【I Love NY】月刊紐育音楽通信 July 2015

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

「月刊紐育音楽通信 july 2015」

正に電光石火のごとく、アメリカに劇的な変化が起きた約一週間でした。
サウス・カロライナ州チャールストンの黒人教会での悲劇以来、
まるで“懸案事項”がみるみると“解決”していったかのようでした。

 何と言ってもまずは、あの事件からすぐに行動を起こしたサウス・カロライナ州の
ニッキー・ヘイリー知事の決断は見事でした。
この人はサウス・カロライナ州初の女性知事であり、初のマイノリティー(インド系アメリカ人)知事でもありますが、実はいわゆるティー・パーティ系の保守系政治家でもありました。
それが惨劇の後、涙の会見を行い、すぐに長年論議(というよりも非難)の的であった南部連合旗の撤去を議会に求めたことには、とてつもないインパクトがありました。

 黒人を始めとする有色人種、そしてリベラル派にとっては待ち続けていた勝利ですが、
保守系の白人達にとっては“誇り”に傷を付けられる形にもなるわけです。
しかし、惨劇の動揺もあって、これといった大きな反論や抵抗も起きず、彼等も呆然と見守る
しかない、という感じでした。

 この南部連合旗に関しては、南北戦争だけでなく、その後の歴史が更に汚点を付けることになっていったと言えます。
もちろん奴隷制維持を主張する南軍のシンボルそしてバトル・フラッグとして、
この旗は特に自分達の先祖が当時奴隷であった黒人達にとっては忌まわしい旗以外の何物でもないわけですが、その後、KKKを始めとする白人の極右人種差別主義者達がこの旗をシンボルにし、黒人達を差別・虐待・虐殺していったことで、黒人そして有色人種(さらにユダヤ人も)に対する嫌悪の象徴にもなっていったわけです。

 有色人種であり、黒人教会に属する私としては、もちろんこの旗を許すわけにはいきませんが、確かにこの旗に関してはいろいろな意見や考えるべき側面もあります(この旗をシンボル的に使用しているサザン・ロックのレイナード・スキナードの今後の対応も気になるところです)。
ですが、「この旗がこれ以上我々を分断することを許さない」というヘイリー知事の発言は、アメリカ人にとっては実に説得力のあるものであったと言えます。

 この一週間はこの南部連合旗撤廃に続き、
最高裁が同性婚とオバマ・ケア(国民健康保険)の合法判決を出したことも、とてつもないビッグ・ニュースでした。

 結婚というのは愛と誓いの問題だけではなく、“契約”でありお金の問題でもあるわけです。
同性婚の場合は、“契約”によって発生する手当・補助・控除・遺産など異性婚で与えられている権利が全く与えられないということが最大の問題の一つでもありました。

 これで私の周りのゲイの友人達にも人並みの権利が与えられることになったわけですし、
オバマ・ケアがあれば、これまで保険にも入れず、治療も受けられずに命を落としていった多くの友人・知人達のような“犠牲者”をこれ以上出さない大きな助けにもなるということで、
私自身にとっても今回の判決はとても感動的な出来事と言えました。

 ですが、行政や司法が決断しても、人種差別や同性愛・同性婚に対する差別は巷に溢れていますし、共和党の知事や政治家がオバマ・ケアをブロックしている州の弱者達は引き続き保険を手に入れられません。
上からの“お達し”だけでなく、我々個々の意識がしっかりと変わらなければ、物事が有名無実となってしまうのは、何処の国・何時の時代においても同じ事ですね。


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トピック:ニューヨークで最も歴史のある最も新しい野外コンサート会場

 ニューヨークは野外フリー(無料)・コンサートの季節となり、マンハッタンの
セントラル・パークやブルックリンのプロスペクト・パークを始め、各エリアのパークや
スペースなどで様々なライヴが行われています。
私は先日、プロスペクト・パークのオープニングでチャカ・カーンを、そして
セントラル・パークでは恒例のニューヨーク・フィルのフリー・コンサートを観てきましたが、どちらも盛況を通り越して、とんでもない“大混雑”と言えました。

 当然のことながら、これから野外コンサートはフリーだけでなく、有料コンサートも目白押しとなります。
以前にもお伝えしたかと思いますが、ニューヨークの野外コンサートと言えば、何と言っても代表的なのがジョーンズ・ビーチです。
ここは1952年にオープンし、当初はミュージカルを上演していましたが、コンサート用の野外シアターとなって規模も大きくなりました。
トミー・フィルファイガーはスポンサーになった4年間に続いて、2006 年からはニコンがスポンサーとなっていますが。
収容人数も、当初は1万人以下であったのが、数回の改装・増設によって客席も増えて今では1万5千人収容となっています。
ビーチに面していることもあって潮風に当たりながら音楽を楽しめる開放的で素晴らしい施設ですが、ハリケーン・サンディの時は大きな打撃を受け、その修理には半年以上も要しました。

 ここはどちらかと言うと、こちらではオールド・スクールやクラシック・ロックと
も呼ばれる70〜80年代の懐メロ系が多く、年齢層も高めであったり、また家族連れが
多いことによって年齢層が広めであることも特徴です。
実際に私自身はこれまで、クロスビー・スティルス&ナッシュ、ジェイムズ・テイラー、
アース・ウインド&ファイア、シカゴ、ハート、キッス、エアロスミス、ボストン、
ジャーニー、ドゥービー・ブラザースなどを始め、数多くのベテラン、レジェンド達のコンサートを観てきましたが、こうした音楽のリアルタイム世代である中高年層(私も含め)と共に、2世代、時には3世代の家族がみんなで音楽を楽しんでいるのも素晴らしい点と言えます。

 その他にニューヨークの野外コンサート・ホールと言えば、ビートルズや
ビリー・ジョエルのコンサートなどでも有名なニューヨーク・メッツの本拠地シェイ・スタジ
アム(現在は改築されてシティ・フィールドという名前になっています)があります。

 このスタジアムは元々が多目的(野球とフットボールとコンサート・イベント)に作られたのですが、さすがに野球(ニューヨーク・メッツ)とフットボール(ニューヨーク・ジェッツ)の共有は難しくなり、スポーツは野球だけになりましたが、コンサートはオープン以来、これまで数々の歴史に残る名演奏も残してきましたし、最近は野球の試合の後に続けてコンサートを行うプログラムもあります。

 ニューヨークのもう一つの大リーグ・チームヤンキースの方はこれまで野球以外にはあまり積極的ではありませんでした。
それはヤンキースという名門チームのプライドというのか経営陣が保守的であることがネックになっていましたが、ここ数年はヤンキースの低迷によって、野球だけでは利益が上がらなくなってきたようで、ここ最近はサッカーなど他のスポーツやコンサート・イベントにも積極的になってきています。

 こうしたスポーツ施設ですと、メッツやヤンキースと言った野球のスタジアム以上
の観客動員数を誇るスポーツ・アリーナが、フットボールのニューヨーク・ジェッツ
とジャイアンツの本拠地であるメットライフ・スタジアムです。
ですが、こちらはニューヨークのチームと言っても実際にはニュージャージーにありますので、ニューヨークの野外コンサート・ホールとは言えません。
よって、ブルース・スプリングスティーンやボンジョビといったニュージャージー出身のアーティストのコンサートとなれば最高に盛り上がるロケーションと言えます。

 さて、そうした中で、一昨年の2013年の夏から、ニューヨーク代表する新たな野外コンサート・ホールとして登場したのが、フォレスト・ヒル・スタジアムです。

 “新たな”と言っても、実はこのスタジアムは前述のどのホールやスタジアムよりも
歴史のあるスタジアムなのです。
テニスに詳しい方であればご存じであると思いますが、このスタジアムの別名はウェスト・サイド・スタジアムと言います。
ここは1892年に設立したウェスト・サイド・テニス・クラブというセントラル・パークの西側にあった歴史的なテニス・クラブが1912年にクイーンズのフォレスト・ヒルズの土地を
購入してテニス・コートとクラブ・ハウスを作ったことに始まりますが、1915年には1万4千人収容のスタジアムを建設してからは、テニスのUSオープンの開場として1977年まで使用されていました。

 USオープンはその後、1978年から現在のフラッシング・メドウズの現スタジアム
(2万5千人収容)に移って今に至っているわけですが、アメリカ人のテニスのオールド・
ファンにとっては、このスタジアムこそがUSオープンの歴史を物語る忘れられないスタジアムであるのです。
なにしろ、1950年のUSオープンでは、アメリカ人のアルシア・ギブソンが初の黒人プレイヤーとしてこのスタジアムに登場し、当時の激しい差別状況故、観客は暴徒化したと言われています。

 ちなみに、ギブソンは奇しくもサウス・カロライナ州の出身ですが、
その後ニューヨークに移ってハーレムのスラム街で育ち、そこで黒人医師のロバート・ジョンソンのバックアップを受けて白人のスポーツであるテニスに取り組み始め、激しい差別の中で活躍して、ついに1957年には4大大会制覇(優勝)という快挙を成し遂げます。

 そしてもう一人、現USオープンのメイン・スタジアムに名前が残されたアーサー・アッシュも4大大会制覇を成し遂げた名プレイヤーで、1968年のUSオープンで彼が優勝したのもこのスタジアムでした。
他には、その前年の1967年に始めてメタル製のラケットを使ってこの大会で優勝(しかも、シングル、女子ダブルス、ミックス・ダブルスの3部門優勝)したのが、ビリー・ジーン・キングです(彼女はレズビアンであることでも有名ですね)。

 こうした歴史に残る選手と試合を残してきた名スタジアムですが、
USオープンの移転後はローカルなテニス・クラブとしてひっそりとその姿を残し、引き続きUSTA(全米テニス協会)の傘下クラブとして、様々なトーナメントが行われています。
実は私の娘がまだテニスをプレイしていた頃、ジュニア・トーナメントで何度かこのクラブの小コートで試合を行ったことがありましたが、アメリカにしては珍しく、試合は白のテニス・ウェア着用という規則があり、その歴史と由緒を感じることができました。

 肝腎のスタジアムの方は、ほとんど廃墟状態となり、2010年には解体して高級コンドミニアム建設という計画が浮上しましたが、2013年から試験的にコンサート・スタジアムとして使用されることになって、その姿を残すことになりました。

 このスタジアムは特に60〜70年代にはコンサート会場としても使用されていて、前述のビートルズの他に、ダイアナ・ロスとシュープリームス(この発音はよろしくありませんね…カタカナにするならば「サプリームス」です)、ジミ・ヘンドリクス、フランク・シナトラ、
ボブ・ディランなどの歴史に残るコンサートが行われました。
(そう言えば、1998年にアルフィーがここでコンサートをやったことを思い出しました)。
 
その意味では、歴史的な野外コンサート・ホールの復活というわけですが、
実は前述のように“試験的に”というのが気になるところです。
このスタジアムのあるエリアは金持ちのユダヤ人を中心に大邸宅が並ぶ閑静な住宅地なので、大音量と大歓声のロック・コンサートは歓迎されるとは言えません。
「地元住民の理解と協力が得られれば」
という条件付きでの復活ですので、前途は不透明であると言えます。
しかし、例え試験的であっても、こうした試みを即実行に移してしまうところはアメリカらしいとも言えます。

 私自身は2013年の復活以来、まだこのスタジアムに足を運んだことが無かったのですが、先日家族ぐるみの友人でもあるベーシストのピノ・パラディーノに誘われ、ジョン・エントウィッスルの死後、2002年から彼がベーシストを務めるザ・フーのコンサートに家族みんなで観に行ってきました。

 復活ということで何か新しさを予想・期待していたのですが、スタジアムに入って
何も変わっていないことにビックリ(笑)。
しかし、歴史あるスタジアムが今もそのままの形を残し、当時のようなロック・コンサートを楽しめると言うことは逆に感動的でもありましたし、その落ち着いた佇まいとリラックスした雰囲気は他のどのスタジアムとも異なる独特のものであると言えます(ただし、トイレが全て仮設トイレしかないのはちょっと困った点ですが)。

 しかも、ザ・フーはこのスタジアムで前述のアーティスト達と共に歴史に残るコンサートを残しているアーティストでもあります。
彼等(ロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼント)もそのことは充分に感じているようで、MCでも随所でそのことに触れていました。
今回のザ・フーのツアーのオープニング・アクトは、これまた懐かしの元ランナウェイズのジョーン・ジェットだったのですが、彼女もザ・フーの前座を務められることと共に、この歴史的なスタジアムでプレイできることに興奮していると言っていました。

 ロジャーもピートも既に70歳代になりましたが、二人のステージ・パフォーマンス
は音においても見た目においても健在でした。
特にウインドミル(風車)奏法とも呼ばれる腕を振り回すピートのパフォーマンスは相変わらずで、これが出る度に観客は大盛り上がりしましたし、それ以上に、リンゴ・スターの息子、ザック・スターキーと、ベースの魔術師とも呼ばれるピノ・パラディーノを加えることによって、鉄壁のリズム・セクションを作り出し、ロジャーとピートは思う存分暴れることができるとも言えます。

 もちろん、かつてのジョン・エントウィッスルとドラムのキース・ムーンとの4人の
時代のオーラや爆発的な勢いはありませんが、ジョンとキース亡き後の現状において、
ロジャーとピートにとってザックとピノは間違いなくベストなサポートであると言えます。
リユニオン・バンドのほとんどが、ライヴにおいてはかつての魅力が半減してしまう中で、ザ・フーにとってザックとピノの新メンバー達は、間違いなく最高のサウンドとパフォーマンスを生み出してくれていると言えますし、歓声から約100年を迎えるこの歴史的スタジアムでの演奏は、ザ・フーにとっても特別の意味をもたらしてくれたとも言えます。

 この歴史的スタジアムの存続は、まだ今の段階では誰にもわかりません。
既に3年目に入っているので、このまま続くのでは、という可能性もありますし、年々コンサート回数が増えていく中で、今年こそが最後であるという見方もあります。
恐らく、この夏の野外コンサート・シーズンが終わって、近隣住民の反応を見て判断、ということになるのだと思いますが、何とかこのままニューヨークを代表する野外コンサート
会場として素晴らしい音楽を送り続けてほしいと願うばかりです。

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