【I Love NY】月刊紐育音楽通信 June

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

「月刊紐育音楽通信 June 2015」

 5月頭、思い立ってクリーブランドに行ってきました。
目的はブルース・ホーンズビーのソロ・ピアノ・コンサートを観ることでした。
ブルースはトゥーパックのカヴァーで知られる「The Way It Is」の大ヒットや、
スパイク・リーの映画作品の音楽、そしてグレートフル・デッドのキーボーディストでもあることもあって、アメリカでは大変メジャーなアーティストですが、全く飾らない気さくな人柄と、異なる音楽ジャンルを見事にミックスするその卓抜した音楽的センスとスタンスによって、アメリカの音楽界では実にスペシャルで貴重な存在であると言えます。

 ブルースと言えば、ロックを基盤にカントリーとジャズをミックスさせている
アーティストとも言えますが、もう一つ彼のアプローチで際立っているのは、現代音楽の
手法(理論やテクニック)を自分のピアノ・スタイルに巧みに取り入れている点です。
よって、彼のピアノ・ソロにはその辺が顕著に現れているのですが、さらに彼のこだわり
として、決して大ホールではソロ・ピアノ・コンサートは行わず、地方都市の教会や
小ホールを回ってツアーを行っているのです。

そんなわけで、今回クリーブランドの古い教会が彼のソロ・ピアノ・ツアーの最後を飾る
ロケーションとなり、彼の大ファンである私としては、何が何でも見なければと決心した次第
でした。 
 
クリーブランドはニューヨークから車で8〜9時間ほど。最初は自分で運転して行こうかと思いましたが、さすがに年齢と多忙故にその体力・気力も無く、アメリカ横断で知られる
グレイハウンドの夜行バスでの旅となりました。


 仕事を終えて夜10時過ぎにニューヨークを出発し、翌朝7時頃にクリーブランドに到着。その晩ブルースのコンサートを観て、終演後はバーで時間をつぶして夜中2時にクリーブランドを出発し、午前11時頃にニューヨークに戻り、そのまま仕事に行きました。
自分でもちょっと無謀であるとはわかっていましたが、やはり無謀でした(笑)。結果的には自分で運転するより疲れる結果となり、もう二度とグレイハウンドの夜行バスは乗るまい、と心に決めました(笑)。

 しかし、今回久々にグレイハウンドに乗車して、アメリカの低所得層(というか貧困層)の生活の一端を改めて垣間見ることもできました。ご存じかと思いますが、グレイハウンドというのはアメリカで最も安い交通手段の一つであり、宿泊料をセーヴできる(つまりバス車中泊)夜行バスはその最たるものとも言えます。
 実際に今回ニューヨーク発のバスでは黒人以外は私と白人一人のみ。日曜日はハーレムやブロンクスのゴスペル・チャーチで音楽宣教師として活動している私にとって黒人だけで
あるのはいつものことですから、何も気にすることはないのですが、夜行バスに乗車する
黒人達というのは、アフリカから来て、まだ英語もうまく話せないような、非常に貧しい
人達が中心でした。故にその表情は非常に暗く、中には体調の悪い人達もいました(そのためにバスが停車することもありました…)。
 
 バスを待って並んでいる間、そうした人達と会話をしながら学んだこともいろいろ
とありましたが、それとは反対に傑作だったのは私の隣りに座った前述の白人です。
身なりはきちんとしているので、いわゆる低所得層ではないようですが、荷物は大きな黒いゴミ袋一つのみ…。どこまでいくんだい?と聞くと「サンディエゴまで」。おい、
ちょっと待ってくれよ!今時グレイハウンドでアメリカ横断するのかい?と言うと、
彼は苦笑いでそのいきさつを話してくれました。
 
 何でも彼はインディペンデントのフイルム・メーカーで、お金を貯めて待望のニューヨーク・ロケを行ったのですが、ニューヨークで雇ったロシア人の女優に騙され、有り金・持ち物全て巻き上げられて一文無しとなり、今回ニューヨークで雇ったクルー・スタッフ達からありったけの現金を借りて、何とかグレイハウンドでサンディエゴに帰れることになった、というわけです。
 
 笑っては失礼ではありますが、私は思わず叫んでしまいました「あんた、それ自分の映画の題材にした方がいいよ!」彼も笑って「オレもそう思うよ」と言ってましたが、アメリカはまだまだ面白い話がありますね(笑)。私も気を付けねば…。

トピック:「ロックンロールの殿堂」に見るアメリカのロック・ヒストリー

 さて、今月は前置きが長くなりましたが、トピックも前置きに続いてクリーブラン
ドの話です。
 みなさんはクリーブランドと言えば何を思い浮かべますでしょうか?
 恐らく何も浮かばないとう人がほとんどなのではないでしょうか。日本との姉妹都市も
ありませんし、実際にアメリカにおいてもクリーブランドというのは“地味な”都市です。昔は工業都市として発展しましたが、重工業産業の衰退と共に貧困層が増え、
一時は全米で治安の悪い都市のワースト10に入っていました。
 恐らく、クラシック好きの方であれば、ジョージ・セルとロリン・マゼールが常任
指揮者&音楽監督の時代が特に有名であったクリーブランド管弦楽団を思い浮かべる
でしょうし、スポーツ好きの方にはフットボール(NFL)のブラウンズとバスケ(NBA)の
キャバリアーズが知られていると思います。特にキャブスはレブロン・ジェイムズが復帰
して今また話題ですね(実は私が行った時はプレイオフ戦でキャブスが勝って大騒ぎし
ていました)。
また、大リーグではインディアンズが映画「メジャーリーグ」の題材にもなったこともあり、良く知られています。
 
 オハイオ州クリーブランドは、ミシガン州のデトロイト、ニューヨーク州のバッファローと共にエリー湖のほとりにある都市です。このエリー湖からお隣のオンタリオ湖へと流れるナイアガラ川にあるのが有名なナイアガラの滝というわけですが、ナイアガラ川は海峡とも呼ばれますし、エリー湖とオンタリオ湖の標高差は100メートルほどもあるので、あのような壮大な滝が存在しているわけです。
 クリーブランドはエリー湖の南岸に位置しますが、クリーブランドのダウンタウンから
エリー湖を見渡す景色は実に美しいものであると言えます。湖畔にはエリー湖に向かって
左からブラウンズのスタジアム、サイエンス・センターと言った建物が並びますが、
その右側の一際ユニークなデザインの建物が「ロックンロールの殿堂ミュージアム」です。デザインはルーブル美術館のガラスのピラミッドを手掛けたイオ・ミン・ペイ。なるほどその斬新なデザインには共通点も感じられます。

 ところで何故クリーブランドにロックンロールの殿堂があるのか。ロック・ヒストリーに詳しい方であればご存じかと思いますが、それは1951年のこと。クリーブランドの
地元ラジオ局のDJであったアラン・フリードが、番組でオンエアしていた音楽を
“ロックンロール”と呼んだのが始まりと言われています。
 アラン・フリードがDJを務めたラジオ音楽番組は最初クラシック音楽専門であった
そうですが、地元のレコード店で白人の若者達がリトル・リチャードや
チャック・ベリーなどといった黒人のR&Bで踊っている姿に刺激を受けたアラン・フリードは、番組をR&B専門に切り替えることを思い付いたわけです。
 
 これは当時かなり衝撃的な事件でした。つまり公民権運動が始まる前の、まだ人種差別は当然という時代に、白人向けの番組を黒人音楽専門の番組にしてしまったわけですから。
 アラン・フリードは番組名を「ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティ」
(“ムーンドッグ”はアラン・フリードの愛称)と変え、その番組でオンエアするR&Bのナンバーをロックンロールと呼んで紹介したわけです。
 このロックンロールという言葉は、既に黒人達の間で使われ、歌詞の中でも使われて
いました。
 
 すなわち、ロックンロールという言葉がアラン・フリードによって発明され、ロックンロールという音楽がアラン・フリードによって生まれたわけではありません。はっきり言えば、アラン・フリードはロックンロールという言葉をうまく使っただけの話です。
ですが、この言葉は白人の若者達には大きなインパクトを与えましたし、白人のラジオ局で黒人音楽のみを流し続けたアラン・フリードの功績は非常に大きいと言えます。
 
 実際に、ローカル・レベルでインパクトを与えたアラン・フリードの
“ロックンロール”は、全米の白人達に知られていくことになり、3年後にはニューヨークのWINS(「1010 WINS:テン・テン・ウィンズ」と呼ばれ、現在はニュースと天気予報専門の
情報局として知られる有名なAM局)というラジオ局が多額の契約金でアラン・フリードを
獲得し、アラン・フリードのロックンロール・ショーは全米ナンバーワンの聴取率を誇る、
とてつもない人気ラジオ番組となったわけです。
 
 アラン・フリードは人気に乗じてコンサートやテレビ番組もスタートさせていったの
ですが、白人保守層からの弾圧は厳しく、番組やコンサートは度々中止に追い込まれ
ました。
 そしてついに、ボストンで行われたアラン・フリード主催のロックンロール・コンサートでは警官が警備の名の下に介入して観客と衝突し、暴動となってしまい、アラン・フリードは扇動罪で逮捕されてしまいます。
 このように、ロックンロールという音楽も、アメリカの歴史においては人種差別と戦う
歴史の一つであるということも理解していただけるかと思います。

 さて、そうしたロックンロールの功績と闘いといった歴史を刻む「ロックンロールの殿堂ミュージアム」ですが、私はブルース・ホーンズビーのコンサートの前の時間つぶし
として、今回初めて見学したのですが、中々しっかりとした内容の素晴らしい展示である
と言えました。冒頭でも書きましたが、私は朝7時頃にクリーブランドに着き、ブラブラして時間を潰して開館時間の10時から入ったのですが、2〜3時間はあっと言う間に過ぎてしまいますし、上映している様々な映像なども鑑賞すれば丸一日楽しむことも可能です。
 
 建物は地下1階から地上5階までありますが、中心となる展示物は地下の大スペースです。ここにはロックのルーツ(ブルース、ゴスペル、R&B、カントリーブルーグラス、
フォークなど)に関するギャラリー、都市ごとと歴史で追うギャラリー、50年代の
ギャラリー、ソウルとヘヴィ・メタルのギャラリー、ロックンロールのレジェンド
(ビートルズ、ストーンズ、ジミ・ヘンドリクス等)のギャラリー、エルヴィス・プレスリーのギャラリー、その年のロックンロール殿堂入りアーティストのギャラリー、
その他特別展のギャラリーなどがぎっしりと詰まっており、中西部とクリーブランドにおけるロックンロールのギャラリーといった“お国自慢”のコーナーもあります。
 ロビー・スペースの1階を抜けて2階は、ロックンロールをテクノロジーやメディアの面
から紹介するコーナーとなっており、前述のアラン・フリードや、エレクトリック・ギターの父とも言われるレス・ポールなどといったパイオニア達のギャラリーがある他、
ロックンロールとオーディオ・テクノロジーに関するギャラリー、そして音楽雑誌
「ローリング・ストーン」によってロックンロールの歴史を追うコーナーなどもあります。
 
 3階にはカフェと劇場があり、劇場ではこれまでのロックンロールの殿堂入りセレモニーにおけるコンサートやインタビューなどを上映している他、チャック・ベリーとエヴァリー・ブラザーズの展示もあります。
 4階にも別の劇場があって、ここでは様々なロック映画を上映している他、殿堂入りした
アーティストの曲が聴けるジュークボックスや、ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」の
オブジェを飾ったギャラリーもあります。
 5階は特別展示フロアとなっており、私が訪ねた時は、ロック・ポートレイトの写真家として非常に有名なハーブ・リッツの写真展が開催されていました。

 こういった盛りだくさんの展示物はどれも貴重で興味深いものばかりですが、私自身は
そうした中でも、都市・地域で追うロックンロールのヒストリーというのは、アメリカの
ロック文化の豊かさを再認識する上で大変興味深かったですし、前述の人種差別を始め、
当時の(そして今も)保守層がいかにロックンロールを攻撃し、非難し、弾圧したのか
という歴史を理解出来るコーナーが何とも感動的でした。そこではエルヴィスやビートルズからアイスTやエミネムに至るまで、彼等の言動を当時の保守層(主に政界や宗教界)が
いかに批判・非難し、それに対してアーティスト達がどのように応じたのかが
音と映像で検証できるわけです。

 この日は入場した朝からお昼過ぎまで、クリーブランド近郊の小学校の課外授業が
ひっきりなしに来ていました。ロックのレジェンド達と言っても、小学生の子供達には
ピンと来ないでしょうが、アメリカの誇る文化であるロックンロールの歴史を縦軸(時代)と横軸(地域)から学び、どのようにして自分達がごく普通にいろんな音楽をいろんな人達と一緒に楽しむとができるようになったのか、ということを学んでいるのは
素晴らしいことであると感じましたし、子供達も皆興味津々で楽しんでいるよでした。

正に、これこそ数式・文法やセオリーよりも大切な本当の教育の一つであると思います。

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