【I Love NY】月刊紐育音楽通信 November 2015

奇跡は三度訪れるでしょうか。
ニューヨークは今、MLB(大リーグ)のニューヨーク・メッツのワールド・シリーズ出場で盛り上がっています。

 ニューヨーク市にはヤンキースとメッツというふたつMLB球団がありますが、前者はブロンクス区、後者はクイーンズ区を本拠地としています。
よってファンは基本的にそれぞれの地域を中心としているわけですが、実際には常勝・名門のヤンキース(元々はニューヨークの球団ではなく、ボルティモアから移転)はニューヨーク市全域、果てはニューヨーク州全域に至るまで圧倒的な人気を得ているのに対し、弱小・後発球団(とは言え1962年にニューヨークの球団として設立)のメッツは常にマイナーでダサいイメージを持った常にバカにされるような存在であると言えます。

 ですが、それ故に(?)”ダメ球団”メッツに愛着を持った熱狂的なファンも多いと言えます。
実は私も高校生の時に初めてニューヨークにやってきて、ホスト・ファミリーの方が野球好きで、よくメッツの試合に連れて行ってくださり、”メッツで育った”人間でもあるので、このチームへの愛着はひとしおです。

 私が初めてメッツのゲームに連れて行ってもらったときは、メッツは”ミラクル・メッツ”と呼ばれた1969年の優勝以降再び低迷しており、監督はその後ヤンキースの名監督となるジョー・トーリで(まだ選手兼でした)、その後大洋ホエールズにやってくることになるフェリックス・ミラン(日本ではなぜか「ミヤーン」と呼ばれました)がその華麗な守備と手堅いバッティングで活躍していました。私は前述のホスト・ファミリーの方に大リーグの醍醐味を教えていただいたと言えますが、まず球場に入ったらホットドッグとクラッカー・ジャックを買い、とにかくみんな声を出して騒いで笑って歌って好き勝手に楽しむという観戦スタイルにはカルチャー・ショックを受けたものでした。
小学生の頃に父親に連れられて、当時、南千住にあった東京球場での大リーグ親善試合なども観ていた私ですが、やはり本場の大リーグは圧倒的で全くの別世界でした。

 その後、メッツ2度目の優勝(1986年)、そしてヤンキースの連続優勝と、私はニューヨークMLBチームの優勝とそれに至るゲームを肌で感じて楽しんできましたが、
今回のメッツのワールド・シリーズ進出は、何か子供か孫の活躍を観るようで感慨深いものがあり(実際に若い選手達は私の子供達よりも若い年齢ですし…笑)、昔のように熱狂こそはしませんが、温かく力強く応援を続けています。

————————————————————————


先日、久々に全米ツアーに同行しました。
古い友人であるDJ KRUSHの11年ぶりとなる新作リリースによるワールド・ツアーの第一弾であったのですが、久々に全米各地のヴァイブと現状に触れ、アメリカという国の音楽文化の深さと豊かさを改めて肌で実感できました。

 DJ KRUSHとは本当に長いつきあいで、彼のファースト・アルバムに1曲参加しただけでなく、先日ギタリストの一周忌で一度限りの再結成をしたヒップホップ・バンドでも5年ほど一緒でしたし、彼とのユニットでICE CUBEの日本公演の前座を務めたり、DJ KRUSHによるリミックス・プロジェクトに参加させてもらったりと、本当に楽しい思い出がたくさんあります。
今回は2006年の全部ツアーに続いてのマネージャー仕事でしたが、バンドではなく、彼と二人だけで回るツアーでしたので、久々に古い友人と毎晩飲み交わすこともできて、とても楽しい思いをさせてもらいました。

 とは言え、11年のブランクというのは大きな壁と言えます。
特に彼は日本にいるアーティストなわけですから、アメリカのファンにとってのブランクというのはとてつもなく大きなものがあります。
はっきり言えばこれまでのようなチケット発売後即ソールド・アウトというような形にはなりませんでしたが、それでも、どの都市に行っても昔からの熱狂的なファン達がしっかりと集まり、それに加えて新しいファンや、親や周囲の年長者達からの影響で初めて観に来たというファン達も大勢いて、流行り廃りに振り回されない、ライフスタイルやカルチャーに根ざした力強い音楽文化が、どこにおいても常にそこにありました。

 今回は全米ツアーの前半戦で、7都市を約2週間で回りましたが、それぞれの都市は、それぞれに異なる個性と音楽文化を持ち、それらがアメリカの音楽シーンを形成しているわけですので、今回は良い機会と思い、今回ツアーで回った各地の音楽シーンの一端をご紹介してみたいと思います。
今回はその前半として「西部編」をお届けします

ロサンゼルス(日本の姉妹都市:名古屋)
 言うまでも無く、ここはニューヨークと共に音楽だけでなくアメリカ文化全般においての最大拠点の一つです。
ニューヨーク同様、ここには”すべて”があり、常に莫大なマネーが回っています。
しかし、よく言われるのは、ニューヨークは”本物”であり、LAは”フェイク”である、ということです。
別に自分がニューヨーカーであるから言っているわけでもなく、LAを見下す気も毛頭無いのですが(ある意味で私はNYよりもLAが大好きです)、LAはハリウッドに代表されるように、特に名声や富といった部分で”虚栄”の側面があまりにも多く存在します。
しかし、それが故に音楽シーンの動きはニューヨーク以上にダイナミックで、常にアメリカの音楽シーンをリードしてきたと言えます。

 ロサンゼルス出身の代表的なミュージシャンやバンドと言えば、ザ・バーズ、ドアーズ、スリー・ドッグ・ナイト、バッファロー・スプリングフィールド、ステッペン・ウルフ、モンキーズ、カーペンターズ、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、ランディ・ニューマン、トム・ペティ&ハートブレイカーズ、TOTO、ガンズ&ローゼズ、モトリー・クルー、ドッケン、クワイエット・リオット、メタリカ、メガデス、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、フィッシュボーン、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン、TOOL、マルーン5、シェール、PINK、ICE-T、ブラック・アイド・ピーズ、Ne-Yo、等々挙げていけばキリがありません。
なるべく縦軸・横軸幅広く選んではみましたが、とても全てをカバーできるレベルではありませんし、その他にも様々なジャンルで有名な連中もいますし、その数においても全米一と言えます。

 上記の名前を見ても感じられるかと思いますが、LAのミュージシャンやバンドには、他の都市では見られない、ある種の”華やかさ”や”勢い”といものがあります。
これがアメリカの音楽シーンの大きな牽引力となり、”アメリカらしさ”やアメリカン・ミュージックのイメージを生み出していることは誰にも否定できないと思います。

<おまけ>LA市警のヒーロー:刑事コロンボ

サンフランシスコ(日本の姉妹都市:大阪)
 サンフランシスコと言えば、古くはゴールドラッシュで有名ですし、(NFLのサンフランシスコ・49ersという名前は、1849年のゴールドラッシュから来ています)、シアトルと共に日本人が初めてアメリカに入居した都市でもあります(今もジャパン・タウンがありますが、戦前・戦中は排日運動の拠点にもなりました)。

 サンフランシスコと言えば、ヒッピー・ムーブメントとIT産業のシリコン・バレーが代表的ですが、実はこの二つは微妙にクロスしてる部分もあります。
また、港町故の国際性を持ち(アジア系が30%以上)、ゲイ・ムーブメントのメッカでもありますし、メンタリティ的にはリベラル派の牙城と言うこともできます。

 サンフランシスコ(&ベイエリア)出身の代表的なミュージシャンやバンドと言えば、グレートフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン(スターシップ)、サンタナ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、タワー・オブ・パワー、スティーヴ・ミラー・バンド、ジャーニー、ナイト・レンジャー、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、フェイス・ノー・モア、デッド・ケネディーズ、カウンティング・クロウズ、テスタメント、エクソダス、デス・エンジェルといったところが挙げられますが、いずれも独特の”ゆるさ”と自由奔放さ、そして反骨精神といったものも感じられるかと思います。
そのあたりは、現在の音楽シーンにおいても特にメタル系やクラブ系などにおいて息づいていると感じます。

<おまけ>サンフランシスコ市警のヒーロー:ダーティー・ハリー

サンディエゴ(日本の姉妹都市:横浜)
 カリフォルニアと言えばLAやサンフランシスコですが、ある意味、このサンディエゴはカリフォルニアにおける”天国”のようなところでもあります。
ニューヨーカーはマイアミにある種の憧れがありますが、それに対するカリフォルニアの憧れ(というか全米的な憧れ)がこのサンディエゴにはあります。
それは季候・環境の素晴らしさ故でもありますが、実際にはこの地には”白人の富裕層の町”というイメージがあります。
最近は大分有色人種も増えましたが、それでも60%以上は白人であり(LAやサンフランシスコでは白人は半数以下です)、また基地の町でもあることから、カリフォルニアの中では保守層の強いエリアでもあります。
ただし、北はLAとの間のビーチ・エリアで若者が多く、南はメキシコとの国境故にメキシコ系も多く、多面的な要素も内包しています。

 今回のツアーでは、サンディエゴから北に30分程のビーチ・エリアでの公演でしたが、ここは全米で4番目に所得と土地物件が高額なところでもあり、歩いている人や犬も違いました(笑)。
分別ゴミなど環境に対する配慮が足りない(無い)アメリカにおいて、カリフォルニア特にサンディエゴは全米一の”エコ・シティ”であるという側面もあります。

 上記のような理由やハイソなイメージから、サンディエゴにはLAやサンフランシスコほどの音楽カルチャーはありませんが、それでもトム・ウェイツ、パール・ジャムのエディー・ヴェダー、ブリンク182、ストーン・テンプル・パイロット、P.O.D.などがサンディエゴ出身であり、特にメタルやパンク系で一癖ある連中が多いとも言えます。

デンバー(日本の姉妹都市:高山)
 さて、上記3都市から州が変わり、デンバーはコロラド州です。
ロッキー山脈の麓で、正に”広大な大西部”というイメージですね(実際には南西部ですが)。
ちなみに、デンバーのイメージを生み出しているジョン・デンバーはこの地の出身ではありません。
彼の本名はヘンリー・ジョン・デュッセンドルフというバリバリのドイツ系で、ジョンはコロラドへの憧れから”デンバー”という名字に改名したのです。

 デンバーはコロラド州の州都でもあり、全米の中でも大きな都市ですが、やはり”田舎”というイメージは強く、土地が広大であることもあって、中心地のダウンタウンであっても店はポツリポツリという感じです。
しかし、それだけに地元の音楽文化・カルチャーを大切にする意識はとても強く、町の音楽スポットには常に若者達が集まってくるという図式が存在します。

 実際に今回のDJ KRUSHの公演でも、どう考えてもヒップホップ好きとは思えないような、健康的で明るい(笑)若者達が大勢押し寄せていました。
LAやサンフランシスコのような大都市に比べると、デンバーはライヴハウスやクラブなどの場所も機会も少ないわけですが、それだけにそうしたカルチャーに飢えているということも言えますし、ジャンルや先入観抜きに新しいものや知らないものを求め、気軽に興味を示す傾向も強いと言えます。

 はっきり言えば、デンバーはにLAやサンフランシスコのような独自の音楽シーンの胎動やムーブメントはあまり見られません。
ですが、デンバー出身のアーティストは数多くいますし(アース、ウィンド&ファイアのフィリップ・ベイリーやラリー・ダン、インディア・アリーなどのR&B系も多い)、デンバーに移ってくるアーティスト達もいます。つまり、デンバーにはアメリカの音楽シーンやムーブメントの”前後”や”背景”を担い、アーティスト達の創造性または想像性(私はむしろこちらの「そうぞうせい」、つまりクリエイティヴィティよりもイマジネイションの方が需要であると考えています)を支えるハートとソウル(”アメリカの心”とも言えるかもしれません)があるという言い方も可能であると思います。

 今回のDJ KRUSHのツアーでは楽しい思い出がたくさんありましたが、その中でも印象的であったのはデンバー公演の後です。
私達も若かった頃は、毎回ライヴの後は朝まで飲んでいましたが、彼も私も子供や孫がいる歳になりましたし、特にDJのショーはライヴ・コンサートよりも遅いので、終演後は真っ直ぐホテルに帰って寝ていました。
しかし、この日は若い観客の盛り上がりが素晴らしく、パフォーマンスの方も一層盛り上がり、DJ KRUSHもとても気を良くしたようで、終演後には珍しく「一杯飲みに行こうか」ということになりました。
と言ってもデンバーで夜中オープンしているバーは限られていて、結局会場の向かいのバーに入ったのですが、それでも週末であったため中は大賑わいでした。
私達はあまり人の集まっていない隅のテーブルに座ったのですが、目ざとく私達を見つけたファンがやってきて、素晴らしいパフォーマンスに感謝するというお礼の言葉と賛辞をDJ KRUSHに伝えていると、続々と若者達が集まってきて、次から次へとおごりの酒を持ってきてくれました(笑)。
彼等はDJ KRUSHに対する自分達の思いを語っていきましたが、いつも感じるのは、アメリカ人というのは一般的に相手に対する称賛よりも、いかに自分が影響を受けたか、そしてそれがいかに今の自分の大切な部分になっているのか、ということを語りたがるのです(つまり、常に自分自身のことが中心なのです…笑)。
大げさではありますが、「あなたの音楽で自分の人生が変わった」「あなたの音楽のおかげで今の自分がある」ということを熱っぽく語るわけです。
彼等の中には、自分もDJであるという若者達も数多くいましたが、そうした中でとても印象的だったのは、
画像処理のエンジニアであるという中年のファンが、
「自分はミュージシャンでもないし、音楽をプレイすることもできない。でも、あなたの音楽のおかげで、自分は自分のやっていることや進むべき道が正しいと確信したんだ。あなたの音楽は自分をいつも励ましてくれるんだよ」
と言ってくれたことです。

私は嬉しくなって
「KRUSH、これがアメリカ流なんだよ」
と言うと、
DJ KRUSHも
「そうだね。わかるよ。本当に嬉しいよね」
と喜び、二人で乾杯しました。

記事一覧
これはサイドバーです。