【I Love NY】 月刊紐育音楽通信 July 2017

先日、私の娘が乗っていた地下鉄が故障して真っ暗な地下内で約45分ほど立ち往生となり、
車内は冷房も効かず酸欠状態となって乗客がパニック状態になるという事故がありました。
その後この車両は動き出し、乗客も結果的には全員無事でしたが、
車内にはまともなアナウンスも無く、救援も遅かったことで、
パニック・アタックで一時呼吸困難に陥った娘はその後泣きながら私に連絡してきました。

 そもそもニューヨークは全米一、もしかすると世界でも屈指の公共交通機関が
最悪な都市と言えますが、現在その状況は更に悪化し、
市民の怒りは頂点に達しつつあります。

 そんな事件から約20日後、今度は私がいつも利用する地下鉄のラインで脱線事故が起き、
車内には煙が立ち込めるなどの被害が出て、39人もの人が負傷しました。
私は幸いこの日は別の地下鉄ラインを利用して動いていましたので
事件に遭遇することは避けられましたが、もしも同乗していたら、と思うとゾッとしました。

 一体こんなことがいつまで続くのか。
再開発だの新しい高層ビルだのと観光客や大資本ばかりに目を向けた投資・計画に熱心で、
市民の足や生活、また増え続けるホームレスのことなどにはまともに対応していない
今のニューヨーク市政は正直言って最悪の状況と言えますし、期待されていたデブラジオ市長は今や多くの市民達から能無しの裏切り者呼ばわれされています。

 毎日テロの不安を感じながら、更に公共交通機関もまともに動かず、煩わされ、
脅かされるという状況に、市民のストレスは一層高まるばかりです。

 先日、現状に耐えかねた反トランプ主義者が、
野球の練習をしていた上院議員達を銃で撃ちまくるという恐ろしい事件が
ワシントン郊外で起きましたが、国政においてもトランプ派と反トランプ派両者の
ストレスと対立は高まる一方で、今後更に過激な行動が両サイドから起きてくることも
懸念される今日この頃です。

トピック:21世紀新世代ジャズの到来


 ニューヨークの音楽と言えばジャズをイメージされる方は多いと思いますし、
ニューヨークがそうしたイメージを裏切らない街であることは事実です。
実際に日本から来られる方々から、夜のエンターテインメントとして尋ねられることが
最も多いのはミュージカルとジャズ・クラブであると言えますし、
常にお勧めできる大物系ジャズ・ミュージシャン達のライヴがあると言うのは、
全米広しと言えどもやはりニューヨークならではであると思います。

 そうした中で人気のジャズ・クラブは、一般的にはブルーノートがダントツですし、
ジャズがお好きな方はヴィレッジ・ヴァンガードということになりますし、
この2軒とバードランドが、現在のニューヨークにおけるジャズ・クラブ・ビッグ3であることは間違いないと言えます。
 そしてこの3つのジャズ・クラブの半数近く、時には過半数が観光客である、
というのも一つの事実です。
つまり、ジャズはニューヨークの代表的な観光産業でもあると言えるわけです。

 私がニューヨークに来た70年代から80年代後半くらいまでは、
こうしたジャズ・クラブの客層は同業のミュージシャンと熱心な地元ファンというのが
大多数でした。
クラブは今の数倍も多くありましたし、営業時間・ショーの時間も遅くまであり、
演奏時間も長く、ショーの回数も3回以上は普通でした(今は2回が一般的です)。

 また料金(ミュージック・チャージ)も安かったので、
クラブの“ハシゴ”というのも容易に可能でしたし、
自分が出演するクラブで演奏を終えたミュージシャンが別のクラブに顔を出すことも
頻繁に行われ、飛び入り演奏というのも一つの楽しみでありましたし、
そこには常に期待と“ハプニング”があったと言えます。

 残念なことに、今のジャズ・クラブにはそういったことは極めて少ないと
言って良いでしょう。
演奏時間は短く、終了時間も早く、ミュージシャン間の交流や飛び入り演奏というのも
あまり見られなくなってしまいました。

 また、以前はミュージシャン間の交流の場であり、
若手ミュージシャンの修行の場でもあったジャム・セッションというものも本当に少なくなりました。
かつてはどこのクラブでもジャム・セッションはあったものですが、
今やジャム・セッションを行うクラブは僅かしかありません。

 ジャズの“観光化”と共にジャズの“高級化”(ミュージック・チャージや飲食費の料金アップ)も進み、更にはジャズの“クラシック音楽化”も進んでいきました。
これは具体的には現在リンカーン・センターのジャズ部門の音楽監督となっている
ウィントン・マーサリスを中心とする90年代のニュー・トラディショナル・ムーブメントによるものと言えますが、
その音楽性以上に、スーツを着て伝統的・正統的なジャズを演奏するというスタイルのわかりやすさやファッション性が時代に受け入れられたという面も見逃せませんし、
実際にレコード会社やスポンサーといった”資本”が大きく動いたことも一つの事実です。

 もちろん、ニュー・トラディショナル・ムーブメントの功績・成果は
大いに評価すべきであると思います。
埋もれたジャズ音楽やジャズ・アーティスト達の発掘・再評価のみならず、
ジャズ教育現場の活性化、そして結果的にミュージシャンの雇用自体も
ある部分では増えたとも言えるからです。

 しかし、これによってジャズは大きなもの、
そしてこれまでジャズを支えてきた根幹の一つを失ったと言えます。
言葉にするならば、それは「ストリート感覚」または「ストリートの音楽」とも言えると思います。

 この「ストリート〜」というのは時代性とも言えますし、
その時代の社会や文化と呼応した生の音楽(つまりライヴ・ミュージック)であるとも言えます。
 
 ちょっと難しく聞えるかもしれませんが、実際にジャズの歴史を見ると
別に難しいことではないのです。
例えば、ジャズの歴史を大まかに見ると、
ニューオーリンズやディキシーランド(1910〜20年代)から、
スウィング(30〜40年代)を経て、ビバップ/ハード・バップ(40〜50年代)、
フリー(60年代)、フュージョンへと発展・移行していったという大きな流れ、またはムーヴメントがあります。

 そして、これらのムーヴメントが何故起きたのかという理由や背景には、
その時代その時代の「ストリート感覚」というものがあり、
それらのムーヴメント自体がその時代の「ストリートの音楽」であったと言えるわけです。
つまり、スウィングもビバップも、フリーもフュージョンも、
その時代の社会や文化と呼応したムーヴメントだったわけで、
その時々においては時代を代表し、リードする、最も「ヒップ」で「クール」な
カッコイイ音楽であったわけです。

 よって、言葉を変えるならば、特に90年代以降のジャズが失ったものは、
この「ヒップさ」、「クールさ」であると言っても良いと思います(これは、日本においては80年代後半から90年代初頭と言われる”バブル期”と繋がっている点も実は興味深いと思います)。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回のテーマは、
その「ストリート感覚」や「ストリートの音楽」、「ヒップさ」や「クールさ」が
ジャズに戻ってきたと言う嬉しい話です。
これは既に全米各地のローカル・レベルで盛り上がってきていると言えますが、
メジャーなレベルで言うとやはりニューヨークとロサンゼルスということになります。

 事の起こりは90年代、ジャズが「ストリートな音楽」ではなくなった時代に
ジャズに興味を持ちながらも、
前述の伝統的・正統的なニュー・トラディショナルという
当時のメイン・ストリームには向かわなかった若者達が主人公となります。

 彼等にとってその当時の「ヒップ」で「クール」な音楽は、
ヒップホップやニュー・ソウル、そしてグランジやオルタナティヴ、
ミクスチャーといったロック・ミュージックでした。
そういった音楽に様々な影響を受けながら育ち、また自分達の親を通して
親の世代の音楽である60〜70年代のジャズやR&B、ポップス、
そしてフォークやサイケからハード・ロックまでを自然な形で経験・吸収していったのです。

 よってそこにはジャンルの垣根や隔たりなどはなく、極めてミクスチャーで
クロスオーバーした音楽環境の中で自らのジャズというものを模索していったと言えます。

 また、彼等はプロとしての音楽活動において、商業的に成功したメジャーな
ビッグ・アーティスト達のサポートを行うことにも躊躇なく、むしろ積極的でした。
例えば、ジョニ・ミッチェル、ジェフ・ベック、スティーヴィー・ワンダー、
チャカ・カーン、マックスウェル、ディアンジェロ、エリカ・バドゥ、ローレン・ヒル、
メイシー・グレイ、ノーラ・ジョーンズ、クリスティーナ・アギュレラ、
ミュージック・ソウルチャイルド、コモン、ジル・スコット、Qティップ、
ウィル・アイ・アム、カニエ・ウェスト、ケンドリック・ラマーなどといった
錚々たるアーティストが挙げられますし、しかも単なるサポート・ミュージシャンではなく、
上記大物アーティスト達のミュージック・ディレクターを務めている場合も少なくありません。

 更に彼等は、上記の大物アーティストだけでなく、
いわゆるジャズの世界でも巨匠・大物達にしっかりと認められ、
様々な共演の場も得てきました。
例えば、クラーク・テリー、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、
ジョージ・デューク、ジョン・スコフィールド、テレンス・ブランチャード、
マルグリュー・ミラーなど、ジャズの世界の中でも特に時代を嗅ぎ取る
感覚の鋭いアーティスト達から大きな評価・信頼を受けてきました。

 上記の中でも特に重要なのが、
今全米の若者達から圧倒的な人気と支持を集めるラッパー、ケンドリック・ラマーであると
言えます。
昨年のグラミー賞では、ラップ・アーティストとしては最多の11部門(史上では2番目に多いノミネート数)にノミネートされ、5部門で受賞したことがまだ記憶に新しいラマーですが、
実は今回紹介する、時代のジャズを背負うであろう「ヒップ」で「クール」なアーティスト達のほとんどが、このラマーに起用されて共演しているからです。

 さて、そんな彼等の正体ですが、今回は少々乱暴ではありますが、
ニューヨークとロサンゼルス共に3人ずつを代表的存在として紹介してみたいと思います。

 まずニューヨークではキーボードのロバート・グラスパー、ベースのデリック・ホッジ、
サックスのケイシー・ベンジャミン。
一方のロサンゼルスではサックスのカマシ・ワシントン、
ウッド・ベースのマイルス・モズレー、エレクトリック・ベースのサンダーキャットこと
ステファン・ブラウナー。
他にも優れたアーティストは数多くいますし、異論があることも承知の上ですが、
私はこの6人はそれぞれに特徴的なベクトルを持っており、
それがこれから一層拡がるであろうジャズの新時代をより豊かで興味深くしていると感じ、
それが故の選択と言えます。

 ニューヨーク勢の3人は全員、ロバート・グラスパーのグループ、エクスペリメントの
メンバーですが、実はこの3人はかなり方向性が異なり、
それがこのグループの魅力でもあります。

 まずリーダーのグラスパーは言うまでも無く、
今回のテーマである「新世代ジャズ」のリーダー/牽引者的存在と言えます。
新世代のハービー・ハンコックとでも言うべき影響も感じさせますが、
テキサス(ヒューストン)出身らしい南部色を感じさせるゴスペルをルーツにした
独自のR&B感覚と、ヒップホップやグランジ・ロックなどを巧みに取り込む
ミクスチャー感覚が、既存のジャズという枠組みを大きく飛び越えるものであると言えます。
グラスパーは「ブラック・レイディオ」の連作で連続グラミー賞を受賞していますが、
どちらもジャズ部門ではなくR&B部門であるというのも面白い点です。

 フィラデルフィア出身のデリック・ホッジはベーシストでありながら、
ある種アンビエント的とも言える独特の浮遊感を持った
心地よいサウンド・コラージュのようなアプローチがあまりに独特ですし、
従来のジャズの“熱さ”とはまた別のベクトルを持っているとも言えます。

 今回の6人の中では唯一のニューヨーク出身であるケーシー・ベンジャミンは、
今回の6人の中ではまだリーダー作も無く、
大物メジャー・アーティスト系やジャズ系との共演も少ないですが、
スタンスとしては最も異色の存在であり(風貌も)、
最もジャズや一つの楽器にもこだわらない(サックス、キーボード、ボコーダー)自由さが魅力です。

 ロサンゼルス勢はニューヨーク勢に比べ、ミュージシャン間の横の繋がりや
コミュニティ意識が強く、その意味では今後ニューヨークよりも
ロサンゼルスの方がムーヴメントとしては大きくなっていくのではないかとも思われます。

 まず、こちらの筆頭はやはりカマシ・ワシントン。
斬新さやエクスペリメンタルさは他に比べて少ないですが、
ジャズの歴史を網羅しているかのような壮大なサウンド作りと、
決して模倣や再現ではなく、現代のストリート感覚によって音楽が支えられている点で、
ある意味最もストレートで王道的なアプローチを歩む存在であるとも言えます。

 カマシとは中学生の時からのつきあいというマイルス・モズリーは、
ヒップホップでもロックでも、あくまでもウッド・ベースにこだわり続けつつ、
エフェクトを多様してウッド・ベースの新境地を開拓しようという意訳的な
ミュージシャンです。
ソングライターでありシンガーでもある彼は、
今回の6人の中では最もコミュニティ意識が強く、守備派にも広く、
ロサンゼルスの新世代ジャズ・ムーヴメントを広げるキー・パーソンであるとも言えます。

 サンダーキャットは、ハードコア・パンク・バンド出身故にミクスチャー感覚は
ダントツであり、更にケニー・ロギンスやマイケル・マクドナルドがヒーローという
ポップでユニークな曲作りと、そうした影響をも感じさせないあまりに個性的な
サウンド・メイキングで、今回の6人の中では最もジャズを飛び越えたアーティストと言えます。

 以上簡単ではありますが、新世代のジャズをリードする6人を紹介しましたが、
上記のように、彼等はこれまでのジャズまたはジャズ・ミュージシャンの範疇に収まらない
アーティストであるという点で、正に新世代を切り開いていると言えますし、
ジャズが失った「ヒップ」で「クール」な「ストリート感覚」を全く新しい形で
取り戻してくれていると言えます。

 ジャズはクラシック音楽同様、メディアもファンも保守的な傾向を持つ部分も
ありますが、前述の歴史が証明するように、新しい伝統とは常に時代の
息吹と異端達によって生み出されているという点を忘れてはならないと思います。

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