【I Love NY】月刊紐育音楽通信 June 2013
(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)
アメリカでの、5月の最終月曜日はメモリアル・デーです。
この日は厳密には、「戦没兵士追悼の日」であり、元々は南北戦争終結後、戦没者を追悼する日として各州で始まりました(発祥の地はニューヨークであるとも言われています)。
しかし、近年になって、ハッピー・マンデー(月曜日振り替え休日)が法案化され、土曜日からの3連休となったため、単なる連休という感も強まり、追悼自体も亡くなった家族にも拡大されるなど、家族の連休的な要素も強まっていきました。しかも、ニューヨークを含めて、海に面したアメリカ北東部では、この日から9月第1週の月曜日のレイバー・デーまでが海開きとなるため、“夏の始まり”という浮かれ気分も一層強まります。
そんなわけで、ここでも戦没者を家族に持つ“戦没者追悼派”と、夏休み気分の“浮かれ派”との対立も存在するわけです。アメリカは日本と違って戦争が過去の話ではなく、常に今も続行中であるが故に、新たな戦没者も毎年増えています。
よって、戦争に関連する祭日というのは、いろいろと複雑な面もはらんでいます。
メモリアル・デーは何故かスポーツ・イベントも盛んです。
ニューヨークでは大リーグのサブウェイ・シリーズ4連戦がメモリアル・デーから始まります。ブロンクスのヤンキースと、クイーンズのメッツの対決となりますが、サブウェイ・シリーズと言っても、実は両スタジアム間は地下鉄1本では行けず、マンハッタンで乗り換えとなります。
今年はまずメッツの本拠地シティ・フィールドで2戦、続いてヤンキースのヤンキースタジアムで2戦となりますが、シティ・フィールドの第2戦で黒田投手が先発の予定です。
この黒田選手、昨シーズンは大いに活躍し、人気も上々で、特に評価と信頼度は絶大であったにも関わらず、シーズン中は結局「クロダTシャツ」は製造・販売されず仕舞いでした。今年は遂にTシャツ登場となり、目下のところ勝ち星も防御率もヤンキースではトップですし、サバシアに続く先発2番手ながら、文字通りのエースとして一層の活躍が期待されています。
トピック:変わらぬ音楽の姿と、変わりゆく音楽の流通(前編)
いつの時代においても、どこの国や町においても、一般的に音楽の楽しみ方というのは、大抵似たようなものであると思います。
つまり、音楽を聴いて楽しみ(ラジオ、レコード、CD、MP3など)、音楽を聴きに(観に)行って楽しみ(ライヴハウスやコンサートなど)、音楽(楽器や歌)をプレイして楽しむ、という三つが主なパターンとなるのではないでしょうか(もちろん作・編曲する楽しみもありますが)。
かく言う私も、自分の人生においては、ずっとそれらが最高の楽しみとなってきましたし、特に中高生の頃などは、貯めたお金は全てそれらにつぎ込んでいたと言えます。
とはいえ、私が中高生の頃は70年代。全てがアナログの時代でしたし、聴いて観に行ってプレイすることは同じであっても、それらの購入方法や情報収集方法などは今とは全く異なる状況でした。
今のようなインターネット時代とは異なり、全て自分の“足”を使って動かなければなりませんでしたが、そうした中でも、レコード屋と楽器店は最も有意義で楽しい“音楽市場”であり、“溜まり場”でもあったわけです。
あれから約40年が経ち、販売・購入の拠点であったレコード店と楽器店がほとんど消えてしまった(特にマンハッタンにおいては、大型店は皆無です)ということには、寂しさよりも音楽メディアの販売・購入形態の変化・発展に驚くばかりです。
70年代は、ラジオと雑誌も重要な情報源でした。どちらも今ほどの種類はありませんでしたが、ラジオに関してどちらもAM中波ではありましたが、ラジオ関東とFEN(在日米軍向けの極東放送。現AFN)がオンエアしていた全米トップ40(DJはケイシー・ケイサム)は、私にとって毎週マストのラジオ番組でしたし、トップ40のチャートのソースであるビルボード誌や、当時もう一つのメジャーなチャート雑誌であったキャッシュボックス誌(当然どちらも洋書)を少ないお小遣いを貯めて大枚はたいて買うこともしばしばありました。
つまり、当時はチャートが音楽の人気・流行の目安であり、情報源でもあったわけです。
しかし、音楽は多様化する一方で、逆にマーケット/ビジネス的にはチャートのジャンルや分類自体が弱者切り捨て的に統合・集約されていく傾向で変化していき(つまり、販促展開を容易にするという点で)、またその一方でダウンロード数というチャート基準が登場するようになりました。
その結果として、レコード/CDメディアの衰退と共に、チャートの“権威”といったものも落ちていき、チャートというもの自体が音楽市場においてインパクトを弱めていき(キャッシュボックスは96年に廃刊し、近頃オンライン・マガジンとして復活)、売り上げ自体も“数”よりも“金額”の方が説得力を持つようになっていきました。
AM中波に対して、FM長波はサウンド・クオリティの面から音楽に適していますし、当時は情報収集よりも、“エアチェック”と呼ばれる、オンエアされる番組を録音して楽しむのが主流でした。
情報収集という点で言えば、70年代当時はFM雑誌というものも非常に有効でしたし、例えば、「FM fan」や「FMレコパル」といった雑誌でチャートや新譜をチェックし、FMオンエアの番組表をチェックして、お気に入りの音楽を見つけてはエアチェックし(しかも6ミリのオープン・リール!)、それをカセットにダビングして聴いて楽しみ、その分レコードを買うお金をセーヴしたものでした。
これもFMラジオというメディア自体が一般化・大衆化・多局化していくことによって逆にスペシャリティが失われていき、サテライト・ラジオの登場もあって、音楽が聴く人の好みに合わせて細分化・カスタム化されるようになっていきました。
オープン・リールもカセットも市場から消え、オープン・リールからカセット、レコードからカセット、カセットからカセット、などといったダビングもされることがなくなり、単にデータがコピー(送信)される世の中になりました。
こういった状況・推移の中で、70年代においてはレコード、特にアルバムを買うというのは勇気と決断力のいる行為でもありました。なにしろ、シングル・ヒット曲以外はほとんど事前にチェックすることができなかったからです。
今はアマゾンなどのオンライン販売サイトやiTunesなどで、ほとんど全ての曲のサンプルを聴くことができますが、70年代当時は、そんな便利なものはありませんでした。レコード店もCD時代になって視聴コーナーが充実するようになりましたが、LP時代は視聴などというものは存在しなかったわけです。
恐らく、視聴する唯一の方法は、レコード店のマスターと仲良くなって何曲か聴かせてもらう、という程度であったように思います。私自身も、当時輸入ロック・レコード店の代表的な存在であった新宿レコードでよく聴かせてもらったことを覚えています。
また、単なる視聴とは弱冠異なりますが、ある友人が話題のレコードを購入したら、その友人の家に聴きに行く、ということもよくありました(よって、レコードを頻繁に買える裕福な子の家は、よく“溜まり場”にもなったものです)。そうやって、いろんな友人の家を渡り歩いていたものでしたが、音楽を通じて友人達とのコミュニケーションも取られていたわけです。ちなみに、ケチな友人は自宅でしかレコードを聴かせてくれませんでしたが、大らかな友人とはレコードを貸し借りしあったり、カセットにダビングし合って楽しんだものでした(笑)。
この視聴という行為は、結果的にレコード/CDの販売減につながったというデータもあります。つまり、視聴した結果、これは今一つ気に入らない、または出来が今一つ、と判断した場合は購入を控える結果となるからです。
逆にいえば、視聴の無い時代は、シングル曲に“吊られ買い”であるとか、“思い入れ買い”や“期待買い”であるとか、“ジャケ(アルバム・カバー)買い”であるとか、思い切った冒険的な決断が成されることが多々ありました。
よってその結果、買ってガッカリ、買って失敗というパターンも結構あったわけです(私自身は、買って失敗したレコードを、別のレコードを持っている友人と物々交換したりもしましたが)。
それが今は、視聴ができるだけでなく、自ら視聴したいと思わなくても、無料配信のニュース・レターやプロモーションなどを通じて、黙っていても情報が入ってくるような時代になりました。
昔は好きなアーティストの新譜の発売をいち早くキャッチしようとアンテナを張り巡らせていたものですが、今は情報配信サイトなどで自らの好みやリクエストをセッティングしておけば、そうした新譜情報は黙っていても常に最新のものが入ってくるようになりました。
つまり、情報に関しては“自動(自ら動く)”ではなく“他動”、“自主的”にではなく“他人任せ”にしておいてOKという状態なわけです。
さて次回の後編では、ライヴ/コンサートのチケット状況と、楽器購入の状況を中心に“変わりゆく音楽流通”の話を進めていきたいと思います。
次回も今回同様、自分自身の昔話を引き合いに出しながら現在の状況と比較し、主に音楽を楽しむ側から見た話をいろいろと書き連ねていく予定ですが、それは「昔は良かったね」的な自分の思い出話を聞いてもらいたいということではなく、音楽の姿というものがいかに変わったかということを、私達は今こそしっかりと再認識すべきではないか、ということを最近益々強く感じるからです。
ここ40年ほどの間に、何が消え、何が登場したのか。
そして、そこから今後何が生まれてくる可能性があるのか。そういったことを、私達は見極めていかなければならないのではないでしょうか。