【I Love NY】月刊紐育音楽通信 December

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

 スポーツにはさほど興味の無い私ですが、先日は友人に誘われて、初めてニューヨーク・シティ・マラソンの応援に行ってきました。
私のようなマラソン素人が語るまでもありませんが、このマラソンはニューヨーク市の5つの区を全て回るというのが一つの特色にもなっています。中でもブルックリンはコース的に一番長く、最近特に人気の高いエリアであるウィリアムズバーグやグリーンポイントの目抜き通りを通るので、ランナーにとっては中々楽しめる(その余裕があればですが)コースと言えます。
 私は、そのブルックリンから橋を渡ってクイーンズに入ってすぐの約14マイル地点(トータル26.2マイルの中間点を過ぎてすぐの辺り)で応援をしたのですが、その辺りは橋を下ったすぐ後なので、みんな結構余裕(とまではいかない人も多かったですが)で飛ばしてきていました。
 私の友人はこれまで何度もニューヨーク・シティ・マラソンで走っていた玄人なのでいろいろと教わったのですが、マラソン、特にニューヨークの場合は応援の観衆の数と騒ぎブリが半端ではないので、辛いときは観衆の方を見るのだそうです。そうすると、観衆は必ず応援・激励してくれる、というわけで、ランナーにとっては大きな励み・パワーとなるのだそうです。


 ですが、前述のようにコース的にはまだ中間過ぎで、しかも下り坂の後ということで、待っていてもこちらを向いてくれるランナーはあまりいません。そこで友人や周りの観衆を見習って、こちらから応援(というよりも、ただバカ騒ぎしてるみたいな感じですが…笑)をしたところ、結構ランナーはこちらを向いてくれるのです。中には笑顔を返してくれたり、うなずいてくれたり、こぶしを振り上げて気合いを入れたり、とみんな人それぞれのリアクションがあって、私もすっかり楽しんでしまいました。
 音楽ではコール&レスポンスがマストですが、マラソンにもコール&レスポンスがあるのだということを知り、しかもそれがランナーを中心とするマラソン・イベント全体のエネルギーをも生み出しているということに何とも言えない快感を覚えました。

トピック:ニール・ダイヤモンドとブルックリンブーム

 最近は、アルバム発売日というもの自体が、あまり大きな話題とはならなくなってきましたが、あるアルバムの10月21日の発売は、久々に様々なメディアがアルバム発売をアナウンスし、好き嫌い、興味の有る無しに関わらず、一般市民の目や耳にもそのニュースが届いたと言えました。
 “あるアルバム”とは、ニール・ダイアモンドの「メロディ・ロード」のことですが、ニール・ダイアモンドは日本ではそれほど人気が無いかもしれませんが、アメリカでは国民的シンガーの一人と言えるほど絶大な人気を誇っています。

 私が初めてニール・ダイアモンドを聴いたのは40年程前のこと。当時「かもめのジョナサン」という本が爆発的にヒットし、その映画化においてサントラに起用されたのがニール・ダイアモンドだったのです。私もリチャード・バックの東洋的思想に溢れたこの小説にすっかりハマり、かもめしか登場しない(ヘリコプター撮影による驚愕の空撮)希有な映画にも魅せられてしまったのですが、その映画で、かもめが悠々と飛ぶシーンと見事にマッチした朗々と流れる歌声がニール・ダイアモンドであったわけです。原作の爆発的ヒットに比べ、映画はそれほどヒットせず、映画よりもサントラ盤が売れたという結果になりましたが、この映画がニール・ダイアモンドの人気を更に高めることになったことは間違いありません。

 私自身はその後ニールの音楽を聴き漁ったわけですが、彼がモンキーズのヒット曲(「アイム・ア・ビリーヴァー」など)のライターであったことも発見しつつ、当然のごとく出会ったのが、彼の代表曲の一つ「スイート・キャロライン」です。この曲名の「キャロライン」は、JFKことジョン・F・ケネディ元大統領の遺児で、現駐日アメリカ大使であるキャロライン・ケネディであることは、1960年代生まれ以前のアメリカ人であれば誰でも知っている(多分)有名な話ですが、実際にニールは、父親JFKが勤務するホワイト・ハウスの庭で愛犬ならぬ愛ポニーに乗ったキャロラインの写真にインスパイアされて書き上げた(実際の曲リリースは、JFKの死後である1969年)とニール本人は語っています。

 キャロライン・ケネディの話と共にご存じの方も多いかと思いますが、この曲はもう一つ、ボストン・レッドソックスの“テーマ・ソング”としても非常に有名です。ですが、これはそんなに昔の話ではなく、この曲がフェンウェイ・スタジアムでレッドソックスのテーマ・ソングとして使われたのは1997年頃であると言われています。
 その理由は?これは実は私もしばらくわからず仕舞でした。なにしろ、ニール・ダイヤモンドをボストンを結ぶ線が無いのです。ニールは生粋のブルックリナイト(ブルックリンっ子)ですし、ボストンに住んでいたと言う話は聞いたことはありません。一歩のキャロライン・ケネディもニューヨーク(マンハッタン)生まれで、その後、父親の仕事でワシントンDCに引っ越したわけです。唯一、JFKがボストン郊外のブルックラインの生まれ・育ちですが、実のところは、レッドソックスのゲームで8回裏の攻撃の前にいろいろな曲をかけて盛り上げようとしていたところ、この「スイート・キャロライン」をかけた時が一番盛り上がったので、それが定例化した、という嘘のような本当の話だそうです。
 ですが、ボストニアンである私の友人の一人に言わせれば、そこにはキャロライン〜JFK〜リベラル〜民主党の牙城ボストン&マサチューセッツ州というメンタリティがある、ということですが、やはりボストニアンである他の友人に言わせれば、それは後付の理由だ、となります。まあ、これは受け取る人の気持ち・解釈・思い入れの問題ですから、YesでありNoであるということでしょう。

 それよりも、私にはニール・ダイアモンドというシンガーが、何故これほどまでにアメリカで愛されるのかが少し不思議でした。アメリカの男性ボーカルというのは、特に60年代後半以降ポップス、ロック、R&Bを中心に、ミドル〜ハイ・トーンのシンガーが人気を得ていったと言えます。しかし、ニールは低く鳴り響く“圧倒的な”バリトン・ボイスであり、かなりクセのある声質を持っています。つまり、ニールはアメリカのポップス・シンガー史上、非常にユニークな存在であると言えますし、彼に似たシンガーというのはほとんどいない(ウィル・ファレルが「サタデイ・ナイト・ライヴ」でよくニールの物真似をやっていましたが)とも言えます。
 バリトン・ボイスで知られるアメリカの国民的シンガーの一人に、ジョニー・キャッシュ(バリトンよりもバスに近い)がいますが、彼の場合はカントリー&ゴスペルというアメリカのメガ市場に支えられたことと、破天荒な人生とアメリカの良心とも言える反骨精神があげられますが、ニールの場合はジョニー・キャッシュのようなルーツ性やシリアスさはほとんど見られず、むしろ渋い外見と声とは裏腹に、ノンポリで陽気でお気楽なアメリカ親父的なところがあり、それがむしろ幅広い人気を得ているとも言えそうです。

 さて、ニールは来年3月に地元バークリーズ・センターでコンサートを行うことが決まり、こちらも話題になっていますが、なんと去る9月末に、自分の出身高校で無料サプライズ・コンサートを決行しました。これは当日朝まで場所も知らされずというシークレット・ライヴでしたので、僅か200人収容のホールで鑑賞できた人は本当にラッキーであったと言えます。
 このシークレット・ライヴが行われた彼の母校は、エラスマス・ホール高校というブルックリンはプロスペクト・パークの南側にある公立校ですが、ここは創立1905年、その前身であるエラスマス・アカデミーに関しては1786年創立という大変な歴史と由緒ある学校です。昔からニューヨーク出身の有名作家や映画俳優などを多く輩出している高校ですが、音楽界ではR&Bシンガーでミュージカル「The Wiz」の主演女優としても有名で、かつてはマイケル・ジャクソンの恋人でもあったステファニー・ミルズや、ニューヨークのパンク・ムーヴメントを代表するバンド、ラモーンズのドラマー、マーキー、また元コロンビアやアリスタ・レコードの社長でRCAやBMGグループのチェアマン、そして現ソニー・ミュージック・エンターテインメントのCCOとして、無数の超有名アーティスト達と契約を交わしてきたクライヴ・デイヴィスなどもいます。そうした中でもニール・ダイヤモンドと並んで最も有名なシンガーと言えばバーバラ・ストライザンドで、しかもこの二人は何と同時期に同じ合唱部に所属していたのです。
よって、エラスマス・ホール高校からそれほど遠くない位置にあるバークリーズ・センターで昨年行われたバーバラ・ストライザンドのコンサートは、とてつもない興奮と歓迎に包まれましたが、来年行われるニール・ダイヤモンドのコンサートも、間違いなく熱狂のコンサートとなるはずです。

 さて、一つの高校でもこれだけのミュージシャンがいるのですから、ブルックリン全体で見ると、とてつもない数のミュージシャン達がいます。以下、アルファベット順に上記以外の有名どころを紹介していきますと、アリーヤ、パット・ベネター、アーロン・コープランド、ピーター・クリス(キッス)、モス・デフ、イージー・モー・ビー、レディ・ガガ、デヴィー・ギブソン、アーロ・ガスリー、GZA、マーヴィン・ハムリッシュ、リッチー・ヘイヴンス、リナ・ホーン、ジェイZ、ノーラ・ジョーンズ、リル・キム、ビッグ・ダディ・ケーン、キャロル・キング、タリブ・クウェリ、バリー・マニロウ、マックスウェル、ニルソン、ルー・リード、バスタ・ライムス、バディ・リッチ、RZA、レイモンド・スコット(ワーナーやモータウンに雇われ、ムーグ・シンセサイザーの開発にも影響を与えた“電子楽器の父”)、ニール・セダカ、コニー・スティーヴンス、トニー・ヴィスコンティ、ウルフマン・ジャック(DJ)、等々、クラシックからジャズ、ロック、ポップス、ヒップホップまで、アメリカン・ミュージック・ヒストリーの人名辞典とも言えるような錚々たるミュージシャン達の名前があげられます。

 今回は、ニール・ダイアモンドから始まり、ブルックリン出身のミュージシャン達の話となりましたが、ミュージック・シーンも含めた最近のブルックリン・ブームというものが、決してにわかブームや単なる流行といったものではなく、アメリカの音楽史の一部と言えるほど豊かな歴史やバックグラウンドに支えられたものであるということを少しでもご理解いただけたらと思う次第です。

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