【I Love NY】月刊紐育音楽通信 October 2013

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

 ニューヨークはすっかり秋らしくなっています。秋と言うよりも、朝晩は時折冬に入ったのではないか、と思うほど冷え込む日もあるくらいです。実際に9月第一週月曜日のレイバーズ・デイ(労働者の日)のホリデイ・ウィークエンドが終わると、ハロウィーン、サンクス・ギヴィング、クリスマスと、あっと言う間に冬に入っていきます。


 そんなNYの風物詩や季節感を感じさせるものが、もう一つあります。それは9.11のテロ、つまり9月11日です。9.11を風物詩や季節感などと呼ぶのはもちろん不届きなことです。しかし、事件から既に12年が過ぎ、遺族の方々を除く一般市民の感覚としては、決して“風化”することはなくとも、重苦しい“過去の記憶”的な風物詩・季節感を感じさせるものになってきていることは確かなのではないでしょうか。
 「今年も9.11が終わったね」そんな会話が何気なく交わされるようになったということは、事件直後のヒステリックなまでのリアクションや、攻撃的な姿勢というものからの大幅な変化と言っても間違いありませんし、それはポジティヴに捉えて良いものであると私は感じます。
 しかし、“大きな傷”は大分癒えたものの、“小さな傷”は逆に根深く、跡を残しているように思います。あの9.11事件以来、NYはすっかり変わったと言えます。それは、ここ最近再開発が著しいNYの街並みではなく、この一見平和に見える“危険でない街NY”に暮らす人々の心なのではないかと感じます。常にテロの可能性や疑いが浮かび上がる中での生活、長引く不況の中での苛立ち、件数自体は減ったとしても悲惨さ・陰惨さを増す犯罪などが、“自己防衛”という姿勢から、“個人主義”ではなく“独善主義”を導き出しているように感じてなりませんし、またそういう“人種”が増えてきている(外部からも)ようにも思います。それは近所づきあいや、日々の移動や買い物などといった日常生活の中にふと現れては消えていく、取るに足らない現象とも言えますが、あのテロを契機に、明らかに人と人との“小さなコミュニケーション”は変わったことを改めて強く感じます。 

トピック:ドクター・ドレーは現代オーディオ機器業界の救世主か?

 先日、日本のあるオーディオ機器メーカーのCM制作の仕事に携わりました。このメーカーは日本では大変有名ですが、アメリカでは知名度は今一つです。今後、このメーカーはアメリカ展開に一層乗り出すようですが、高級オーディオ機器はアメリカでも売れなくなってきていますが、iPod 、iTunes、iPhone、iPadといったアップルの大躍進での中で、ヘッドフォンやイン・イヤー・ヘッドフォンといったモバイル関連オーディオ機器は売れ行きも好調のようです。
 最近はニューヨークの街中を歩いていると、イヤフォンよりも、見た目に大きなヘッドフォンをした若者をたくさん見かけます。私などはこうした若者達を見ると、大きなラジカセを抱えて歩いていた70年代を思い出すのですが、若者達にとっては音のクオリティよりもファッション性が一番重要なようです。
 ヘッドフォンの断トツ一番人気は、ご存じ「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー(Beats by Dr. Dre)」のヘッドフォンです。「b」のデザインを施したカラフルで目を引くデザインは、若者に圧倒的な人気のようです。

 ご存じの方も多いと思いますが、このヘッドフォンはこれまで、ケーブル・メーカーであるモンスター・ケーブル社から販売されていました。同社が、サンフランシスコ在住のエンジニア&ドラマーであるノエル・リーが考案した「モンスター・ケーブル」で一躍有名にったことは、まだ記憶に新しいと思います。
 この「モンスター・ケーブル」は一時異常なまでに大ヒットしましたし、私の回りのミュージシャンやエンジニア達も、猫も杓子も「モンスター・ケーブル」を使い始めました。
 その名前から連想されるように、パワフルなサウンドが特徴の「モンスター・ケーブル」は、高音質伝送が可能であることでも知られていますが、具体的にはケーブル内で電気信号を周波数別に分割して伝送し、周波数の違いによって起こる伝送時間のタイムラグを調整(具体的には、伝送時間の早い高周波の導体を、伝送時間の遅い低周波の導体の回りに巻き付けてタイム調整している)したことが画期的な技術であり(結果的にケーブルは太め)、実際にその音の違いは一聴瞭然でした。

 このモンスター・ケーブル社がケーブルの次に挑戦したのがヘッドフォンで、もともとはイン・イヤー・ヘッドフォンからスタートしたのですが、ヘッドフォンを開発するに当たってモンスター・ケーブル社が手を組んだのが、ラッパーのみならずプロデューサーとしても絶大な人気を誇るヒップホップ界の大物、ドクター・ドレーだったわけです。
 ドクター・ドレーはLAの出身であり、何かとNYのジェイ・Zと比較されることもあります。年齢的にも4歳半くらいしか違わず、ほぼ同世代と言えますし、何よりも二人とも今やミュージシャンだけでなく、“実業家”として名を成している点が共通点とも言えます。
 ドクター・ドレーは、ウェスト・コーストから登場したGファンクと呼ばれるヒップホップのサブジャンルの開祖として、ヒップホップ界の革新者の一人とも言われているわけですが、かつてはスヌープ・ドッグや2パック、その後は、エミネムやメアリー・J・ブライジや50セントなどのプロデュースを手掛けて名声を得てきたのに対し、ジェイ・Zは、プロデュースというよりもリンキン・パークやカニエ・ウェスト、R・ケリーなどとコラボを展開しており、二人の立ち位置は少々異なります。
 しかし、ビジネスのセンスというか“匂いをかぎ取る鼻”は、どちらも引けを取らないくらい超一流で、正に東西の両雄という感じではないでしょうか。なにしろ、ドクター・ドレーはフォーブス誌の昨年の長者番付において、ミュージシャン部門のトップになった人でもあります。この点は、ジェイ・Zを遙かに上回ると言えますが、彼の昨年の収入源の大半は、音楽活動からではなく、何とこの大ヒット・ヘッドフォン「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー」の持ち株の半分(!つまり、まだ半分は彼が所有している)を売却したことによる収益なのだそうです(売却先は台湾の携帯製造メーカーだそうです)。

 さて、モンスター・ケーブル社がドクター・ドレーと手を組んだと書きましたが、実際には、ドクター・ドレーはその提携の3年前ほどから、レディガガやU2、エミネムといったトップ・アーティストが所属するインタースコープ/ゲフィン/A&Mレコードの社長、ジミー・アイオヴァインと共に、ビーツ・エレクトロニクス社を設立し、ヘッドフォンの開発をスタートさせていました。
 ですから、正確にはその数年後に、モンスター・ケーブル社が、ビーツ・エレクトロニクス社製品の独占販売権と開発権を得たということになります。その後、昨年末に両社の契約は切れ、「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー」は再び、ビーツ・エレクトロニクス社の手に完全に戻ることになりました。
 モンスター・ケーブル社との提携時代から、「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー」の戦略は、ミュージック・ビデオでの露出と、有名アーティストとのエンドースメント契約、並びに、有名アーティストとの提携による提携ブランド商品の開発・販売に代表されると言えました。これらは、消費者にとってはとてつもない効果がありますし、実際に、現在「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー」を購入している若者の多くは、音質よりもこの戦略に乗せられ、ファッション・グッズとして捉えていると言っても過言ではないと思います。

 とは言え、そこはドクター・ドレーです。肝腎のサウンド・音質に関するこだわりや哲学をしっかり持っているところが、他社とは違うところです。間単に言えば、ドクター・ドレーの音質に関するコンセプトは、“アーティストが聴いてもらいたいサウンドで聴いてもらう”というものです。これは一見当たり前のようにも思いますが、実は“原音を忠実に再現し、幅広いリスナーに満足してもらえる音作り”を基本姿勢にしていた従来のオーディオ機器メーカーとは対極にあるような発想なのです。オーディオ・メーカーのサウンド・ポリシーよりも、アーティストのサウンド・ポリシーを優先させたところに、ドクター・ドレー(戦略面で言えば、ジミー・アイオヴァインの方でしょう)のアイディアの斬新さ・革新性があると言えます。
 ですから、「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー」の商品は、本家のドクター・ドレー・ブランドを筆頭に、ドクター・ドレーやジェイ・Zと並ぶもう一人の“ヒップホップ・ビジネスマン”ディディーの提携ブランド商品(こちらはイン・イヤー・タイプ)や、なんとジャズの帝王マイルス・デイヴィスのスペシャル・エディション(ジャズ・ファンに向けたマイルスへのトリビュート・ヴァージョンだということですが、果たしてマイルスが生きていたら、そのサウンドを気に入るでしょうか)、そしてアース・ウィンド&ファイアやナイン・インチ・ネイルズなど、様々なジャンルの“セレブ”音楽アーティストとの提携ブランドを次々とそのラインナップに加えています。
 しかも、ドクター・ドレーのメッセージは中々強烈です。「俺達の競合相手(他のオーディオ機器メーカー)にはレコーディング・スタジオで働いたことも無いちんけなエンジニア共がいるんだ。サウンドのこともわからないようなヤツらの名前をヘッドフォンに付けるなんておかしいだろ?」これには私自身もかなり異論はありますが、特に若いリスナー達には大変説得力があるようです。

 ドクター・ドレーに攻撃されている既存のオーディオ機器メーカーを弁護するわけではありませんが、これまでオーディオ機器メーカーは“原音再生”または“より幅広いレンジのサウンド”を目指して弛まない努力を続け、画期的な新テクノロジーを次々と生み出してきました。しかし、録音の現場(レコーディグ・スタジオ)も、再生の現場(音楽鑑賞のシチュエーション)も今ではすっかり変わってしまいました。レコーディングは、アナログ・テープの時代は終わり、ほとんど全てがデジタル・レコーディングとなったことによって、サウンドのイメージ(像)やテクスチュア(質感)は大きく変化を遂げました。それ以上に変わったのが音楽を鑑賞するシチュエーションです。高級志向の高かったコンポーネント・ステレオ(正しい英語は、ステレオ・コンポーネント・システム)は、安価かつミニチュア化し、LPやCDといった音楽メディアはデジタル・ファイル化され、前述のように、今やiPod、iTunes、iPhone、iPadなどが鑑賞用ソフトやメディアの主流となっているわけです。
 ですから、現在の音楽録音&再生状況の中で生まれ育った子供達は、音楽の聴き方や指向が我々とは全く異なります。我々は仕事柄、上記のような携帯電話やデジタル・オーディオ・プレイヤーを対象にしたミックスを行ったり、そうした機器を使ってプレイバックして確認したりしますが、今の時代は、そうした機器でしか音楽を聴いたことがない子供達がたくさんいるわけです。2年ほど前でしたか、ある日本の若いバンドのNYレコーディングをプロデュースしたことがあったのですが、彼等はスタジオのモニター・スピーカーやレオーディング中のモニター・ヘッドフォンに馴染めず、常に自前のイン・イヤー・ヘッドフォンを使いたがりました。彼等に言わせれば、スタジオのモニター・スピーカーやモニター・ヘッドフォンでは「音がよくわからない」というわけです。私は一瞬愕然としましたが、すぐにこれは我々サイドも考え方を変えていかなければならない、と思いました。

 自前のモニター&スピーカーというのは、以前からよくあったことでした。例えば、私の友人であるドラマー&プロデューサーのスティーヴ・ジョーダンは、モニター・スピーカーの特性を大きな理由の一つとして、決まったスタジオでレコーディングを行っていますし、他のスタジオでのレコーディングの場合は、わざわざお決まりのスタジオに置いてあるサブのモニター・スピーカーを運び込むというこだわりぶりです。私はそこまでのレベルではありませんし、予算もありませんが(笑)、モニター・ヘッドフォンくらいは持参していきます(もちろんイン・イヤーではありません!)。
 ですが、今の時代はそういったレベルではなく、レコーディング機器だけでなく楽器器材などの音源も大きく異なりますし、前述のように再生装置・環境が全く異なるわけです。
 考えてみれば、ドクター・ドレーというアーティストは、そうしたムーヴメントに呼応する形で、現在に至るヘッドフォン・ブームを築き上げていったようにも思います。彼はそのデビュー・アルバム「クロニック」(1992年)で一躍注目を集めましたが、押しも押されぬ地位と名声・人気を得ることになったのは、エミネムのメジャー・デビュー・アルバムをプロデュースし、自らの2枚目のソロ・アルバム「1999」を発表した頃(1999年)であると言われます(翌年には、グラミー賞最優秀プロデューサー賞を受賞しています)。
 この2作品が発表された1999年という年は、パソコンの入出力デバイスとしてUSBやCD-Rドライブが普及し、USB接続タイプのメモリー・プレーヤーや、MP3対応のポータブルCDプレーヤーが多数発売されていった年でもあります(WindowsがUSB対応を強化させたのもこの年でした)。日本でもソニーが「メモリースティック・ウォークマン」によってデジタル・オーディオ・プレイヤー市場に本格的に参入していったのもこの年です。2年後の2001年には、アップルがiPodを発売して、iTunes、iPhone、iPadと、その後の快進撃を続けていくわけですが、ドクター・ドレーはジミー・アイオヴァインの知恵と戦略に助けられながらも、その後のムーヴメントをしっかりと読み取っていたのだと思います。それが、前述の2006年ビーツ・エレクトロニクス社の設立として実を結び、NYの街中に氾濫する「ビーツ・バイ・ドクター・ドレー」を生み出したのだと言えます。

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