【I Love NY】月刊紐育音楽通信 May
(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)
ようやくニューヨークも春到来です!
分厚いコートを脱いで、公園でのんびりしたり、オープン・カフェで食事をしたり、と開放感たっぷりの季節がやってきました。
しかし、それに対して花粉のひどさ…。やはり花粉は年々深刻になっていくようですが、花粉症は環境汚染の一つであるという認識を大半の人達がまだ持ちえていないのは残念です。薬漬けの食品と大気汚染・環境破壊。私達の体が被っている被害は全て、自らの無知と無自覚、虚栄心と征服欲、そしてそれらによってもたらされた過失から来ている、ということに私達はもっと気付くべきではないでしょうか…。
そんな思いを新たにした先日4月22日のアース・デーでした。
トピック:現在の“アメリカ音楽の聖地”は何処か?
皆さんはアメリカ音楽の聖地と言えばどこをイメージされるでしょうか?
ニューヨーク?ロサンゼルス?ナッシュビル?ニューオーリンズ?
どこもそれぞれの歴史と文化を持った、アメリカを代表する音楽の聖地であると思いますが、今月は、現在の”アメリカ音楽の聖地”の状況を探り、紹介してみたいと思います。
まず最初に個人的な話からさせていただきますと、私にとってアメリカ音楽の聖地と言えば、それはナッシュビルであり、ニューヨークでした。
カントリー音楽からアメリカ音楽にのめり込んだ私としては、前者は間違いなく聖地でしたし、70年台の音楽が最も多感な頃のリアルタイム音楽であった私にとっては、ニューヨークは間違いなくもう一つの聖地でした。
70年台と言えば、ロサンゼルスももう一つの聖地と言えましたが、セッションやレコーディング、そしてビジネス的に言えば、ニューヨークの方がロサンゼルスよりも少し”先を走っていた”、つまり時代をリードしていたという感があります。
なにしろ、特に70年代におけるニューヨークのレコーディング・セッション状況というのは、今の音楽ビジネスの何倍もの規模を誇っていたと言えますし、今考えるとちょっとクレイジーな状況であったと言っても過言ではありませんでした。
私の人生を変えたとも言える重要なレコードに、スティーヴィー・ワンダーの「ソングス・オブ・ザ・キー・オブ・ライフ」という歴史的な作品がありますが、このレコーディングはロサンゼルスのクリスタル・サウンド・スタジオを始め、何箇所かのスタジオで行われたのですが、ニューヨークのスタジオとして選ばれたのが、当時できたばかりのヒット・ファクトリーでした。
このヒット・ファクトリーは、残念ながら2005年にクローズしてしまいましたが、同スタジオにおける初レコーディングとなったスティーヴィーの同作品の後、ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」、トーキング・ヘッズの「フィアー・オブ・ミュージック」、ジョン・レノン&ヨーコ・オノの「ダブル・ファンタジー」、ポール・サイモンの「グレイスランド」、ノートリアスB.I.G.の「レディ・トゥ・ダイ」など、歴史に残る、また歴史を動かす数々の名作を生み出してきました。
レコーディング・セッションだけでなく、当時のニューヨークはクラブ・サーキット(ライヴ・シーン)も極めて盛んでありましたし、新しいアーティストやバンドが次々と登場したことは周知の事実でもあります。
当時からニューヨークとロサンゼルスは、アメリカ音楽の2大聖地として競い合っていましたが、特に70年代後半から80年代にかけて音楽産業が肥大化していくにしたがって、ロサンゼルスの方が活性化していったとも言えます。
このことは、スタッフ(Stuff)とTOTOという両者を代表する二つのセッション・バンド(またはセッション・ミュージシャンのバンド)の活動を見ても明らかであると言えます。
前者は70年代初頭から中頃にかけて、後者は70年代後半から80年代前半にかけて、誰のアルバムを聴いても彼等の内の何人かが参加していると言っても過言ではない状況でした。
しかし、音楽シーンも志向(または嗜好)の変化やテクノロジーの進化に伴って多様化していき、かつてのニューヨークやロサンゼルスのような一極(二極)集中的な状況は徐々に失われていきました。
ただし、それまでと同様なミュージシャンによるレコーディング・セッションに関しては、レコード会社の移転・進出も後押しとなり、ナッシュビルが再び大きな脚光を浴びていったと言えますし、それは現在のカントリーやポップスを中心としたメジャー音楽シーンにおいても変わっていないとも言えます。
この80年代における一極(二極)集中の崩壊は、ある意味でアメリカの音楽業界を健全なものに、そして活気あるものに変えていったと言うこともできます。
つまり、音楽のローカル化が盛んになっていったわけです。
その代表とも言える一つが、ワシントン州(DCではなく、西海岸はカリフォルニア州の北にある州)の田舎町から登場し、その後、シアトルのグランジ・シーンを形成する基礎ともなったニルヴァーナでしょう。
彼らの出身地であるワシントン州のアバディーンはもちろんのこと、シアトルという都市も、これまで音楽的には注目されることさえ無かったわけですが、ニルヴァーナと共にサウンド・ガーデンやアリス・イン・チェイン、パール・ジャムなどといったバンドの登場で、シアトルは一気にアメリカ全土の注目を浴びることにもなりました。
更に、グランジ以外にも王道ロック系のハート、メタル系のクイーンズライチ、プログレッシヴなジャズのビル・フリゼール、スムーズ・ジャズのケニーG、など、実にユニークな個性を多数排出してきたと言えます。
シアトルほど顕著ではありませんが、こうした動きは、その後もアメリカ各地で起こり続け、クラブ・サーキットについては、ニューヨークやロサンゼルスの停滞振りを尻目に、ニューオーリンズやデトロイトなど、かつての音楽的な聖地も次々と復興、興隆してきているのが現在の状況であると言えます。
ニューヨークとロサンゼルスの停滞振り、と書きましたが、その大きな理由の一つは、ニューヨークに関しては家賃と物価の高騰、ロサンゼルスは80年代の肥大化後以降、その規模はある意味で維持され続け、ビッグ・マネーの動くビッグ・ビジネスしか通用しない、または相手にされないというビジネス・メンタリティがあると言えます。
よって、この二つのかつての音楽の聖地は今、クリエイティヴで志のあるミュージシャン達にとっては、最も生き残るのが大変な街であると言えるのではないでしょうか。
実際に、最近のニューヨークのクラブ・サーキットの質の低下は本当に嘆かわしい状況であると思います。クラブの数が圧倒的に減り、ミュージシャン達にとってはアゲンストな状況であることはもちろんありますが、優れたアーティストやバンドが出てこれない、育たない、という状況に関しては、クラブ・オーナーや経営サイドの刹那的・打算的・日和見主義的な姿勢・態度が大きな災いになっていると私は実感しています。
そうした大都会の状況に対し、地方都市の動きは益々活発になってきていると言えます。
例えば、最近ヒップスターの代名詞(そして、シアトルと共にコーヒー文化も盛んな所です)のようにもなっている、シアトルの南、オレゴン州のポートランドは、オルタナ系のインディー・ロックやポップ・ロック、サイケ・ロック、そしてインディ・フォークやカントリーなど、独自のユニークなムーヴメントが目立ってきています。
そこから遥か東に進んだ中西部のデトロイトは、かつてモータウン(有名どころでは、マーヴィン・ゲイとジャクソンズ以外は、ほとんどデトロイト出身ですね)で一世を風靡したものの、自動車産業の衰退と共に街は過疎化し、治安は最悪になり、ついには市が倒産するというとんでもない事態にまで進展してしまいました。
しかし、エミネムに代表されるヒップホップ、デトロイト・テクノに代表されるようなインダストリアル・サウンド的なクラブ・ミュージック、また、アリス・クーパーやストゥージーズ(イギー・ポップ)など、ハードでパンキッシュでビジュアル・イメージも重視したロックは、最近のジャック・ホワイト(ホワイト・ストライプ)などにも受け継がれていると言えます。
また、モータウンよりも遥か昔からブルース、ジャズ、R&Bの豊かな文化を誇る土地柄ゆえ、ルーツ音楽オリエンテッドでありながらも、新しい感覚やムーヴメントを意欲的に取り入れてくという、ミクスチュア度の高いところは非常にユニークな点であるとも言えます。
次に南部に目を移すと、2005年のハリケーン、カトリーナによる壊滅的な被害からようやく立ち直ってきた感のあるニューオーリンズがとても熱いと言えます。
元々豊かな歴史と文化を誇るアメリカ文化の宝庫であったわけですが、カトリーナによる被害は、そうした宝庫を完全に封印しかねないほど甚大でした。
しかし、10年近い年月が過ぎ、今も復興の進まない地域は山ほどあるものの、中心部を核に、音楽的にも新たなムーヴメントが登場してきていることは間違いありません。
ここもジャズ、R&B、ファンクなどといったルーツ音楽志向は中西部よりも更に強く、特にアフリカとフランスからの影響の強さは全米一であると言えますが、ヒップホップやメタル系ロックなども根強く、また最近は特にルーツとモダンとの優れたバランス感覚を持ったミュージシャンが他の都市以上に目立ってきていると感じます。
ニューオーリンズとデトロイトとのほぼ中間地点にあるのがナッシュビルであり、同じテネシー州のメンフィスと、お隣りジョージア州のアトランタは、今もサザン・ミュージックの”黄金のトライアングル”と言えます。
まずメンフィスは、南北戦争以前は最大の奴隷市場の一つとして、また現代ではキング牧師が暗殺された場所として知られ、負のイメージが強い部分もありますが、南北戦争中は北軍の補給基地であったことからも、南部の中では人種間の交流が盛んな所でもありました。
その証拠に、このメンフィスを代表する二つのレコード会社スタックスとサンは、50年代から黒人と白人が一緒に音楽を作り出していたことも注目に値します(特にサンはプレスリーで有名ですが、元々は黒人音楽を白人に広めるという目的を持っていました)。
また、当初から大手レコード会社のアトランティックとディストリビューション契約を行っていたスタックスと異なり、サンの黄金期は基本的にインディーズであった点も注目されます。
メンフィスは、今や当時のような活気は無く、歴史的な街としてその名を残している感じがしますが、それでもサザン・ミュージック・シーンの”良心”とでも言うようなミュージック・スピリットを支えているということは確かであると思います。
メンフィスはテネシー州の中でも西端にあって、アーカンザス州との境にあるわけですが、テネシー州の中心にあるナッシュビルと、距離的にはメンフィス〜ナッシュビル間とそれほど変わらないジョージア州のアトランタは、現在もサザン・ミュージック・シーンの拠点とも言える活気を保っています。
特にアトランタは、同州のメイコンと共にサザン・ロックの聖地的存在でもありますが、昔からブルースやR&Bとカントリーが共存した豊かな音楽文化があり、近年はパンク・ロックやヒップホップ(アウトキャストなど)なども盛んで、クラブの多さと、ミクスチュア度の高さも特徴です。
特にクラブ・サーキットとしては、全米でも屈指の活気ぶりを誇っていると言えますし、デビュー前のジョン・メイヤーがアトランタを拠点にしてクラブを回り、修行をしていたことも知られています。
一方のナッシュビルは、アトランタのクラブ・サーキットに比べれば、もっとミュージック・ビジネスの街というはっきりとした性格を持っています。
カントリーの聖地として知られるナッシュビルは、カントリーに関する博物館やランドマーク、レジャー施設などもいろいろとあって、カントリーの観光地またはテーマ・パークと皮肉られることもしばしばですが、ダウンタウンの南西に位置するミュージック・ロウには、大小合わせると数百の音楽系企業のオフィスとスタジオが並び、今やアメリカ最大の音楽産業の聖地であることは間違いありません。
確かに音楽的にはカントリーとゴスペル、そしてコンテンポラリーなクリスチャン・ミュージックが圧倒的ですし、ここ数年来の再開発によってダウンタウンもミュージック・ロウも高級レストランやショップが次々と建ち並び、さながらミニ・ニューヨーク的なハイソ感も強まっています。
しかし、ミュージック・ロウの近くには二つの大学(ヴァンダービルト大学とベルモント大学)があることもあり、これらのエリアを中心にビジネスや観光レベル以外で見ると、音楽的にも意外と自由な雰囲気を持っており、街全体としても多面性・多重性を持ち合わせているというのも興味深い点です。
まだまだ上記以外にも紹介したい、特徴と活気のある注目都市・エリアはたくさんあるのですが、それらを網羅しようとなると一冊の本ができてしまうので(笑)、今回はここまでとさせていただきたいと思います。
ですが、最後に一つ強調したいことは、これら多種多様な都市から出てきたアーティストやバンドは、ネイションワイド(アメリカ全土)のツアーという洗礼を受けて更に鍛えられるという点です。私はこれこそ、アメリカの有名ミュージシャン達が、一見ポッと出に見えても、実力的にはかなりしっかりとしたものを持っている大きな理由でもあると思います。
つまり、例え地元で圧倒的な支持を受けたとしても、アメリカ全土を回ってさらに切磋琢磨されるわけです。
全国ツアーで成果を挙げられず、結局地元に戻って地道な活動を続けていくアーティスト達がほとんである中で、歴史的にも、文化的にも、人種的(人種構成的)にも大きく異なる様々な州を回り、その結果、全国区の人気を得ることのできるアーティストというのはほんの一握りですし、だからこそ、そうやって荒波の中でもまれてきた彼等は、様々な面において”強く、魅力的”であるのだと思います。
残念ながら、今のニューヨークにはそうした荒波の中から抜け出してくるようなアーティストやムーヴメントは数少ないと言えますし、それを後押しするスタッフやクラブ、業界も限られていると言えますが、アメリカ全土で見れば、常にどこかが動いているというポジティヴな期待感が満ち溢れていると言えるでしょう。