【I Love NY】1.米音楽界におけるジャパン・エイド〜「ソングス・フォー・ジャパン」の例

(ここではSTEPのNYスタッフから届く、現地の最新音楽情報の一部をご紹介しています!)この記事は地震前のものです。

1.米音楽界におけるジャパン・エイド〜「ソングス・フォー・ジャパン」の例

最近ではニューオーリンズのハリケーン・カトリーナといい、スマトラ沖の津波と
いい、ハイチの大震災といい、アメリカの対応、そして“エイド”というのは本当に素早いと言えます。今回もそれらの災害以上に音楽界は素早く反応していました。ポップス、ロック、ジャズ、クラシックなど様々なジャンルにおいて、そしてドラマーである私の娘がマンハッタンの公園で行っている本当に小さな救済ライヴ・パフォーマンスから、U2やレディ・ガガ達によるチャリティ・アルバム「ソングス・フォー・ジャパン」に至るまで、みんながそれぞれにできる範囲内でできる限りの行動を起こしています。
私はここに日米の違いも感じます。アメリカでは音楽に関する自粛などというもの
はあり得ません。なぜなら音楽(だけでなく舞踊・演劇などといったパフォーミング・アート全般)というのは単なる“芸能”ではなく、“文化”であり、“生活の一部”であるわけで、世の中の動きと密接に関連しているわけです。ですから、世の中が悪い方向に動けば、音楽はそれを修正する方向に動きます。
今回のような悲惨な状況を前にすると、音楽はそれをヘルプし、立て直す方向に動くわけです。


日本では昔から、音楽や舞踊を“歌舞音曲”と呼んできました。これははっきり言って“アート”や“文化”や“生活”の範疇・レベルではなく、祝い事などでの“芸能”程度にしか扱われてこなかったと思いますし、その地位は極めて低いものとして扱われてきたと思います。ですから、“歌舞音曲=祝いの宴=災害時や喪に服す時には不謹慎”という流れが生み出されやすい背景もあるのだと思います。

しかし、アメリカを始め西洋においては音楽は単に楽しみ・喜びだけではなく、悲
しみや慰め(例えばオケゲムに始まり、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレに代表されるレクイエム)、癒し(例えばバッハのブランデンブルグ協奏曲)、虐げられた人々の苦しみ・叫び(例えば黒人霊歌やブルース)や希望(例えばゴスペル)などでもあるわけです。この世の中の状況・動きや人生とリンクした表現・主張こそが、音楽を豊かなものにしている原動力でもあると思います。
「日本は昔から“歌舞音曲”」と言いましたが、もう今の日本はそんな時代ではないと思います。音楽でも舞踊でも演劇でも、西洋と肩を並べるような、また西洋には無い独自の素晴らしい表現がたくさんあると思います。ですから音楽を始め、文化の自粛というのはするべきではないし、それらに関わる人達は自粛ではなく、それらをもっと現状に則したポジティヴな方向に持って行くべく努めなければならないと思うのです。

比較論のはずが私感になってしまったので、話を元に戻しましょう。先程触れたチャリティ・アルバム「ソングス・フォー・ジャパン」は、過去におけるアフリカの飢餓・貧困救済を目的とした1985年の「ウィー・アー・ザ・ワールド」とは趣が異なる作品でした。
「ウィー・アー・ザ・ワールド」は、ハリー・ベラフォンテという類い希な音楽的
才能とずば抜けた行動力を持った“社会活動家”によるアイディアと、マイケル・ジャクソンという求心力によって成し得た奇跡のプロジェクトと言えるものでした。ですから、マイケルもベラフォンテもいないハイチ救済を目的とした2010年の「ウィー・アー・ザ・ワールド25・フォー・ハイチ」(マイケルは映像で“参加”していましたが)は、オリジナル版のようなミラクル的なケミストリーが感じられなかったことは否めません。
アフリカ救済のための書き下ろし作品であった「「ウィー・アー・ザ・ワールド」
に対して、今回の「ソングス・フォー・ジャパン」は、ジョン・レノン、U2、ボブ・ディラン、エルトン・ジョン、マドンナ、ビヨンセ、レディ・ガガ、ブルース・スプリングスティーン、ボン・ジョヴィ、クイーン、ブラック・アイド・ピーズといった蒼々たるアーティスト38組が参加していながらも、僅かな新曲やリミックスを除いて、ほとんどが既存のヒット曲を集めたオムニバス版/コンピュレーション版となっています。
これにはアメリカ国内でも懐疑的な声も聞かれました。これは「ウィー・アー・
ザ・ワールド」のようにクリエイティヴで画期的な夢のチャリティ企画ではなく、単なる有名アーティストを寄せ集めた金儲け企画なのではないか、と。正にその通り。
これは非常にストレートな金儲け企画に他なりません。なぜなら、今被災地にとって必要なものは援助であり、欧米の大物アーティスト達にとってすぐに実現可能なのは、そのための金集めであるわけです。ですから、この一見やみくもに有名どころの曲を寄せ集めたような「ソングス・フォー・ジャパン」は、極めて現実的で効果的なチャリティであるとも言えます。

もう一つ、この企画で評価すべき点は、ジャンル・世代の垣根を完全に壊している
ところです。具体的には、ジョン・レノンやボブ・ディランといった60〜70年代世代、エルトン・ジョンやクイーン、U2、ブルース・スプリングスティーン、ボン・ジョヴィといった70〜80年代世代、マドンナやレッド・ホット・チリ・ペッパーズといった80〜90年代世代、エミネムやビヨンセ、ノラ・ジョーンズといった90〜2000年代世代、そしてレディ・ガガやブラック・アイド・ピーズ、シャキーラ、リアーナ、ケイティ・ペリー、ジャスティン・ビーバーといった2000年代以降の世代が一つのアルバムの中で顔を揃えているわけです。これは、被災された方々に対しては不謹慎な言い方かもしれませんが、今回の大震災がなければあり得なかったこととも言えます。

例えば、そうした中から一つの例を挙げるなら、今大人気のレディ・ガガはアメリ
カの保守層には圧倒的にウケが悪いと言えます。ウケが悪いどころか、レディ・ガガを目の敵にして忌み嫌っている保守層がアメリカには山ほどいます。彼等はジョン・レノンやボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンやボン・ジョヴィ達のフリーダムは許せても、レディ・ガガのフリーダム(特にゲイ支援)は絶対に許せないわけです。つまり、通常ならば両者が顔を揃えることはあり得ないし、特に保守層の音楽ファンがガガを聴くということも絶対にあり得ないわけですが、このアルバムでは日本救済という目的の元にそれが可能になっているわけです。

営業・販売的な側面で言えば、iTunesは38曲が収録されたこのアルバムを$9.99で配信・販売し、バラ売りはしないというのも画期的です。通常は十数曲のアルバム一枚が$9.99で、1曲を$0.99から$1.99でバラ売りしていますから、これはかなりお買い得であることも確かです。ですから、リスナーにとってはお買い得で買い求めやすく、自分の好きなアーティストと共に、今まで聴くことのなかった(聴きたくもなかった?)ジャンルや世代の音楽も一緒に聴くこともでき、しかもそれが日本への援助につながる、という、戦略的・営業的にも実によく考えられた企画と言えます。
 
このニュースレターの性格上、ビジネス的、営業・戦略的な側面にスポットを当て
ましたが、最後にアーティスト達の“偽りのない気持ち”ということについても少し触れたいと思います。3月11日の大震災以来、私は時間が許す限りテレビやインターネットに張り付いて情報を得ようとしていました。そうした中で、様々なアーティスト達のインタビューなども紹介されていましたが、どれも本当に胸を打つものであったと言えます。中でも大震災の2週間少し前に日本へプロモーションに行っていたブラック・アイド・ピーズ、大震災の直後にキャンセルすることなく日本公演を行ったシンディ・ローパー、「日本のトモダチ達、どうか心を強く持って」とメッセージを送ったジョン・ボン・ジョヴィなどの動揺・悲嘆・励ましのコメントは見ていて聞いていて涙が出ました。
あの日、私は朝早く仕事に出掛け、息子からのメールで大惨事を知りました。初め
てその映像を目にしたのは、仕事で出掛けたジョンFケネディ空港のターミナル内のテレビ・モニターでした。その小さなモニターの前には既に大勢の人々が集まって、信じられないような映像を固唾を呑んで見つめていました。隣りに立っていた空港職員と思われる黒人のおばさんを始め、何人もの人達が”Oh, my God…”と涙を浮かべていました。
場所は離れて、国や人種は違っても、心の痛みは同じです。そして、そうした中で
我々に出来るのは、チャリティと共に、自分たちの仕事をしっかりやり続けることだと私は思っています。過度な自粛を行って産業や経済が停滞すれば、被災された方々は更に痛手を受けることにつながると思います。意気を消沈させず、意識とパワーを高めて、無事で仕事ができる人間はそれに感謝してしっかりと取り組む。そう自分に言い聞かせて萎えそうになる気持ちを奮い立たせているところです。

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