【I Love NY】月刊紐育音楽通信 February 2016

 いやはや、記録的な暖冬の後に、記録的な大雪がやってくるとは思ってもいませんでした。
ニュースなどでもご存じかもしれませんが、昨年一 杯続いたアメリカ北東部の暖冬は本当に異常なものと言えました。ニューヨークでは10月 末のハロウィーン辺りから冬の兆しが
見え始め、11月末のサンクス・ギヴィングはすっかり冬の雰囲気、そしてクリスマス前後は
ホワイト・クリスマス(までいかなくても雪がちらつく)になる、
というのが例年のパターンで した。
しかし、昨年はハロウィーンのトリック・オア・トリートも子供達や若者達にはTシャツ姿が
多く見られ、サンクス・ギヴィングは外でBBQをする人も多く、クリスマスが近づいても
日によってはジャケットやコート不要という日が続きました。
 
 今は地球温暖化が危惧されている状況ですから、この異常な暖冬もニューヨークでは
よく話題になりました。「これは正に地球温暖化の証拠」、
「いや、これは単にエルニーニョ現象によるものであって地球温暖化とは無関係」、
「いや、最近のエルニーニョ現象こそ地球温暖化によってもたらされているもの」
といった論争がニュース・メディアを中心に起こり、注目されました。
 
 アメリカでは、今も地球温暖化自体に対する意見・認識が大きく分かれています。
あれほどオバマ大統領が声高に地球温暖化の危機を訴え、 ローマ法王も来訪して
そのことを訴えて行きましが、地球温暖化などというのは無くの虚偽であるとか、
化石燃料産業バッシングの口実であるとか、原子力産業の陰謀である、と言う人達は
かなり多く、オゾン層は戻ってきている、極の氷も増えてきている、といった話も
良く聞かれます(例えば、ほとんどの共和党員は地球温暖化を認めていないようです)。
それは、綿密な調査・分析によって地球温暖化の嘘を指摘する科学者達の反論から、
化石燃料産業やその産業をサポートし たり深く関わる人 達の感情的な反論まで、
様々な主張があるため、真偽の程を見分けるのが非常に難しくなってきているとも言えます。

  そうした状況の中で、先日の大雪は地球温暖化否認派が勢いづくことにも
繋がっているようです。「地球も人間と同じで生きているんだから、
冬だって寒くなる時もあれば温かくなるときもある。それを地球温暖化に全て結論づけるのは
おかしい」確かにそうかもしれません…。「いや、暖冬だけじゃない。洪水や竜巻など、
ここ最近のアメリカ全土の異常気象はあまりに多い。大雪で冬が戻ってきたからと言って
地球温暖化を否定するのはおかしい」確かにそれもその通りで す…。

さて、皆さんはどう思われますか?

トピック:ミュージカル界の新たなアプローチと音楽界との関わり


 昨年12月3日のことですが、アメリカのテレビ(NBC) で画期的・歴史的な試みが
行われました。70年代に大ヒットしたオール・ブラッ ク・キャストによる
「オズの魔法使い」、「The Wiz」がライヴとして放映されたのです。
ライヴといっても、劇場での公演をライヴ中継するわけではなく、テレビ局のスタジオに
セットを作って、スタジオ内でライヴ公演&生中継するというものです。
よって、CGなどの特殊効果も全くなく、劇場でのライヴをテレビ局のスタジオ内で再現し、
それをカメラ・ワークとスイッチングのみによって一層の臨場感・ライヴ感を出そうというわけで す。
 
 この試みは今回が初めてではありません。NBCはこの3年間、ミュージカルのTVライヴを
12月の頭に放映しており、2013年はキャリー・アンダーウッドの主演で
「サウンド・オ ブ・ミュージック」、そして2014年はアリソン・ウィリアムスと
クリスト ファー・ウォーケン(キャプテン・クック)の主演で「ピーターパン」を
放映しており、今回が3回目となりました。
 
 しかし、僅か3回目にして、ミュージカル界の中ではまだまだマイナーな位置づけとされる
黒人版ミュージカルを持ってきたのは、NBCの大英断であったとも言われています。
別の見方をすれば、警官による暴力・殺傷事件、南部連合旗の撤廃に端を発した
人種差別・対立・抗争が益々激しくなってきている現在のアメリカで、NBCはダイバーシティのプレゼンスを示したかったという説もあります。
 
 さらに画期的であったのは、主役のドロシーにまだほとんど無名の
シンガー&女優シャニース・ウィリアムスを抜擢したということです。
ドロシーを囲む共演者にはステファニー・ミルズ、メアリー・J.ブライジ、ニーヨ、コモン、クイーン・ラティファ、ウーゾ・アドゥバといった人気と実力を兼ね備えたスター達を
配していますが、少女役故に少女でなければという制約があったとは言え、
今回の主役抜擢には賛否両論も起こりました。

 この「The Wiz」 は、1975年にブロードウェイで上演され、78年には映画化もされました。私にとっても大変思い出深い作品で、77年に初めてニューヨークに行って初めて見た
ミュージカルがこの「The Wiz」 であり、しかも翌年に公開される映画のロケが、
当時ニューヨークの至る所で行われていました(ミュージカルの舞台は原作と同じく
カンザ スでしたが、映画版の舞台はニューヨークに変わりました)。
今は無き旧ワールド・トレード・センターでは壮大なダンス・シーンが撮影され、
地下鉄構内は “黄色いレンガの 道”に作り替えられるなど、この映画はニューヨーク市の
ランドマークの数々がロケ地となりました。何しろ、ドロシーの家はハーレム、
竜巻にさらわれたドロシーが着地するのがクイーンズの
フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク(パーク内にはニューヨーク・メッツのスタジアムやテニスのUSオープン会場もあります)、ブリキマンに出会うのがブルックリンの
コニー・アイランド、ライオンに出会うのがブライアント・パークに隣接する5番街の
パブリック・ライブラリー、その後4人でブルックリン・ブリッジを渡って
オズの魔法使いに会いに行き、悪い魔女に追われるのがメッツの旧シェイ・スタジアムの中、
といった具合で、これほどニューヨークを楽しくフィーチャーした映画は
後にも先にも無いと言えます。
 
 オリジナル・バージョンとなる75年 のブロードウェイ・ミュージカル版の主役は、
今回のTVライヴ版にも出演したステ ファニー・ミルズ。わずか14歳でプロ・デビューし、
17歳でこのドロシー役でブロードウェイ主役デビューを果たした天才少女(当時)です。
彼女はその後モータウンと契約し、一時マイケル・ジャクソンの彼女でもありました。
二人は映画版「The Wiz」 で共演するはずだったのですが(マイケルはカカシ役)、
結果的にその仲を引き裂いたのがダイアナ・ロスであると言われています。
モータウ ンに移籍し、スター街道を歩んでいたステファニーを映画版でも主役に起用する。
それがこのミュージカルの映画化権を握っていたモータウン社長ベリー・ ゴーディJrの
考えでしたが、そこにダイアナ・ロスが「映画版の主役は私にやらせてほしい」と
直訴してきました。しかし、ゴーディはダイアナに、「キミはもうドロシーを演じるほど
若くはない」と一蹴。しかしダイアナは引き下がらず、配給映画会社の
エグゼクティブ・プロデューサー(今やハリウッドのトッ プ・ディレクター&
プロデューサーであるロブ・コーエン)と結託し、映画会社のスポンサードと
自分の主役をセットにしてゴーディを説き伏せてしまったのです。当時、ゴーディとしては
映画化に当たって資金難に悩んでいたため、これはやむを得ない選択であったそうです。
とは言え、既に34歳 のダイアナが少女ドロシーを演じるのには無理がありました。
主役がダイアナに代わったことに不満を感じた監督が降板してしまうというハプニングも
起こりましたが、ダイアナは脚本のジョエル・シューマッカー(こちらも今やハリウッドの
トップに君臨する大監督&プロデューサー)と話し合い、ドロシーを少女から小学校の先生
という設定に変えてしまったのです。ちなみに、これらはアメリカの映画史上において
最も強靱な意志によって貫かれた主役争奪劇の一つ、とも言われています。
 映画化に当たってはもう一つ、“南の魔女グリンダ”役でも争奪戦がありました。
ミュージカルでは、その後ジャズ・シンガーとして大きな注目と評価を受けることになる
ディー・ディー・ブリッジウォーター(その後、 大ヒット・ミュージカル
「Sophisticated Ladies」やビリー・ ホリデイのミュージカル「Lady Day」で主役を演じる)が演じてトニー賞も受賞していたので、映画版でも最有力視されていたのですが、
新たに映画版の 監督に選ばれたシド ニー・ルメット(“社会派”の巨匠映画監督として知られる彼がミュージカル映画の監督を務めることになったことも話題になりました)が、
自分の義理の母にあたるリナ・ホーンをグリンダ役に起用し、業界や映画ファン・
音楽ファンの間では驚きの声が上がりました。
とは言え、1930年代から「コットン・クラブ」のステージに立ち、40年代は数々の
MGM映画に出演し、50年代は公民権運動に参加した伝説の女優&シンガー久々の
ミュージカル映画出演とあって、これに対しては批判も起きなかったと言われています。

 さて、そんなドラマがいろいろとあった「The Wiz」 ですが、
今回もキャスティングにおいては様々なドラマがあったようです。
ドロシーの母親役にオリジナル・ミュージカル版の主役ステファ ニー・ミルズの出演が真っ先に決まったことは、私も含めてオリジナルを知るファンには大変嬉しいニュースとなりましたが、それ以外の役はいろいろと噂された り二転三転もあっ たりしました。
中でも一番の話題はビヨンセです。彼女は何としてもこの画期的・歴史的TVイベントに
おいて、“南の良い魔女グリンダ”を演じたかったそうで、NBCにアプローチしていたそうですが、結果的にプロデューサーが選んだのは、オンデマンドのストリーミングTV、Netflixの番組で
大人気・大スターとなったウーゾ・アドゥバでした。
これに関しては、プロデューサーやキャスティング担当の判断ということですが、
ビヨンセ出演に関しては、既に出演が決まっているキャストの一部からも反対があった
という話もあります(真相は定かではありませんが)。そうした経緯もあ りましたが、
アドゥバは既に2年連続エミー賞受賞を始め、数々の賞を受賞しいる“今最も旬なアクトレス&
シンガー”の一人ですし、またクラシック音楽(オペラ)のトレーニングも受けており、
声質自体が非常に力強く舞台向きでもあるので、テクニックは抜群ながら声質自体の力強さには欠けるビヨンセよりも正解であった、というのが大方の評価のようです。
 
 そんな中で、思った以上に、または意外に良かったのがメアリー・J.ブライジであったと
言えます。“西の悪い魔女イヴェリン”という悪役・憎まれ役ですが、最後のクライマックスを飾る重要な役どころですし、魔女達の中で最も出番のある役でもあります。
メアリー・J.ブライジはイヴェリンの悪役イメージを維持しながらも、キュートな雰囲気も
随所に加えながら、パンチのあるゴスペル調のナンバーを力強く見事に歌い、演じていました。 
 ドロシー役に関する賛否両論は多く聞かれれましたが、概ね評判は上々で、
視聴率もこれまでの2作品よりも高かったということです(ただし、裏番組の
NFLフットボールには視聴率では負けたそうです)。
今後NBCは このライヴ・ミュージカルを継続していくことは間違いないですし、
他局でも同様な企画は検討されているようです。

 ライヴというスリリング な緊張感(これは視聴者側でも充分に感じられますし、
一瞬他のカメラが映り込んでしまうようなハプニングもあって、ドキドキする楽しさも
ありました)は劇場とも、また作り込まれた映画や録画テレビ番組とも異なりますし、
TVライヴというジャンルにおける、ある意味究極のスタイルであるとも言えます。

  しかし、別の見方をすればミュージカル業界の厳しさというものも感じられます。
実際に、今のブロードウェイのミュージカルは、ほとんどが 観光客によって支えられ、
真にクリエイティヴな、実験的な、斬新な試みが本当に難しくなってきています。
つまり、ブロードウェイの劇場においては、ロングランでなければ採算が合わないわけで、
劇場も主催者もスポンサーもリスクを負いたがらないというわけです。
よって、ロングランが可能なのはディズニーかリバイバル物のみとなり、
今やそのリバイバル物でさえ安泰では無く、あっという間にクローズとなる演目も
数多くあるという状況です。
 
 そうした中で、単発のTVライヴは、スポンサー集めという点でも効果的・効率的であり、
人気スター達が次々と名乗りを上げてくることなど、キャスティングにおいても魅力的な
“イベント”であると言えます。連日ほぼ満員となるブロードウェイのミュージカルですが、
実際にミュージカル(特にオン・ブロードウェイ)に足を運ぶニューヨーカーというのは
ごく僅かであると言われています。理由は値段が高すぎること、そして作品がマンネリの
ディズニー系とリバイバル系ばかりでつまらないことです。私自身も観に行くのは圧倒的に
オフかオフオフのブロードウェイですし、それらにはまだまだ実験精神やクリエイティヴな
アート感覚、そ してかつてないような斬新さも溢れています。しかし、昔のように
そうした中からオフオフ〜オフ〜オンと上がって人気・評価を獲得していくような動きが、
今 はほとんど無くなってしまっていると言っても過言ではありません。ニューヨークの
音楽シーンも、作り手にとっては大変厳しい状況と言えますが、ニューヨークの劇場シーンも、作り手にとっては同じく厳しい状況にあると言えます。

 TVライヴの成功は、それ自体は嬉しいニュースですが、マスメディア主導の傾向が強まる
ということは、劇場シーンにとっては益々厳しい状況となっていく可能性も高いと
言えるようです。

  とは言え、いつも心強く感じるのはパフォーマー達の才能とパワーです。
業界的な流れは様々に推移していっても、素晴らしいパフォーマー達がとどまることなく
次から次へと登場し、観衆を魅了していきます。その底辺の力強さ、層の厚さ、レベルの高さを見ていると、悲観的になる必要は無いようにも感じられます。 特にこの国では、
歌うことと踊ることと演じることは、全て同列に捉えられており、これら3つは常に密接に
繋がっていて、決して別個の表現形態ではない、という意識が非常に高いと言えます。
よって、ある意味でこれらの3つを兼ね備えることはパフォーマ一としての重要な条件であり、
シンガー、ダンサー、アクターまたはアクトレスという区分けにとどまらない傾向が極めて
強いと言えます。実際に今回のように、ミュージカルで素晴らしいパフォーマンスを披露する
シンガー達、また逆に素晴らしい歌や踊りを披露する役者達がいかに多いかということは、
そのことを証明していると言えます。

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