【I Love NY】1.今年もスーパーボウルのハーフタイム・ショーは一騒動?2.今年のグラミー賞、アデルとレディ・ガガの明暗の意味・理由は?

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)

1.今年もスーパーボウルのハーフタイム・ショーは一騒動?

先月のニュースレターの最後でちょっと触れたスーパーボウルのハーフタイム・ショー(マドンナ)ですが、今回も予想通り(?)アメリカでは大きな話題と論争が巻き起こりました。ゲームも含めて、スーパーボウルは日本でも放映されていると思いますので、ハーフタイム・ショーの内容については細かく触れませんが、マドンナの歌や踊りはともかくとして、クレオパトラのごときセットとショーの構成に関しては誰も文句の付けようがない、
というところのようです。

しかも50歳を過ぎてのミニ・スカート姿。今、あの歳であれをできるのは、マドンナ以外にはいない。やはりアイコン、ディーヴァ、カリスマとしてのマドンナの面目躍如、という意見が圧倒的です。しかも今回は、“女帝”(マドンナ)を取り巻くゲスト達が実に見事であったと言えます。
なにしろ現在最も“旬な”女性ラッパー、M.I.A.とニッキー・ミナージュの二人を従えて登場したことは、実に戦略的でありながらも、これができるのもマドンナならではだと思います。このM.I.A.とニッキーは、新世代の女性ラッパーと言われています。


女性ラッパーに関しては、その先駆者と言われるロクサーヌ・シャンテ(まだ40歳代前半のはずですが既に引退)を除いては、これまでリル・キムのようなキュート&セクシー・タイプか、クイーン・ラティファのような硬派&姉御タイプがほとんどでした。
しかし、M.I.A.とニッキーは、タイプは全く異なれど、その中間を行くというか、その両方を取り込んだタイプと言えますし、広範囲の女性ファンのみならず、男女両方のファンもしっかりつかんでいるのが特徴的です。

M.I.A.は生まれはロンドンながら、育ちはスリランカ(その後、難民として再びイギリスへ)で、両親はタミール系スリランカ人のヒンズー教徒。一方のニッキーはトリニダート・トバーゴの生まれで、その後はニューヨークで最も危険なエリアの一つとされるサウス・ジャマイカ(50セントも同地区)の育ち。M.I.A.の父親はスリランカの反政府組織の一員として失踪中で、ニッキーの父親はアルコール&ドラッグ中毒で母親を殺そうとまでした人ですので、二人とも父親に関してはトラウマとなるほどの大きな問題を抱えています。つまり二人とも、人種的には完全にマイノリティであり、過酷な境遇の元で育ったバリバリ硬派でありながら、キュート&セクシーな存在である、というのが巷のアイドルやディーヴァ達とは明らかに違う点であると言えます(その点、レディ・ガガなどは“お嬢さん”ですし、M.I.A.の痛烈なガガ批判は有名です)。そして、そんな二人を従えた女帝のごときマドンナのパフォーマンスは、実に計算高く戦略的なものと言うこともできるわけです。

さて、そんなマドンナのハーフタイム・ショーでしたが、なんとM.I.A.が彼女のラップ部分でカメラに向かって中指を立てたのが全国放映されて大変な批判を受けました。なにしろスーパーボウルというのは常に最高視聴率を記録する国民的テレビ番組でもあり、老若男女を問わず圧倒的な数のアメリカ人が観ているわけです。ですから、日本で言えば紅白歌合戦で中指を立てる以上の衝撃があります。思えば2004年のスーパーボウルのハーフタイム・ショーで、ジャネット・ジャクソンの胸ポロリ事件というのがあり、故意かアクシデントかは別にしても、こうした“不謹慎な”映像を二度と全国ネットで流さないために、NBCテレビはディレイ・システムを取り入れたライヴ中継を始めたのですが、M.I.A.の“巧妙な過激パフォーマンス”(正直言って、私もM.I.A.の中指には気が付きませんでした)は、NBCの敏腕中継オペレーター達をも見事に騙してしまったようです。

トピック2:今年のグラミー賞、アデルとレディ・ガガの明暗の意味・理由は?

去る2月12日、音楽業界最大のイベントの一つであるグラミー賞の授賞式が行われました。今回はUKシンガー・ソングライターのアデルが見事ノミネートされた主要3部門を含む6部門で受賞するという快挙を成し遂げましたが、これには様々な意見や主張が巻き起こりました。確かにアデルは素晴らしいアーティストであると思いますし、売り上げ枚数やランキングにおいては次々と記録を作っていますが、正直歌唱力に関して言えば、彼女くらいの優れたシンガーはゴロゴロいますし、その曲調や歌詞にも特に目新しさがあるとは思えません。
ですが、私自身の不満・疑問は、むしろそれよりもレディ・ガガの主要部門受賞がなかったということです。これにはガガ・ファンの思いはもっと強く深刻だったようで、ガガへの同情がアデル批判に転じることを恐れたガガ自身が、「アデルは受賞したどの賞にもふさわしかったし、その素晴らしい人柄は7つ目のグラミー賞に値する」とまでアデルの快挙を称えて絶賛したほどでした。
それにしても、3部門で受賞し、授賞式での“孵化”パフォーマンスも大きな話題となった昨年の“ガガ・イヤー”の一年後であったとは言え、あれだけの優れたコンセプト・アルバム「ボーン・ディス・ウェイ」を発表したのに、今回は受賞無し、というのはどうにも理解しがたい部分が残ります(ちなみに、これまで主要部門の2年連続受賞は、スティーヴィー・ワンダー、U2、フランク・シナトラ、ロバータ・フラックの4名のみ)。

グラミー賞というのは売り上げ成績でも人気投票でもありませんし、アカデミー賞と同様、会員(NARAS:ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス)の投票によって決まるものです。したがって、会員の好み・意向・意図・思惑などといったものが反映され、“政治的な”側面も存在することは昔からよく言われていました。例えば2007年のディキシー・チックスによる主要3部門を含む5部門受賞はブッシュ批判で同バンドが受けたヒステリックなバッシングに対する同情と、チックス支持を通したグラミーのブッシュ政権への反駁であったという指摘もありますし、2008年ハービー・ハンコックの最優秀アルバム賞受賞は、ダンス一辺倒の音楽業界へのアンチテーゼであったという指摘もあります。いずれにせよ、グラミーが時折こうした“世直し”に出ることは、アメリカの音楽業界関係者の中では黙認されていることとも言えるでしょう。

そんなわけで私は今回、私の身の回りのアメリカ人音楽関係者(NARAS会員も含む)に、今回のグラミー賞に関する不満・疑問をぶつけてみました。当然のことながら様々な意見が聞かれましたが、大勢として、アデル独占の理由とガガ落選の理由としては以下のような意見が大勢を占めていました。
まずアデルに関しては、イギリス出身の白人美人シンガーというアメリカ人好みなアドバンテージはあるものの、その才能と人柄の素晴らしさにケチを付けるところは無く、むしろ、ここ最近のパフォーマンス色の強いダンス系音楽主流もしくは一辺倒に近い中で、60〜70年代のR&B/ソウル・ミュージックを彷彿とさせるしっかりした曲作りと歌唱は非常に貴重であり、今後の音楽業界再活性化のカギを握るキーパーソンとも言える。
もちろんアデルのような試みは90年代以降のネオソウルにも見られたが、アデルの場合はもっとポップス色が強く、より広範囲のマーケット展開が望める…というものでした。
確かにアデルの性格の良さは業界内でも有名のようで、それは前述のガガのコメントにも現れています。私はかなり辛口の意見を述べましたが、彼女の才能は、良質の音楽が少ない“今の時代”にこそ求められているものであるということは確かなようです。アデルはアメリカでは特に女性ファンが多いのですが、それは失恋の曲が多いというだけでなく、彼女のストレートで飾らない歌が多くの女性に共感を与えているようです。大抵の場合、女性シンガーというのは、多くの熱狂的な女性ファンがいる一方で、熱狂的な“アンチ”もいるものですが(ガガはその典型)、アデルの場合は女性の“アンチ”というのは極めて少ないようですし、これまであまり音楽を聴かなかったフツーのおばさん達までが聴いている、というのはこれまであまり見られなかったことのようです(それが故に販売枚数が爆発的に増え続けているようです)。

次にガガに関しては、特に最近アクティヴィストとしての活動が目立ってきており、そのことを嫌うグラミー会員も少なからずいる、というものです。ハイチ地震や昨年の東日本大地震の救援・支援活動などは話も別ですが、米軍の同性愛者雇用差別撤廃や、各州の同性婚承認に関しては、ガガの活動無くしては、ここまで拡がらなかったとまで言われています。これに対して保守系の多い地方では、ガガのコンサート・ボイコットやCD販売禁止、放送・放映禁止を呼びかけるという動きまで出てきているわけで、保守系のガガ・アレルギーは決して無視できないほどに拡がってきており、それがグラミーにも少なからず影響を与えているということは充分にあり得る話です。

今回、話を聞いた業界関係者の中には過激な意見を述べる人も何人かいました。例えば、「もう黒人のR&Bはこれまでのようには注目されないし売れない。アデルのような新しいタイプのブルー・アイド・ソウル、または別人種のR&Bなどが人気を得ていくはず。その意味では日本人を含めたアジア系の進出は充分起こりえる」というものや、「ガガはコンセプトは一流だが、音楽は二流。マドンナやグレース・ジョーンズの焼き直し」(これはM.I.A.も同様な批判をしています)といった意見もありました。私自身は、これらの意見には賛同しませんが、アメリカ音楽界の一面を垣間見る一つの意見であるということは言えそうです。
何はともあれ、様々な意見が飛び交うことは良いことですし、特に90年代後半以降停滞気味であった米音楽界が、再び活性化しつつあることは間違いないと言えそうです。今回話をした業界関係者の中の一人が冗談交じりに言った以下の言葉には思わず納得してしまいました。「アデルであろうとガガであろうと、どっちが受賞してもいいじゃないか。テイラー・スウィフトやレディ・アンデベラムがグラミーの栄誉に輝くような年でなかったのは本当に嬉しいよ(笑)」

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