【I Love NY】ポール・マッカートニーの再侵略!?
(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)
NYに来られてJFK空港に到着し、空港のあるクイーンズ区からマンハッタン区まで車で向かい、マンハッタンのビル群が目の前に近づいてくるとハイウェイの両側に巨大なビルボード(看板)が見に入ってきます。これらの中に、ポール・マッカートニーの巨大なビルボードが5枚立ち並びました。
7月17・18・21日の三日間、ニューヨーク・メッツの新スタジアム、シティ・フィールドで行われたコンサートのための広告です。
ビートルズ・ファンの方はよくご存じだと思いますが、ポールがビートルズのメンバーとしてアメリカで初のコンサートを行ったのが、ニューヨーク・メッツの旧スタジアムであったシェイ・スタジアム(ニューヨーク・メッツ設立のために奮闘したNYの著名弁護士シェイさんを記念して名付けられました。“シェア”とは発音しないのでご注意)でした。それは1965年8月15日のこと。
60年代半ばからアメリカで吹き荒れた”ブリティッシュ・インベージョン”最大のイベントと呼ばれ、5万5千人以上を集めたビートルズの北米ツアーのオープニング・コンサートです。実はこのコンサートは64年にオープンしたシェイ・スタジアムのコンサート会場としてのこけら落としであり、アメリカでは初のスタジアム・コンサートでもあったのです。
ニューヨーク・メッツの旧スタジアム、シェイ・スタジアムにおけるビートルズの“アメリカ侵略コンサート”から44年。ポールはシェイ・スタジアムのお隣にあった駐車場に建設された新スタジアムにおけるコンサート・イベントのこけら落としとして、再びこの場所に戻ってきました。
3日間に渡るコンサートはもちろん即ソールドアウトで、破格のプレミアムも付きました。それでも2時間以上に渡り、ビートルズやウィングスの名曲の数々を含めて30曲以上を披露したコンサートに観客は大満足でした。しかも、ポールは今回のコンサートを今は亡きジョン・レノン(ニューヨークを愛したジョンは、ニューヨーカー達からは立派な“ニューヨーカー”であると認識されています)とジョージ・ハリソン、そしてリンダ・マッカートニーに捧げるということで、なんとも感慨深いものがありました。おまけにビリー・ジョエルがスペシャル・ゲストとして一曲ポールと共演したことにニューヨーカーは大喜びでした。
実はこれに先立つ7月15日、マンハッタンのど真ん中でとんでもない“事件”が起こり
ました。ポールはコンサートに先立ち、アメリカの人気テレビ番組であるデヴィッド・
レターマン・ショーに出演し、その収録のためにマンハッタンはブロードウェイのど真ん中でスペシャル・ライヴを行ったのです。
レターマン・ショーの前身は、かの有名なエド・サリヴァン・ショー。ビートルズが
“ブリティッシュ・インベージョン”の先駆けとしてサリヴァン・ショーに出演した
のは64年のことでした。その収録が行われていたCBSのスタジオ50はエド・サリヴァン・
シアターと改名され、現在もレターマン・ショーの収録が行われています。
今回レターマン・ショーに出演したポールは、なんとライヴ収録をそのシアターの入り口の屋根となっているバルコニーの上で行いました。バルコニーといっても通常は人が上がってイベントをやるスペースではありません。 過去にはボン・ジョヴィやデイヴ・マシューズが同じ場所でライヴを行いましたが、今回もそこに特設ステージを作り上げ、ポール達バンド・メンバーは2階の窓からそのバルコニーのステージに登場しました。
シアターのあるブロードウェイと50丁目付近の通りは閉鎖されました。
物凄い数の人達が集まり、ここからではポール達の演奏は見えないという場所まで広がっていました。ステージとなったシアターの反対側のビルにはクレーンを使って照明装置や“特別席”が作られ、その中には映画俳優でありミュージシャンでもあるブルース・ウィリスの顔も見られました。
ポールはお馴染みのヘフナーの“ヴァイオリン・ベース”を持って登場し、オープニング曲として演奏したのはなんと「ゲット・バック」です。この選曲と歌詞に、ニューヨーカー達が狂喜したのは言うまでもありません。結局レターマン・ショーの番組内で放映されたのは「ゲット・バック」と目下の最新曲の2曲のみでしたが、実際には「バンド・オン・ザ・ラン」(これは観衆と大合唱になりました)や「ヘルター・スケルター」(これには一番狂喜している熱狂的ファンが多く見られました)も演奏され、「レット・ミー・ロール・イット」ではギターもプレイし(ギタリストとしてのポールの才能の素晴らしさは誰もが認めるところでしょう)、最後は活きの良いロックンロール・ナンバー「バック・イン・ザ・USSR」(しかも、この曲はチャック・ベリーとビーチ・ボーイズのパロディですから、アメリカ人には大受けでもあります)で大盛り上がりとなりました。エンターテイナー/ショーマンとしてのポールの才能にも感服です。
今は夏休みの観光シーズン。マンハッタンのアッパー・ウェストにあるダコタ・ハウス(ジョン・レノンが住み、殺された場所)や、その近くのセントラル・パーク内にあるジョンのメモリアル・プレイス、ストロベリー・フィールズは毎日大勢の観光客で賑わっています。先日ご紹介したソーホーにあるRock & Roll Hall of Fame Annex NYCでのジョンのニューヨーク時代の回顧展開催もたくさんの観光客が訪れています。
ミート・パッキング・ディストリクとにあるポールの愛娘ステラのブティックにも、
彼女の服などどう考えても着そうにないおじさんやおばさん達(失礼)がたくさん訪れ
ています。やはり本当にビートルズは不滅なんだということを益々実感します。