【I Love NY】月刊紐育音楽通信 June 2016

 ニューヨークは短い春が終わって、いきなり夏日となってきました。
既に人生の半分以上がアメリカ(ニューヨーク)生活となっている私自身は、
例えば日本食が恋しくなるというようなことは無いのですが、
日本の四季、特に春と秋はいつも懐かしく、本当に素晴らしいと感じます。

 一年の大半をTシャツと短パンで過ごせるようなアメリカの他の地域と違って、
ニューヨークには四季もありますが、それでも長い冬が終わって春を告げたかと思うと、
あっという間に夏がやってきて、暑い夏が終わって涼しい秋になったかと思うと、
あっという間に寒い冬がやってきてしまうのは、何とも寂しい思いがあります。
よって、服も春・秋物の服というのはあまり着る機会が無く、
バリエーションが少なくなってくるのもちょっとつまらないと言えます。

 日本は春・秋物の服が充実していると思いますし、昔はツアーなどで
春・秋に日本に行くと、素敵な服がいろいろとあるのでよく買って帰ったものですが、
もう今や春・秋物で気に入った服を見つけても、
「これはニューヨークでは着る機会が少ないな〜」と断念してしまうのが
ちょっと残念です…。

トピック:米音楽界が失った偉大なる個性達(この1年間の物故者を振り返る)


 先月も書きましたが、米音楽界においてプリンス急逝の波紋は極めて大きく、
その後も様々な報道が続いていますが、ミュージシャンやファンの動揺・悲しみに対し、
音楽だけでなくビジネス的にも“異端児”・“問題児”として常に業界内に論争・波紋を
巻き起こしてきた一言居士的なプリンスの死去は、皮肉なことに業界的には
平穏な方向に進む結果となってい るとも言えるようです。
 
 特にプリンスとワーナーとの愛憎関係はよく知られているところでもありますが、
ワーナーのような大メジャーに対して、単に反旗を翻したり、対立するだけでなく、
ワーナーのような巨大企業に対して、対等にものを言え、巨大企業に歩み寄りを促すほどの
インパクトとパワーを持ったアーティストの存在というのは、現在の音楽界では益々
少なくなってしまっているため、この先、ストリーミング界を中心として、
レコード会社がそこに寄り添う形で進んでいくことは必至と言えるでしょうし、
アーティスト(特にメジャー以外のマイナー〜中堅アーティスト達)にとっては
益々困難な状況が生み出されていくと想定されます。

 さて、そうした業界面での動きを別としても、最近本当に時代を切り開き、
時代や、ムーブメントを生み出していった偉大な才能が次々と世を去って行くように思います。
もちろん、老齢・寿命という側面もありますし、単に時代の節目や、
ある時代の終わりと解釈することもできますが、決してそうとは言えない側面も多々あります
(それらを全て含めて“運命”として捉え、時代の終わりや移り変わりを語ることも
可能ではありますが)。
 以下に、ここ1年の大物音楽系物故者のリストをあげてみました。
もちろん大物か否かの線引きは主観的なもので、下記以外にもたくさんの偉大な才能が、
この1年間で世を去っていったわけですし、実のところ私自身個人的には以下の人達よりも
インパクトが強かった物故者もおりますが、ニューヨークの音楽シーンにおいて、
ミュージシャンや業界、そしてメディアの取り上げ方などにおいて、
大きなインパクトがあった巨匠達ということでリストにしてみました。

<2015年6月>
オーネット・コールマン(ジャズ・サックス奏者)
<同年7月>
リン・アンダーソン(カントリー・シンガー)
<同年9月>
フィル・ウッズ(ジャズ・サックス奏者)
<同年11月>
アラン・トゥーサン(ニューオーリンズR&Bの立役者)
<同年12月>
クルト・マズア(元ニューヨーク・フィル指揮者・音楽監督)
レミー・キルミスター(モーターヘッド)
ナタリー・コール
<2016年1月>
ポール・ブレイ(ジャズ・ピアニスト)
ピエール・ブーレーズ(作曲家、元ニューヨーク・フィル指揮者・音楽監督)
オーティス・クレイ(R&Bシンガー)
デヴィッド・ボウイ
グレン・フライ(イーグルス)
ポール・カントナー(ジェファーソン・エアプレイン/ジェファーソン・スターシップ)
<同年2月>
モーリス・ホワイト(アース、ウィンド&ファイア)
<同年3月>
ジョージ・マーチン(プロデューサー)
キース・エマーソン(ELP)
<同年4月>
ガトー・バルビエリ(ジャズ・サックス奏者)
マール・ハガード(カントリー・シンガー)
プリンス
パパ・ウェンバ(アフリカ〜コンゴのシンガー)
<同年5月>
ニック・メンザ(メガデスのドラマー)

 プリンスと共に、ある意味で音楽界、そして音楽業界においても“異端児”
または大勢に流されない“反逆児”とも言えたのが、ジャズ界のオーネット・コールマン、
ロック界のレミー、そしてクラシック界のブーレーズであったと言えます。
彼等は真に唯一無二の存在であり、その意味では追従者・後継者をも生み出し得ないほどの
強烈な独自性を持っていました。

 私は幸い、オーネット・コールマンには一度インタビューを行い、インタビューとは思えぬ
いろいろな“教え”を受けたことを今でも鮮明に覚えています。更に個人的な話で恐縮ですが、
私にとってオーネットは常に音楽的にも思想的(というか物事の考え方全般)にも大きな影響を
与えてくれた“師匠”でもあり、常にその存在は20世紀の偉大な数学者・建築家・哲学者であった
バックミンスター・フラーのコンセプトとリンクしていた、ジャズ界においては
あまりに特異な存在でした。

 レミー、そしてモーターヘッド最後のニューヨーク・ライヴを目撃できたことは、
私の大切な宝物となっていますし、以前一緒に仕事をしたガンズ&ローゼズのベーシスト、
ダフ・マッケイガンから、いろいろとレミーの面白い話も聞かせてもらったことがあります。
頭のてっぺんからつま先まで正真正銘のロックンローラー、というのは私は彼をおいては
他に考えられませんし、それはどれほど多くのロック・アーティスト達が彼を慕い尊敬していたか、
ということからも明らかです。

 私がニューヨークにやってきた1977年は、ブーレーズがニューヨーク・フィルの
常任指揮者&音楽監督を務めた最後の年でしたが、幸運にも私は一度だけ
彼の指揮を観ることができました。ブーレーズは、ニューヨーク・フィルの代名詞とも言える
巨匠レナード・バーンスタインの後を継ぐ形となり(実際には、ジョージ・ セルが
音楽顧問として中継ぎを行いましたが)、バーンスタインの偉業故に賛否両論で
ニューヨークのメディアの評価もかなり手厳しかったと言えます。

 ですが、ニューヨーク・フィルの現代作品レパートリーの基盤を築いただけでなく、
現在のニューヨーク・フィルの持ち味の一つとも言われる緻密で繊細なテクニックと表現を
もたらしたのはブーレーズの功績であるとも言われています。ご存じのようにブーレーズは
20世紀の偉大な現代音楽作曲家であるわけですが、自作を始めとする現代作品のテクニックや表現を
オーケストラにもたらしたこと以上に、オーケストラ自体(全体)のテクニックや表現力を
徹底的に鍛え上げたということは、彼の並外れた才能と音楽観を示していると言えます
(更に彼は文筆家としても非凡な才能を持っていました)。私自身はブーレーズの作品や
指揮に大きく傾倒することはありませんでしたが、客観的に見ても、
ブーレーズはバーンスタインと並び称されるほどの偉大な指揮者・音楽家であったと言っても
過言では無いと思われますし、実際にニューヨークのメディアにおいても、彼の死後、
その再評価の動きは顕著になってきていると 言えます。

 上記の3人に一歩譲る感はありますが、ロック界のデビッド・ボウイとキース・エマーソン、
カントリー界のマール・ハガード、ジャズ界のガトー・バルビエリという偉大なアーティスト達も、
実に特異な天才児・革命児であったと言えます。
むしろ、あまりに異端児・反逆児すぎた上記3人に比べ、一般的には、ボウイ、エマーソン、
マール・ハガード、ガトー・バルビエリの方が一般的・大衆的な人気・評価を受けたとも言えます。

 ボウイは様々なメディアで彼の功績が称えられていますし、ピストル自殺という衝撃的な最期を遂げたエマーソンは、キーボーディストという存在、そしてロックにおけるシンセサイザーの発展に対して
これほどの功績を残した人は後にも先にもいないと思いますので、ここでは特に触れませんが、
日本ではあまり馴染みが無いと思われるマール・ハガードとガトー・バルビエリに関しては、
少しだけ触れさせていただきましょう。

 まず、ハガードという人は生粋のアウトローでありながら、これほど多くの人達に愛された
カントリー・シンガー・ソングライターはいないと思います。
なにしろ彼は子供の頃から少年院送りで、その後実刑判決を受けて囚人であった時に
カントリー音楽に目覚めて活動を始めたという人です。よって、彼の歌や歌詞には恐ろしいほど
リアルな痛みや悲しみ、そしてその対局にある喜びと希望、更に鋭い視線が貫かれていると言えます。
つまり、架空の世界では無く、彼の音楽世界は心底“マジ”な世界であるわけです。
そういう歌を歌える正真正銘アウトローのカントリー・シンガーは、ハガードの親友でもあった
ウィリー・ネルソン以外、もう今の世の中にはいないと言えます。

 ガトーはアルゼンチン出身のサックス奏者で、マーロン・ブランド主演の映画
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の音楽を手がけたことで有名であると思います。
かつてはアルゼンチンのコルトレーンなどとも呼ばれたこともありましたが、
サックス奏者としての評価はそれほど高くなく、ジャズ界においても、
実はそれほどの名声を得ているわけではありません。 その理由は、彼のトーンとフレーズが
あまりお上品ではないこと(つまり、場末的な下品さが漂う)ではないでしょうか。
むせび泣くような トーンで朗々とクサいフレーズを吹ききり、激情に任せて盛り上がって
音を外してもお構いなし、という彼のスタイルは、時に批判というよりも嘲笑の対象にもなりましたが、
誰が何と言おうと、何と言われようと、自分のスタイルを貫き通してこれだけビッグな存在になった人は
ジャズ界でも数少ないと思います。アルゼンチンというジャズにおいては第三世界から登場した
先駆者の一人と言うこともできますが、ガトーの場合はアルゼンチンも南米も超越して、
ただひたすら“ガトー”であり続けた希有なサックス奏者でした。

 ここまで紹介してきた異端児・反逆児に対して、ポール・カントナーとグレン・フライと
モーリス・ホワイトは、アメリカの音楽史において、間違いなく一つの時代を築き上げた、
アメリカを代表するバンドを牽引した最高峰のミュージシャンであり功績者・功労者でした。
ジェファーソン・エアプレイン(後にジェファーソン・スターシップ)、イーグルス、
アース・ウインド&ファイアという存在が、当時どれほどの人気を得て、世間・社会に対して
インパクトや影響力を持っていたか、それは現在押しも押されぬ人気バンドやアーティスト達の
比ではありませんでした。
 そして、バンドではありませんが、今やアメリカ音楽の重要なメイン・ファクターとして、
揺るぎない市民権を得たニューオーリンズR&Bの立役者アラン・トゥーサンの存在は、
同じくアメリカの音楽史に燦然と輝くものであると言えます。
 
 これらの偉大な存在を失ったことにより、それが現在のアメリカ音楽界に及ぼす影響は
計り知れません。もちろん、彼等を抜きにしても音楽界は動いていきますし、
彼等からの影響を抜きにして一部の音楽を語ることは可能かもしれません。
しかし、彼等のようなずば抜けた個性・才能が、今の音楽界には見当たらないことは
確かであると思います。そう言い切ることに、若い世代からの批判・反発はあるでしょうが、
彼等の音楽は音楽を超えたインパクトと影響力を持ち、アメリカという国に様々な意識革命や
文化的な変革をももたらしたことは間違いなく、今の音楽にそこまでのパワーがあるとは
私には到底思えません。
 
 最後になりましたが、先日5月21日亡くなった元メガデスのドラマー、ニック・メンザのことも
少しだけ触れさせていただきたいと思います。私が彼と出会ったのは、まだメガデス在籍中であった
マーティ・フリードマンと一緒に仕事をした時で、確かメガデスのショーの後に彼と会ったと
記憶しています。その後、彼とはいくつかのドラム・イベントで顔を合わせたのですが、
著名なジャズ・サックス奏者であるドン・メンザの息子であるニックは、やはり父親からの影響で
ジャズの影響とトレーニングもしっかりと身につけており、
しかも人間的にも素晴らしいドラマーでした。彼自身の以前の活動も単にメタル一筋ではなく、
R&Bやファンクなども経験してきた上で、それら全ての経験を最高のメタル・ドラムに
昇華させていたと言えます。悲しいことに、彼はライヴ演奏中に心臓発作で急死するという
壮絶な死を迎えてしまいましたが、懐が深く柔軟性があり、高いミュージシャンシップを持ちながら、
特定のジャンルやスタイルの頂点を極めていた彼も、最近の音楽シーンではあまり見られない
実に希有な存在であったと言えます。

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