用され、この分野においても「Japan」は大きく評価されています。

こうした中で、「Japanese Music」は常に後れを取ってきたと言えるでしょう。
それはやはり、英語圏においては日本語という「言葉」の壁が大きかったということ、
そして日本のポピュラー音楽は常に一時の「流行」の連続で、「文化」としてとらえられるような発展・継承・成熟は見られなかった、ということもあると言えます(アメリカでは音楽は常に「文化」であり続けています)。

ところがそういった状況や認識にも変化が起こり始めました。その例が「漢字」です。若者達は服のデザインやタトゥー(刺青)に漢字を取り入れ始めました。ほとんどの場合、彼等は漢字の意味を理解していません。それが見た目に「クールである」ということで漢字をロゴのように捉えているのです。そして音楽にもこれと似たような現象が起こりつつあります。

言うまでもなく、日本語の歌詞の意味がわかるアメリカ人はごく僅かしかいません。特に若者達にとって日本語の歌詞の意味は大した問題ではないようです。彼等は日本語をひとつの「サウンド」として感じ、その「奇妙な響き」に新鮮さを感じているようです。
今NYで一番観客を集めることのできる日本のバンドの一つはパフィー(Puffy AmiYumi)であると思いますが(これは、彼女達が前述したアメリカのCartoonの主題歌を歌い、彼女達自身が番組となった影響が絶大です)、彼女達の歌は基本的に日本語であり、MCでも片言の英語の間に日本語が混ざります。それでも若いアメリカ人のファン達は彼女達の音楽や雰囲気をそのままに感じ取り、更に勝手な印象や解釈を加えて楽しんでいるわけです。

この「勝手な勘違い」こそが、今の若いアメリカ人達が日本文化に熱中する原動力の一つともなり、そして今後日本の音楽がアメリカで更に関心を高め、浸透していく上でも大きなカギとなるのではないか、と数多くのアメリカのメディアや識者は捉えています。

こうした発想やムーブメントは、これまでのアメリカにおける日本文化への関心・浸透には見られなかった新しいものとも言えます。音楽業界を始め、様々な米エンターテインメント業界では、「これから5年以内に更なる日本ブームが起きる」と予測する人達が大勢います。
現に「日本」を題材としたイベントは増える一方ですし、音楽やミュージカルなどの分野においても多数のプロジェクトが進行中のようです。そこには、アニメ、フイルム、コンピュータ、ゲーム、ロボットなどといった既に市民権を得ているメディアが複合的に絡み、メディアとしても一層複雑化・異形化していくであろうと予測されます。

アメリカにおいて、「Japan」という音楽ビジネスの可能性が今後益々高まっていくことは間違いありません。しかし、それらがどのような「勝手な勘違い」で「あり得ないもの」や「壊れたもの」として展開・浸透していくのかは、受け手の捉え方だけでなく、送り手サイドがどのように“仕掛けていくか”という責任にもかかっていると言えるでしょう。

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