【I Love NY】月刊紐育音楽通信 April 2013

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

 3月は日本の決算期と春休みということで、ビジネスでも観光でも、多くの日本人がニューヨークに来られたようです。
私も日本から来られた方々と何度かお話ししたりお仕事したりしましたが、「アメリカは景気も大分回復したようですね」とか、「ニューヨークはハリケーン・サンディの被害からほとんど復興したようですね」と言われる方が多かったことに驚きました。
これは、アメリカ人が「日本は東日本大震災から完全に復興した」と思うのと似たようなことだと思いますし、現地の実情というのは、メディアの報道からだけではわからない部分が多々あると思います。


 確かにマンハッタンの、特にタイムズ・スクエアや五番街、ソーホーといったところを歩いていると、不景気という実感は持てないとは思いますが、こうしたエリアは、そもそもが生活圏ではなく、テーマ・パークのようなところですから、リアリティを感じ取ることは難しいと思います。
巷で報道されている株価の上昇についても、これは生活指数とは全く別の話ですし、例え現場に赴いても、短期間の観光や出張では、実際の景気感・生活感はなかなかつかみにくいと思います。
確かに失業率は下がってきてはいます。しかし、雇用の落ち込み、時に若い人達(大卒やMBA取得者であっても)の雇用の低さは本当に深刻です。
治安に関しても、ニューヨーク市は犯罪の減少振りを数字だけで証明しようとしますが、“量”ではなく“質”を見れば、別の深刻さが浮かび上がってきます。
ハリケーン・サンディの被害もこれまで度々説明してきましたが、今も家の無い人々、オフィスに戻れない企業、再開の目処の立たない店舗などが山ほどありますし、例えば今も休止したままの自由の女神へのフェリー運航&上陸が、ようやく今年の独立記念日(7月4日)に再開されるということからも、被害・事態の深刻さを感じていただけるかと思います。
 しかし、こうした現状に対してネガティヴになって暗くなるのではなく、今も様々な基金や機関を中心に、救援・救済のためのボランティアや寄付が継続されているというところには、ポジティヴな力強さと希望を感じます。
アメリカでも東日本大震災に関するその後の報道は、忘れ去られたかのように無くなってしまいましたが、ハリケーン・サンディの傷跡を今も目の当たりに見ているだけに、日本の被災地の方々の“今現在”の厳しい状況が容易に想像されて本当に心が痛みます。
一日も早く復興が成されるよう、救済支援が一層強化されることを願ってやみません。

トピック:YouTubeとオプラ〜この国の“意識”を動かす2つの巨大なパワー

 今は昔のような洋楽人気も落ち、あらゆるジャンルで邦楽が優勢と言われている日本ですが、それでも“外タレ(&アーティスト)”公演の数は、他のどの国よりも勝っていると言えるのではないでしょうか。
少なくとも、アメリカでは見られないヨーロッパ系アーティストの公演は山ほどありますし、国際的なイベントやフェスティヴァルもアメリカの比ではありません。
さらには、アメリカ本国以上に日本で公演を行っていたり、アメリカ本国ではなかなか
見られないアメリカ人アーティストもかなりいるわけですから、日本にいる人達は本当に恵まれていると感じます。
もちろん、今も欧米のアーティストにとって日本は“出稼ぎ天国”であるということも一つの事実です。私の周りでも、日本に行きたい、日本でツアーを行いたい、と話を持ちかけてくるアーティスト達がたくさんいます。
正直言うと、彼等の多くは日本に対してかなりの“幻想”を抱いていると言えますし、
“良い話”が一人歩きしたり、大きくなったりしているケースもあります。
 その一方で、本当に他のどの国よりも日本で歓迎され、日本の聴衆は世界でナンバーワンと感じている人も数多くいます。
ノリの良さではアメリカの聴衆はナンバーワンだと思いますが、真摯な姿勢と細部まで聴き取る集中・分析力に関しては、やはり日本は世界一と言って良いのではないでしょうか。
私もよく、「(欧米アーティストの)誰々のコンサートを観たいなァ」とウェブサイトをチェックしてみると、しばらくアメリカ公演はなくて、日本公演が予定されている、などというケースも多々あります。
 例えば、3月に日本公演を行ったジャーニーなどもその一つと言えます。
ジャーニーは昨年の秋に、ジェイZが共同オーナーを務めるブルックリンのバークリーズ・センターでコンサートを行いましたが、残念ながら、私はその時ニューヨークにいなくて観に行くことができませんでした。

ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今月はそのジャーニーの話からスタートしてみたいと思います。

 何故今時80年代の“メロディアス・ロック”とも言えるジャーニーなのか、という意見もあるかと思いますが、このジャーニーはご存じのように2007年に、当時無名のフィリピン人のシンガー、アーネル・ピネダを加えて不死鳥のように蘇ったわけです。
さらにアメリカでは単なる懐メロだけでなく、新しい若いファンをつかむ結果にもなっ
ているのです。
アーネルのボーカルについては、ここでは詳しく述べませんが、ジャーニーの看板シンガーであったスティーヴ・ペリーに酷似しているだけでなく、溌剌とした若々しさ(と言っても、彼も既に40歳を過ぎているのですが)と、ある種のオーラがベテラン・メンバー達の気合いを爆発させてしまったとも言えます。
しかも、欧米の音楽市場では絶対的に不利なアジア人である彼が、フロントマンとして、それを実現してしまったということは、本当に驚くべきことであり、同じアジア人として誇りに思える大快挙でもあります。
さらに言うと、英語がネイティヴでないシンガーが英語圏で英語で歌って成功したというのも、これまた快挙と言えます。インタビューで聞くアーネルの英語は、かなりフィリピン訛りの強い、ちょっとブロークン気味のもので、お世辞にも上手い英語ではありませんし、歌の方も英語ネイティヴのアメリカ人である私の子供達などに言わせれば、決してネイティヴとは言えない、決して上手い英語ではないようです。
 それにしても、アーネル加入後のジャーニーは、スティーヴ・ペリー・ファンからの非難・中傷など、賛否両論はあるものの、バンドとしてのヴァイブやスピリットは全盛期に迫るほどの高まりを見せています。
これは聴く側の好み・好き嫌いは別として、なにしろメンバー達が本当に楽しくて嬉しくて満足している(この点に関しては、間違いなく全盛期を超えていると感じます)、という点からも明らかであると思います(実際には、アーネルだけでなく、アーネルよりも前に加入したドラム&ボーカルのディーン・カストロノーヴォの存在も極めて大きいのですが)。

 そのアーネルですが、彼のジャーニー加入のきっかけはYouTubeであるということは、既にご存じの方も多いと思います。
スティーヴ・ペリーの抜けた穴を、その後のボーカリスト達が誰も埋めることができず、低迷を続けていたジャーニーでしたが、オリジナル・メンバーでもあるギターのニール・ショーンが、YouTubeでジャーニーの曲を
歌うアーネルの映像を見つけ、ノックアウトされてアーネルに加入を申し入れた、という話は既に有名です。
 今や音楽界・または音楽ビジネスにおいてYouTubeの存在と価値を否定することはできないと思います。この画期的なメディアのお陰で、これまでよりも何倍・何十倍・何百倍ものチャンスが生まれているのは事実であるからです。
 YouTubeが生んだ最大のスターと言えば、ご存じジャスティン・ビーバーでしょう。
デビュー前、彼はまだ外に出て通常の音楽活動をするには若すぎた(幼すぎた)という
こともありますが、YouTube上で自分の音楽活動を展開していたという、まさに“新世代”のシンガーであったわけですし、それをレコード会社が目を付けてデビューとなったのも“新時代的なデビュー”と言えました。
ジャスティンの後、シンガーやミュージシャンといった表方と、レコード会社やマネージメント会社などといった裏方が、積極的にこの“お金の掛からない”メディアを活用するようになったのは当然と言えます。
そうした中で、ジャーニーとアーネルの場合は、デビューを画策・実現するどころか、
超メジャー・バンドが無名の新人を即採用するという、これまでにない“夢のような”パターンであると言えます。
今後、ジャーニーとアーネルのようなパターンが増えてくるのかはわかりませんが、少なくとも音楽ビジネスにおけるYouTubeの可能性は、まだまだ果てしないと言えるでしょう。
これまでのように、アーティスト・サイドで言えば、地道にライヴやツアーを続けて自主レコード(CD)を作って手売りで販売しながらチャンスをつかんでいくとか、制作サイドで言えば、コネクションと足を使って情報をつかみ、ライヴなどに足を運んで才能を見つけていく、といったようなパターンは、もう古いスタイルのものとなっていくとも言われます。
しかし、逆にいえば、こうしたインターネット・メディアがフルに活用されることによって、これまで無駄(とは言いませんが)に終わることも多かった労力が圧倒的に少なくなり、時間的にも労力的にも遙かに短縮できるようになっていくことは、実に経済的で効率的であると言えるのではないでしょうか。
アメリカでは既に、ネットはマスメディアにとって代わり、SNSは巨大なコミュニティーを形成しているのは事実のようです。

 さて、ジャーニーのアーネルに関しては、アメリカではもう一つ巨大なパワーが動きました。
それはテレビ・メディアであり、具体的にはオプラ・ウィンフリーというテレビ界(だけではありませんが)の巨大な“アイコン”でした。
このオプラという人は、日本ではあまり注目されることが無いようですが、アメリカでの人気・評価は“超”が10個付くくらい絶大なのです。なにしろ、オプラが動けば、世の中が動くというくらいの影響力を持っていますし、特に主婦を中心とした多くの女性には“お茶の間の教祖”的な存在にまでなっていると言えます。
こうしたタイプの人物にはマーサ・スチュアートも挙げられますが、オプラの場合は、精神性の高さというか、スピリチュアルな面と、ワイド・レンジのインテリジェンスにも溢れていて、その辺が主婦だけでなく20代以上の働く若い女性達にも人気が高い理由の一つとも言
えます。
オプラの影響力の凄さは、2007から2008年にかけてのオバマ大統領一期目の選挙戦の時にも明らかでした。なにしろ、オバマ候補(当時)よりもオプラが登場する方が歓声が高かったと言えますし、オバマ大統領誕生にあたっては、彼女の影響力を抜きには語れないということも一つの事実であると言えます。
また、女性としては、またエンタメ界出身者としては、最も大統領になる可能性の高い人物とまで言われています。
オプラは、何と言っても1986年から2011年まで続いた「オプラ・ウィンフリー・ショー」というテレビ・トーク番組が最も有名ですが、この番組が終了する2年ほど前にアーネルが加入した“新星ジャーニー”が出演したことが、“音楽業界”ではなく、“お茶の間界”にとてつもないインパクトを与えたと言われています。
この時の映像は、これもYouTubeを通じて日本でも多くの方が既に観られていると思うので、内容については特に詳しく触れませんが、“スティーヴ・ペリー脱退後、10年以上もシンガー探しで葛藤してきたジャーニーが、アーネルと出会って遂に復活!”したということをテーマに据え、「アーネル・ピネダ・ストーリー」も挿入されて、ジャーニーよりも“アーネル色”が強調されたものと言えました。
 アーネルは母の死後、一家は破産し、一時ホームレスの“ストリート・チルドレン”にまでなったわけですが、これは特に子供のための慈善活動を積極的に行っているオプラにとっては“格好のネタ”にもなったと言えますし、まさに「ドント・ストップ・ビリーヴィング」を体現してきたようなアーネルの人生と歌にオプラは心から感動・感激したようで、常にテンションの高い彼女のトークの中でも、一段とテンションが高かったことも印象的でした。
何とも驚くべきこととも言えますが、このオプラが注目した人(アーティスト)や物(本やCD、DVDなどの商品)は必ず大ヒットする、というジンクスがあって、新星ジャーニーと、その番組オンエア時に発売された彼等の新作DVDは、ジャーニー・ファン以外の“お茶の間界”でも大ヒットすることになったと言われています。

 オプラとYouTubeと言えば、以前にもご紹介したシャリースも忘れられません。シャリースもアーネルと同じくフィリピン人で、子供の頃にDV(家庭内暴力)に遭遇し、母親の手によって育てられたという、これまた“オプラ好み”のヒストリーを持っていることもありましたが、オプラはシャリースを自分のテレビ番組に2度もゲスト出演させ、「世界一才能のある少女」とまで賞賛しました。
噂では、オプラにはネイティヴ・アメリカンとアジア系(恐らく中国系)の血も少し入っているとも言われていますが、オプラは世間でマイノリティと呼ばれる人種に対する支援に関しても非常に熱心な人です。
よって、特にアメリカの一般的な“お茶の間界”にとってはおよそ関心のないアジア系マイノリティを何度も大々的に紹介していることは充分に評価されるべきことであると思います。
 実はシャリースをオプラよりも前に自分のテレビ番組で紹介したのは、コメディアン&女優のエレン・デジェネレスでした。彼女はゲイであり、やはりマイノリティの活動に敏感な人でもありますが、このエレンがシャリースを“発見”したのが他ならぬYouTubeであり、シャリースの母国フィリピンのファンがYouTubeにシャリースの歌をアップして、それがエレンの目にとまったというわけです。
そこからエレン〜オプラ〜デヴィッド・フォスター〜アンドレア・ボチェッリ〜セリーヌ・ディオンという繋がり&共演が生まれていったわけですから、今やYouTubeはアメリカン・ドリーム実現の大舞台となっていると言っても過言ではありません。

 YouTubeとオプラは、今やアメリカという国の“意識”をも動かす原動力の一つ(二つ)にもなっていると言えます。しかも両者には、これまでの白人西洋資本主義文明中心的な“上下”や“優劣”といった発想は無く、逆にマイノリティにとって有利な、フェアで機会均等な可能性に溢れている点が注目に値すると思います。
確かにどちらもいろいろな面において批判もあり、それらを100%支持することは難しい現状もありますが、私はそれらのポジティヴ面に注目し、今後益々生み出されて行くであろうそれらの恩恵に期待していきたいと思っています。

 アメリカは、グラミー賞やアカデミー賞などの季節を迎え、巷はそうした話題で賑
やかになっていると言えます。
ブロードウェイのミュージカルも移行の季節でもあり、いろんな演目が終了して新しい演目が登場し始めています。
リンカーン・センターは、クラシックもバレエもオペラもシーズン真っ直中。
ジャズも人気アーティストの出演が多く見られます。
クリスマス・シーズンが終わって、大物アーティストのコンサート活動なども年明けから活発化しています。
 季節はまだまだ冬の真っ直中ですし、仕事もスロー気味ではありますが、私はこの春を迎える前の2月前後というのが結構好きです。観光客も少なめで、春から夏の開放感や、ホリデイ・シーズンの賑わいからは離れている分、ニューヨークらしい落ち着いた雰囲気の中での力強い活気というようなものが感じられるからです。

トピック:アメリカの最近の肖像権・著作権事情

かつては、ニューヨークの街中で高級ブランドのショッピング・バッグを手に、カメラをぶら下げ、所構わずシャッターを切るのは日本人の観光客であると言われてきました。
しかし、最近では圧倒的な数を誇る中国からの観光客がそれに代わり、さらに長引く不況を反映したアメリカ国内からの(つまり近場からの)観光客も、そうした汚名(?)の仲間入りをしていると言えるようです。
特に最近は、名所や店舗などの前だけでなく、レストラン内でオーダーしたメニューを食べる前に撮影する人が実に多くなっています。これはご存知のように、デジカメとブログの普及によるところがとても大きいわけですが、場所によっては周りで食べている人達に迷惑がかかることも多々あります。
そのため、実際にいくつかの高級レストランでは、店内の写真撮影だけでなく(これは意外と知られていないかもしれませんが、基本的にホテルやレストランなどの店内は公共の場ではなくプライベート・スペースとなるので、撮影は不可であり、それを知らずに勝手に撮影すると、カメラを没収されたり、警察を呼ばれたりなどのトラブルが起こることもあります)、たとえ自分がオーダーした食べ物だけであっても禁止という店が出てきています。
これは、フラッシュを用いた撮影が、周りのテーブルに座っている人達にとって食事の邪魔となり、店にクレームが入るということが最も大きな理由となっているようで、レストランによっては、写真撮影を禁止する代わりに、オーダーしたメニューの写真を画像データで提供する店も出てきています。

ところが、食べ物の写真撮影禁止には、もう一つ別の理由があります。
それは“肖像権”という問題です。そのレストランで作った食べ物(メニュー)にも肖像権が存在し、レストランはそれを保持し、守る権利があるというものです。
例えば、レストランは客が撮影した自分の店の食べ物の写真がどのように使われるのかわかりません。
個人使用については問題ありませんが、ブログと言うプライベートとオフィシャルの区分けが曖昧なものについては、食べ物のクオリティーや評価(撮影された食べ物が美味しそうに見えるか見えないかなど)、さらには広告宣伝活動(特にブログは、当該レストランの意向・意図に反する宣伝内容となることもある)も関わる問題をはらんでいるため、特に高級レストランを中心に神経をとがらせる店が増え始めているわけです。

自分の店で作った食べ物にも肖像権が存在するというのは、いかにもアメリカらしい考え方であると言えます。
確かにアメリカという国は、何に関しても権利というものが存在し、その権利を主張する国と言えます。
よく、パパラッチがセレブの写真を無断で撮影・公開し、問題となることがありますが、レストランの食べ物というのもひとつの“商品”ですし、それを守る動きが出てくるというのは、起こり得る話ではあります。

この肖像権と共に、また肖像権以上に、センシティヴで厄介な問題が著作権です。
著作権の歴史というのは、意外なことにそれほど古いわけではありません。アメリカで著作権法が制定されたのは1790年ではありますが、音楽に拡大されたのは19世紀に入ってからのことであり、楽曲だけでなく、歌手や演奏者、編曲者などの権利もしっかりと守られるようになってきたのは、この20〜30年くらいのことです。

それまでは、音楽界でも“バイアウト”と呼ばれる買い取り契約(“契約”と呼べるほど
の法的なものとは言えませんでした)がほとんどでした。
よって70年代くらいまでは、権利や印税なども与えられなかった有名な歌手やバンドや、権利や印税はおろか、満足な報酬すら得られなかった有名バンドのメンバー達や、有名曲のアレンジャー達が山ほどいました。
あまり大きな声では言えませんが、私がこれまで仕事をしてきた中でも、モータウン、ザ・バンド、アース・ウィンド&ファイア、ウェザー・リポートなど、著作権クレジットなどから判断される一般的な解釈の通りには権利もお金も動いていないということに愕然とするケースも多々ありました。

大雑把に言えば、それらのほとんどは、“取っ払い”と呼ばれるその場限りの取り引き、つまりキャッシュ(借金の肩代わりなどというケースもあったそうです!)の魔力にごまかされてきたとも言えるわけです。
このバイアウトは、具体的にはレコード会社やプロデューサー達(時にバンドのリーダーなど)による利潤の独占、つまり搾取という形で行われることが多かったわけですが、実際にはそれが故にアメリカの音楽産業は巨大なものになったという見方もできます。
とは言え、その影には破産・破綻してどん底に陥り、不遇の人生を送る羽目になったアーティストやミュージシャン達が山のようにいることも事実です。

こうした反省から、今ではあらゆる才能や作業に著作権が発生する方向になってきています。ですから、一般的にアメリカの音楽クリエイター達は、僅かではあっても権利を主張し、バイアウトという取り引きを非常に警戒する傾向にあります。
それが故にバイアウトの場合は、“権利の放棄”という意味合いで、印税のアドヴァンスとは桁違いの膨大な金額を要求することが一般的にすらなっており、一方の支払う側も、バイアウトを避ける傾向になってきているわけです。
これは、日米の音楽著作権事情の大きな違いの一つとも言えるのではないでしょうか。

もう一つの大きな違いは、プロモーション効果またはプロモーション効果のメリットを交換条件にした“バーター取り引き”に関する解釈です。
こうした取引はこれまで、特に無名の新人や新人バンド等に適用されることが多っかたものですが、ここ最近は、現実的な売り上げ数字に結びつく具体的なプロモーション効果が提示されたり、アーティスト・サイドが希望するタイミングに合わせたプロモーションでないと、簡単にはバーター取引とはなりにくいことが多いと言えるようです。
これはある意味で、“弱者の権利保護”というアメリカの建国精神につながる健全な思想が、音楽業界においてもようやく現実化するようになってきている現れでもあると思います。

これに関しては、これまでプロモーション的な意味合いが強かった雑誌インタビューに関しても同様であると言えます。
一般的に、インタビューを受ける側は、インタビューをプロモーションの一環と見なし(または、出版社からそのように見なされ)、ギャラを要求することは非常に少ないですが、インタビューに関してもギャラを要求するアーティストは増えてきており、これも話す内容に関する権利主張という動きが無視できない状況になっています。
例えば、同じバイオ的ヒストリーに関しても、それが本として出版されれば著作権は発生します。雑誌のインタビューもそれと同じだというのが、その主張の論拠ですが、理屈としては最もであると理解できつつも、今のブログやオフィシャルでないウェブサイトの氾濫から考えると、現実的なアイディアとは言いにくい面もあります。

さらに著作権には、「盗用・盗作」と「期限」というややこしい側面も多く存在します。
例えば、ある曲と全く同じリズム・パターンの上に、全く別のメロディを乗せた曲は「盗作」でしょうか? 又、ある曲と全く同じコードの上に、全く別のメロディを乗せた曲は「盗作」でしょうか?
曲のリズム・パターンもコードも、その楽曲の一部であって権利は発生する、というのが基本的な解釈ではありますが、実際には同じリズム・パターンやコードのヒット曲というのも山ほどあるわけで、それらすべてに盗作疑惑や訴訟が起こっているわけではありません。
それらはあくまでもケース・バイ・ケースの判断と、当事者間の認識・解釈の問題となり、極めてグレーなものであることは否めません。
実際に、盗作に関する訴訟に関しては、純粋な権利主張という面だけではなく、お金に関わる政治的な側面も否定できないようです。

「期限」に関しても、著作権フリーのいわゆるパブリック・ドメインとなるのは、日本の場合は著作者の生存期間および死後50年までを保護期間の原則としていますが、アメリカの場合も基本は同じく50年ですが、1998年に成立した「ソニー・ボノ著作権延長法」によって、1978年1月1日以降に創作された著作物については、著作者の生存期間および死後70年までを保護期間の原則となっています(EUの大半も70年)。
また、無名著作物などの場合は、最初の発行年から95年間、または創作年から120年間のいずれか短い期間だけ存続するという解釈になっています。
さらに、ガーシュインの楽曲などのように、保護期間の解除、つまりパブリック・ドメインとなる年自体が、遺族や関係機関や団体などの意向や圧力によって延長することもあるのですから、問題はさらに複雑・曖昧です。

もう一つ複雑な問題は、先日、日本のJASRACが要望を行って再び注目されている「戦時加算」です。第二次世界大戦の戦勝国の音楽作品に関しては、敗戦国では戦時中の10年間は“著作権が保護されていなかった(そのような文化が存在しなかった)”と見なされて、50年プラス10年に延長されているわけですが、これは敗戦国と言っても、ドイツやイタリアには課せられず、日本だけが対象になっているという“屈辱的な”不平等条約規定であるわけです。
今のところ、アメリカがその要望に応えるという動きは見られませんし、
これも“お金の話”であるだけに、是正は困難であると言えるようです。

このように、著作権には極めて政治的で曖昧な解釈や判断が存在することも否定できません。 

“訴訟国家”アメリカで仕事をしていると、日本に比べて弁護士と接する時間が圧倒的に多いのは事実です。移民法、不動産、交通事故や労災、離婚など、それぞれの分野に専門の弁護士がいて、一人の弁護士ではすべての事柄をまかなえないというのも頭が痛いところですが、音楽エンタメ界にも専門の有能・敏腕弁護士がたくさんいて、私自身も何度か仕事をしたことがあります。
しかし、大半の弁護士の視点は、クライアントからいくらお金が取れるか、訴訟相手からいくらお金が取れるか、という部分にあって、それが故に、微妙で曖昧な音楽著作権の分野に関しては、かつてのサンプリング問題やダウンロード問題などのように、時代の波に則した、よほどの規模の事例でない限り、積極的には動いてくれません。
また、仮に弁護士が動いてくれたとしても、訴訟には膨大な時間を費やすため、勝訴しても“一文の得にはならない”し、“儲かるのは弁護士だけ”というのも当たらずとも遠からずと言えます。
 
肖像権や著作権は守られているのか?というテーマは、ある意味人種問題と同様で、最低限の権利は守られ、以前よりは格段に良くはなったけれども、依然、微妙で曖昧で根の深い問題がまだまだ存在し続けていると言えるようです。

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