【I Love NY】月刊紐育音楽通信 November 2012

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

 前回、大統領選がロムニー候補の失言で、急速に失速状態に陥った(陥りそうになった)ことをお話ししましたが、その後の討論会でオバマ大統領が精彩を欠き、ロムニー候補が一気に盛り返してきたことはご存じの方も多いと思います。計3回行われる、候補者が対決する討論会は、その後オバマ大統領が反撃に出て、最終的には五分五分と言っても良い拮抗した状況に戻ってきました。
 これで大統領戦もかなり盛り上がってきたと思っていたところに、観測史上最悪と言われるハリケーンの到来です。なんでも1938年以来の“スーパー・ハリケーン”だそうで、ニューヨークの街が完全にシャットダウンしたのは2001年の9・11テロ以来となります。


 それにしても、こうしたことでいつも思うのは、アメリカ人の“こだわらない・ひきずらない”性格と、“大袈裟に煽って警戒心を高めさせ、万全の体制を取る”という対応方法とその早さです。普通に言えば、ロムニー候補は大失言で自滅は間違いなかったのです。それが攻めの一手で見事に復活してきました。今回のハリケーン対策も、ちょっとやり過ぎではないのか?と思えるくらいまくし立てて、交通機関や公共施設などを次々とクローズしていきました。今回の大がかりな対応によって、経済的な損失は様々な方面で甚大なものになると言われます。しかし、それで結果的にハリケーンが大したことがなくて被害が無ければ、それで良し、という寛大で大雑把なノリなのです。
 人間はみんな間違いを犯す。自分にとってどんな不都合があろうと人の命が第一。そんな基本的なコンセンサスが、この国を大胆にパワフルに動かしているのだと感じます。 

トピック:ブルックリンのバークレイ・センター完成とジェイZの野望

 前回もお伝えしましたが、去る9月28日から8日間、ブルックリンにできた多目的アリーナ、バークレイ・センターと、そのホーム・チームとなったNBA(プロ・バスケット)のブルックリン・ネッツの共同オーナーであるジェイZのオープニング・コンサートが行われ、全公演はソールド・アウトの大盛況となりました。
 ジェイZは自分のチーム、ブルックリン・ネッツのキャップとジャージを着てステージに登場し、1曲目は「Where I’m From」でスタートですから(ジェイZはブルックリンのベッド・スタイ地区の出身)、ニューヨークのファンの熱狂ぶりは凄まじいものでした。おまけに、「俺は世界中で数え切れないほどのステージを経験してきた。でも、今晩このブルックリンでのステージのような(素晴らしい)気分は味わったことがない!俺は神に誓うよ!」などと叫ぶものですから、聴衆は更に大興奮です。ステージの最後は、待ってましたとばかりに奥様のビヨンセが登場し、興奮のボルテージは頂点にまで達しました。ちなみに今回のライヴ・コンサートは、早速数日後に8曲の音楽と映像がiTunesでダウンロード可能になり、EPとしても発売されました。
 このこけら落としコンサートに先立ち、ジェイZは自分のクラブ40/40でパーティを行い、数々のセレブ達に加えて、ニューヨークのブルームバーグ市長や、NY市警のケリー総監などもお祝いにやってきましたが、ジェイZは一般市民へのサービスも忘れていません。なんとジェイZは地下鉄に乗ってコンサートに向かうという大パフォーマンスもやらかしてくれたのです。ジェイZがニューヨークの地下鉄に乗ったのは、なんと18年ぶりだったそうですが、屈強なセキュリティに囲まれての異様な“出勤”だったようですが、思ったほどの混雑や騒動はなく、周囲も意外と普通に反応していたようです。
 このバークレイ・センターに関しては、その後更にビッグ・ニュースがありました。
NBAのニュージャージー・ネッツに続いて、今度はなんとニューヨークのロングアイランドを拠点としていたNHL(プロ・アイスホッケー)のニューヨーク・アイランダーズが、ブルックリン(バークレイ・センター)に移転することが決まったのです。これでアメリカ4大スポーツのうちの2つ(半分)がブルックリンにやってきたことになり、1957年にMLB(大リーグ)のブルックリン・ドジャースがロサンジェルスに移って以来、ブルックリンはかつて無いほどの盛り上がりを見せています。このアメリカ4大スポーツのうちの2つのフランチャイズいうのは、マンハッタンのマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)と同じです。MSGは、NBAのニューヨーク・ニックスと、NHLのニューヨーク・レンジャーズが拠点としています。このニックスとネッツ、レンジャーズとアイランダーズというのは、昔から長年に渡ってライバル・チームでしたので、これでマンハッタンとブルックリンのライバル意識が更に増して一層盛り上がることは必至です。

 そんなわけで、最近のNYの音楽界はジェイZ旋風に圧倒されているような感じですが、私自身は先日、このジェイZの熱狂ライヴとは実に対照的な、静かで感動的なコンサートを経験することができました。それは、カントリー・ポップのスーパー・スター、グレン・キャンベルの“グッドバイ”コンサートです。
 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、グレンは昨年“ラスト”アルバムもリリースしました。彼は現在76歳。高齢ではありますが、何故“グッドバイ/ラスト”なのでしょう。それは、彼が現在アルツハイマー病と闘っており、音楽活動に支障を来すレベルにまで達してしまったからです。
 グレン・キャンベルという人は、日本ではそれほどの評価はされていないかもしれませんが、アメリカではポピュラー音楽における伝説の偉人のような存在です。そもそも彼は才能豊かなギタリストであり、60年代においてはロサンジェルスのスタジオ・ミュージシャンの頂点にいた人でした。今もグレンはアメリカ音楽史上、トミー・テデスコ、スティーヴ・クロッパー、スティーヴ・ルカサー、ラリー・カールトン、ナイル・ロジャース、コーネル・デュプリーなどと並ぶセッション・ギタリストの最高峰と高く評価されていますし、当時はドラマーのハル・ブレインを中心としたスタジオ・ミュージシャン集団、レッキング・クルーの一員でもあり、プロデューサーのフィル・スペクターが最も信頼した“クルー”の一人だったのです。そんなグレンが63年にレコーディングしたヒット曲は600曲(!)を超えると言われていますし、例えばフランク・シナトラの「夜のストレンジャー」、モンキーズの「恋に生きよう(アイム・ア・ビリーヴァー)」を始め、エルヴィス・プレイスリー、ナット・キング・コールなどといった大スターの大ヒット曲でギターをプレイしているのが彼なのです。その後、64年にはビーチ・ボーイズに加入し、名作「ペット・サウンド」のギターも手掛けました。ビーチ・ボーイズでの活動は僅か半年で、ステージではベース担当でしたが、その後、60年代後半からソロとして「ジェントル・オン・マイ・マインド」、「恋はフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、「ガルヴェストン」、「ラインストーン・カウボーイ」、「サザン・ナイト」などのナンバー1ヒット曲を飛ばし続け、自分のテレビ番組も持ち、映画にも出演するなど、アメリカを代表するスーパー・スターの一人となった人です。
 私事で恐縮ですが、実は私が始めて自分でお金を出してコンサートを観に行ったのがグレンであり(1974年)、そこでグレンのギターと共に大きくフューチャーされていたバンド・メンバーのカール・ジャクソン(エミリー・ハリスなどのプロデューサー)に刺激されてバンジョーを始めたという次第なのです。ですから、私にとってグレンはミュージシャンとして最初のヒーローでもあるわけです。
 そういった体験をしてきたアメリカ人は無数にいると思いますし、彼の存在というのはアメリカ音楽界の中ではとてつもない大きさを誇っていると思います。その証拠に、グレンは今年のグラミー賞で「ライフタイム・アチーヴメント賞」を受賞し、授賞式ではグレン本人を交えた感動的なパフォーマンスが披露されました。その時のテレビ・カメラは客席の感動・興奮ぶりもうまく捉えていましたが、私はグレンが歌う「ラインストーン・カウボーイ」で、客席で立ち上がって踊りながら一緒に楽しそうに歌っていたポール・マッカートニーとレディ・ガガの姿がとても印象的でした。
 そんなグレンが、アルツハイマー病に犯され、これ以上の音楽活動は不可能と自ら判断して、最後のレコーディングとツアーを行いました(ツアーは現在も継続中です)。ニューヨークでの“さよならコンサート”は10月13日カーネギ−・ホールにて。私はドラマーである娘(20歳)を連れて出掛けましたが、恐らく客席では娘が最年少であったでしょう(もしかしたら私がその次?)。
 去年の8月に発表されたグレン最後のアルバム「ゴースト・オン・ザ・キャンバス」は、彼をヒーローの一人として尊敬してきたスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン、チープ・トリックのリック・ニールセン、ボブ・ディランの息子のジェイコブや、俳優でもあるクリス・アイザック、80年代を代表するオルタナ系ロック・バンドの一つであったザ・リプレイスメンツのポール・ウェスターバーグといった面々の演奏と楽曲提供の両面によるサポートなどもあって、あまりにも素晴らしい出来であったので、私はその音楽世界が再現されるのでは、と期待していたのです。しかし今回の“さよならコンサート”は、そうしたクオリティの高い完成されたプロダクションの対極にあるかのような、“家族に囲まれたアット・ホームな雰囲気のファミリー・コンサート”でした。ドラム、ギター、バンジョー&キーボードを務める3人の子供達(4人目の奥さんの子供達なので、皆20歳代の若さです)を中心とする若いメンバー達(キーボードだけは30年以上グレンと共演している大ベテラン)に支えられ、時に歌
詞を忘れたり、曲順を間違えたり、出だしのキー(調)を間違えたりしながらも、それらをジョークで笑い飛ばし、かつてのスーパースター、グレン・キャンベルからは考えられないような、ほのぼのとしたステージとなったのです。
 中でも、グレンのすぐ横で、常にグレンを見守り、支えていた末娘のアシュレイ(バンジョー&キーボードなど)とのやりとりが微笑ましく印象的でした。グレンが最後のアルバムのオープニング曲をプレイする前に曲紹介をして、「この曲もジミー・ウェッブ(「恋はフェニックス」を始め、グレンとは名コンビだったソングライター)が書いた素晴らしい曲で・・」と言い始めると、「違うわよ…パパが書いたんでしょ」「エッ?誰だって?」、「パパよ、パパ!」、「ああ、そうだったっけ?」と言った具合で、客席は失笑・爆笑の渦に包まれました。更に、MCの途中で「頭が痒いな…」とか「ズボンのベルトが緩いな…」などとポロッと口に出してしまうなど、気ままなお爺さんぶり(?)も炸裂でした(笑)。
 まだまだ張りのある素晴らしい歌声は見事でしたが、グレンの黄金時代を知る者にとっては、上記のように失望とショックを受けるような場面も何度かありました。しかし、それでも音楽は存在し、人々に感動を与えるのです。
 マイケル・ジャクソンのように、衰えを見せずに消えていくスターもいれば、グレンのように衰えをさらけ出しながらも人々を感動させるスターもいる。ジェイZのように自信とパワーに満ち溢れた打ち上げ花火のような音楽もあれば、グレンのように静かにきらめく線香花火のような音楽もある。どちらも素晴らしいスターであり、音楽なわけです。音楽の偉大さと素晴らしさを、私は改めて感じさせられました。

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