【I Love NY】月刊紐育音楽通信 August 2012
(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)
7月のニューヨークは、いろんなニュースが相次いで、珍しくニュースに翻弄されているような気分でした。まず明るいニュースと言えば、空母イントレピッド博物館でのスペース・シャトルの一般公開開始と、イチロー選手のヤンキース移籍でしょう。
スペース・シャトルはジャンボ・ジェットの上に乗ってNASAからニューヨークに運ばれてきたときも大騒ぎでしたが、今回の一般公開もスペース・シャトルの宇宙飛行士達も集まり、楽しいイベントも行われて賑わいました。
イチロー選手のヤンキース移籍に関しては、ニューヨークよりも日本の方が大騒ぎであるかと思います。怪我で休養中のガードナー選手の穴埋めとして移籍してきたイチロー選手は、ニューヨーカーには好意的に受け入れられているようですし、今期限りの在籍の可能性大(契約は今シーズンの残りのみですし、来シーズン、ガードナー選手が怪我から戻ってきたら、基本的にイチロー選手のポジションはなくなります)であっても、話題性は充分であると言えます。
暗いニュースは、コロラドの映画館での乱射事件に続くような形で起こった、ブロンクスの発砲事件です。流れ弾とは言え、4歳の男の子が17歳の少年に撃ち殺されるというのは、あまりにも悲惨な事件でした。ただ一つの救いは、この子のお母さんという人が実に立派な女性で、残された娘(殺された男の子のお姉さん)と、その子の子供(つまり自分の未来の孫)には決して同じような経験をさせまい、と周囲に支えられながら犯罪防止に立ち上がっていることです。しかし、アメリカという国として見ると、このような悲惨な事件が起きても銃規制の方は一向に実現しそうにありません。
ニューヨークのブルームバーグ市長は銃規制に積極的ですが、オバマもロムニーも全く見向きもしませんし(銃規制を打ちだしたら票が減るからです)、コロラドの事件以降、逆に銃の売り上げが伸びているというのですから、呆れて物も言えません。
4歳の男の子の射殺事件の影に隠れてしまいがちでしたが、同じブロンクスで14歳の少年が公園で頭を打たれて死んでいるのを父親が発見した事件も悲惨でした。この父親は以前に、自分の娘を、その子の母親である自分のガールフレンドに殺されたということで、自分の子供を連続して二人も殺されてしまったことになります。実はこの父親は、私がチャーチ・ミュージシャンを務めているブロンクスのゴスペル教会と親しい間柄の教会の助祭を務めていて、先日来私の教会でもこの父親への援助が呼びかけてられています。
こうした痛ましい事件が続き、アル・シャープトン牧師が先頭に立って、「ウォール街占拠運動」ならぬ「街角占拠運動」を立ち上げ、みんなで街角に立って凄惨な事件を防止しよう、という動きも始まっています。憲法で市民に武器の所有を認めている以上、銃規制という願いは叶えられませんし、こうした草の根的な方法しかないのかもしれませんが、青少年の銃犯罪だけはなんとしても防がねばなりません。
私にとっては第二の地元であるブロンクスは今、益々治安の悪い状況になっていますが、ブロンクスに引き続いてハーレムやブルックリンでも発砲事件が相次いでいます。マンハッタン(ハーレムの一部を除き)がほとんどどこもすっかり安全になっている今、観光地にはなり得ない、マンハッタンの周りの貧しいエリアがどんどん荒廃化しているように思えます。
トピック:タダほどありがたいものはない(?)
〜ニューヨーク夏のフリー・コンサート&イベントに見る“タダの法則”〜
毎年、この時期になるとこのニュースレターでもご紹介してきましたが、ニューヨークは今、夏の野外コンサートで大賑わいです。今年は内容も更に多彩に、場所も更に増え、同時多発性が益々強くなってきています。ニューヨークの夏の野外コンサートと言えば、何と言ってもセントラル・パークの「サマー・ステージ」ですが、これも今年はハーレム、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、スタテン・アイランドの大小様々な公園にまで拡がり、文字通りニューヨーク市全域を網羅してきていると言えます。
また、911のテロからの復興著しいファイナンシャル・ディストリクト(金融街。最近は「FiDi=フィーディー」とも呼ばれています)でも、今年は夏のコンサートやイベントが目白押しで、一昔前の金融マン達の街から、観光客が溢れる観光地にもなってきています。さらに、これまた再開発著しい西側のハドソン・リヴァー・エリアも賑やかです。最南端のバッテリー・シティ・パークから北に上がってトライベッカ、ミート・パッキング・ディストリクト(「MPD」と略称でも呼ばれます)、チェルシー界隈でも夏のイベントが行われています。
こうした夏の野外コンサートやイベントは、そのほとんどが無料または寄付という形で行われています。昔から、「タダほど高いものはない」と言われますが、ことニューヨークのフリー・コンサート&イベントに関しては、この言葉は当てはまらないようです。この、タダを実現させている要因としては、スポンサー企業による広告費と、財団や個人からの寄付資金が大きいと言えます。
スポンサー企業に関しては、一社で冠を付ける場合もありますが、最近はイベントには冠は付けず、複数の企業がスポンサーとなるケースが多いようです。ヨーロッパもそうですが、ここアメリカ、特にニューヨークにおいては、文化事業に積極的な企業が非常に多いと言えます。企業にとって文化事業は、もちろん減税・免税対策という側面もありますが、文化事業を行うことでの宣伝効果というのも、やはり非常に大きいわけです。それは言い換えれば消費者の(自国の)文化に対する意識や理解が高いということにも裏付けされています。
また、こうした文化事業への取り組みを、最終的にはいかに売り上げとして回収・還元するかというビジネス・モデルがしっかりできあがっている点も重要であると思います。アメリカという国は“心意気”と“愛”も強いですが、その裏には、何事も“ビジネス・モデルありき”という現実的なところがありますし、企業の場合はこの点をしっかりと組み立てて取り組んでいることは間違いありません。
その点で興味深いのは、ビジネス・モデルを考えて運用させるビジネス・センスと、文化に対する愛情・意識とのバランス感覚が優れていることではないでしょうか。“ビジネス・モデルありき”という現実的なビジネス・センスと共に、“心意気”や“愛”という部分もしっかりと持ち合わせているわけです。
文化事業に積極的な企業には、必ずと言って良いほど「文化事業部」や文化事業担当の人がいて、そういった人達は愛好家の域を超え、文化方面の評論家や教授・学者顔負けの知識と理解を持っているということです。もちろん、そこには企業外のアドバイザーやプロデューサー、キュレーターなども存在するわけですが、何と言っても企業内レベルにおいても、文化に対する意識・理解は高いと言えます。ですから、文化事業と言っても、同じイベントを何年間続けているか、ということよりも、時代の流れを捉えながら、いかに新しくて話題性のあるイベントをスポンサードしていくか、またはそうしたイベントを企画・運営していくか、ということに重点が置かれているわけです。
財団や個人の寄付金額に関しても、この国、特にニューヨークは圧倒的な数字を誇っています。それは貧富の差が激しいこの国・この街ならではの特性もありますが、ある意味で、桁違いの財力を持っている財団や個人のお陰で、我々一般市民はタダ、または非常に安価で文化に接することができ、文化に触れるチャンスに恵まれているとも言えます。
この、“パトロン”的側面というのは、実はニューヨークの文化には欠かせないものと言えます。ニューヨークは美術館や博物館も安いところや寄付形式のところが多いですが、これも裕福な財団と個人の力は無視できません。その一番の例はメトロポリタン美術館です。ここはご存じのように入場料は寄付という形を取っていますし、迷路のような展示室には各々、寄付者の名前が明記されています。
アーティストに対するサポートや資金援助という面においても、パトロンは大きな貢献を果たしてきました。例えばジャズにおいてはチャールー・パーカーやセロニアス・モンクなどを支えたニカ公爵夫人、絵画においてはジャクソン・ポロックなどを支えたペギー・グッゲンハイムなどは非常に有名です。“パトロン”というと、何だか怪しげな響きがするかもしれませんが、彼等のほとんどは、心の底からアートを愛した文化人であり、優れたアートのためにはあらゆるサポートを惜しまなかった人達と言えます。ですから、アーティストを見出して、出資して、売り出して、一儲けしよう、などという陳腐な発想ではないわけです(なにしろ、彼等は一儲けなどする必要がないほど大富豪ですから)。
最近はさすがにこうした個人のパトロンというのはほとんどいなくなりました。自分の道楽のためにアーティストにお金を出すという人はまだまだいるようですが(大金持ちが、誕生日やパーティなど自分のイベントのために有名アーティストを高額で雇うなどということは、今でも結構あるようです)、先見の目を持ってアーティストを育てる、となるとこれはもう昔の話になってしまうようです。
ウォール街占拠運動では、持てる者(富裕層)がターゲットとなって糾弾されましたが、私利私欲に満ちた搾取は絶対に許されるべきではないですが、富裕層の文化貢献という面は、ある意味ニューヨークの文化を支えてきた要素として、完全に否定・批判することは難しいと思います。むしろ、我々はその恩恵によって様々な文化を身近に手軽に味わうことができ、夏のフリー・コンサート&イベントも楽しむことができる、と言うこともできるからです。
社会主義や共産主義の国では優れたアートが生まれ、育まれる機会は非常に少なく、新たな文化事業も発展しにくいことは間違いありません。「アートは豊かさと貧しさの中からは生まれても、平等意識の中からは生まれにくい」というのは、あるアメリカの大学教授に言われた言葉ですが、ニューヨークにいるとそのことを痛感します。
私自身は父親と祖父がコミュニストであったこともあって、資本主義に対する反駁が今も残っていますが、資本主義の“資本”がなければ、自分が愛するアートの多くは生まれ得なかったということも否定できません。とんでもない金持ちと、とんでもない貧乏人が共存する中。高級ブティックで一回に150万円ほどの買い物をする人の横で、ホームレスがゴミ箱を漁っているという状況の中で、アートが生まれ、育てられ、サポートされ、世に出て行く。これはアートのみならず、スポーツ(アスリート)の世界などでも同様に言えることであると思いますし、その意味では、この国では“アメリカン・ドリーム”は決して消えることは無いのだと思います。