【I Love NY】「月刊紐育音楽通信 Dec 2021」

※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています。

 思えば2020年3月のコロナ・パンデミックが起きて依頼、本ニュースレターはほとんどコロナ関係一色。更にトランプ問題、BLMやアジア系憎悪を中心とする人種差別問題なども加わり、音楽業界をテーマにしても暗く思い話ばかりになってしまっていると言えます。できれば明るいテーマ・話題をお届けしたいと思っているのですが、やはり世の中の状況が状況故、現状を差し置いての明るい話はリアリティも希薄で、どうしても取り上げにくくなってしまうのが正直なところです。既に2020年1月の本ニュースレターのイントロにおいて、「四方八方に“暗く巨大な壁”が横たわっている」と書きましたが、この“壁”がコロナによって様々な形で一層深刻になっているというのは誰の目にも明らかです。

 そんな中でこの2021年もいよいよ年末を迎えるわけですが、来る2022年こそは明るく希望のある年になると信じたいのは皆同じであると思います。この約1年10ヶ月ほどの間、私達は本当に数々の苦難を経験し、犠牲を払ってきたと言えますし、それはまだ過去形として片付けることができません。11月末現在コロナによる犠牲者は世界で520万人超。しかし、古来人類はコロナを超える死者を出した感染症に度々おびやかされながらも、それらを乗り越えてきました。また、このコロナの中でも苦難や犠牲を乗り越え、克服してきたことは様々にあると思います。例えば賛否両論で問題も山積みではあっても、日本はオリンピックをやり遂げ、アメリカは取りあえずトランプの暴走を止めました。音楽・エンタメ界もまだ復活と言えるようなレベルでは到底ありませんが、日本のフジロックやニューヨークのブロードウェイなど、再開の動きは徐々に進んでいます。

 コロナの話を別にしても、大坂なおみはテニス界に波紋を呼び起こし、スニーサ・リーは数々の逆境をはね除けて金メダルを獲得し、ボストンでは初の有色人種&女性のアジア系市長が誕生し、眞子様は眞子さんになりました。。などという話まで持ち出すのは全くの的外れとも言われるでしょうが、そうしたトピックであっても一つ確かなことは、例え賛否両論・問題山積みであっても、例え限られた一部の話であっても、私達の社会は止まっていないということ。私達は今も前に進んでいるということだと思います。そんな事実や動きを励みに、この先の好転を信じ、2022年はできる限り明るいニュースをお届けできるよう、できる限りポジティヴな視点や考えをキープすべく、自分自身を叱咤激励したいと思っています。

 どうか皆さん良い年をお迎え下さい。そしてもっと笑顔や笑い声を生み出す2022年にしていきましょう!

 楽器や機材というのは、単なる道具ではなく、ましてや単なる物でもありません。演奏や仕事を通じて楽器や機材と関わリ続けると(場合によっては、たった一度の出会いであっても)、手にする人の思いや息吹、愛情やスピリットなどがその楽器や機材に“乗り移り”、その楽器や機材自体も手にする人に対して“お返し”(時に“しっぺ返し”)をしてくれ、“愛人”や“分身”とでも言えるような間柄になっていきます。

 上記のイントロを受けて、今回はそんな楽器・機材にまつわるちょっと心温まる良い話をご紹介したいと思います。もう1ヶ月以上も前のニュースでしたので、日本でもご存じの方がおられるかもしれませんが、いくつかの情報筋からも話を得ることができましたので、それらも織り交ぜながらお伝えしてみたいと思います。

 1960年代後半から人気を博し、「アメリカン・ウーマン」の大ヒットで知られるザ・ゲス・フーというカナダ出身のロック・バンドがありました。サウンドは当時の流行でもあったブルース系・サイケデリック系。しかし、当時のアメリカやイギリスのバンドとは異なるゴツく骨太のサウンドは一躍注目を集めていきました。
 「こいつらは誰なんだ?(Guess who?)」彼等と契約したアメリカのレコード会社やラジオのディスク・ジョッキー達はそうした問いを彼等の借りの名前とし、彼等はそれを逆手にとって正式なバンド名にしました。

 このバンドの創立メンバーの一人で、ギター&ボーカル担当のランディ・バックマンが今回のトピックの主人公となりますが、5歳の頃からヴァイオリンを習ってクラシック音楽を演奏していたランディは15歳の時、テレビで観たエルヴィス・プレスリーに衝撃を受け、プレスリーの肩に掛かっていたギターに目を奪われます。
 そして、ギター・コードというものを従兄弟から教えてもらった彼は、翌年には伝説的な奇才ギタリストとして主にジャズやカントリーの世界で良く知られていたレニー・ブルー(ジョージ・ベンソンやパット・メセニーなどにも影響を与えた)に出会い、ギターを教わると共に、チェット・アトキンスの音楽を紹介され、そのギター・プレイの虜になってしまいます。
 ランディ少年はチェットに加え、更にチャック・ベリーと並び称されるロックンロール・ギターの達人デュアン・エディ、そしてロカビリー&ロックンロールの大スター・ギタリストであったエディ・コクランのプレイにも魅せられていきましたが、この3人のギターの巨匠達には一つの共通点がありました。それはグレッチの6120モデルというギターをプレイしているということでした。

 ランディ少年は学校の授業の無い土曜日になると、近所の楽器店の外で、時には1時間以上もショー・ウインドウを眺めていたそうです。なぜなら、そこにはパンプキン・オレンジの色が鮮やかな憧れのギター、1957年製のグレッチ6120が飾られていたからです。
 ランディは何としてもこのギターを手に入れたいと思い、可能な限りお金を節約し、芝刈りやベビーシッター、洗車、新聞配達、ゴミ収集などのアルバイトを何年も続け、19歳の時にようやく、当時のこのギターの販売価格であった$400(現在は1万ドル以上のビンテージもの)というお金を稼ぎ出しました。
 「そのギターを買うことが長年の夢だったんだよ」と語るランディの夢は遂に叶ったわけです。

 「それは本当に特別なギターだったよ、自分にとってすべてを意味してたのさ」「文字通り、いつもこのギターと一緒に寝て一緒に暮らしていたんだ」と語るランディは、このギターを手にした後、自分が結成したバンドをザ・ゲス・フーと改名し、このギターで「アメリカン・ウーマン」などの大ヒット曲を生み出していきました。
 その後、ランディは72年にはこのザ・ゲス・フーを脱退して別のバンドを結成します。彼の二人の兄弟、そしてワイルドなヴォーカルを聴かせるベーシスト、C.F.(フレッド)ターナーも加えて一気に“増速”し、翌年にはそのまんまの名前(笑)とも言えるバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(BTO)と改名してファースト・アルバムをリリースします。
 このBTOはザ・ゲス・フーの流れを汲みながらも、強烈なブギーを聞かせる更に骨太のハード・ロック・バンドとしてスタートし、どこかノンビリした飾らないランディと、力のこもったアグレッシヴなフレッドのボーカルを2枚看板にして大人気を得ていきました。その無骨で厳つい風貌からも、当時は「カナダの木こり」などという笑えるキャッチ・フレーズまで付いたものでした。

 BTOは2枚目のアルバムで全米チャート4位、そして3枚目のアルバムで1位の栄冠を勝ち取ります。アルバムは5枚目まで全てゴールド・アルバム(セールス50万枚以上)。
 「Let It Ride」、「Takin’ Care of Business(当時の邦題「仕事にご用心」)」、「You Ain’t Seen Nothing Yet(当時の邦題「恋のめまい」、シングル全米1位)、「Roll On Down the Highway(当時の邦題「ハイウェイをぶっ飛ばせ!」)、「Hey You」といった大ヒット曲を次々と生み出し、ポップ色も強めていくことで文字通りトップ中のトップ・バンドの座に君臨することになります。

 上記のヒット曲を作り出した際にも、57年製グレッチ6120は常にランディの傍らにいました。しかし、彼等が有名になればなるほど、彼の愛器も“身の危険”つまり盗難の危険にさらされることになっていきます。
 ランディ自身が語っているように、この楽器は単なる彼の愛用ギターの一つではありません。それは彼の分身でもあり、彼そのものでもありました。よってランディはこのギターを異常なまでに厳重に保管したのです。
 例えばツアーやレコーディングなどで旅行するときは、ホテルの自室トイレに、二重のレッカー車用チェーンと二重の鍵を使って固定して保管していたそうです。
 「みんなオレのことを気が狂ってるって思ってたよ。なにしろ、誰かがそのギターを盗もうとするなら、トイレをぶっ壊すか、壁や床ごと引き裂くしかなかっただろうからね」

 ランディの恐れが現実となったのは1976年、6枚目のアルバムをトロントでレコーディングした時のことでした。レコーディングを終えて帰宅する際、ランディはそのギターをロード・マネージャーに預け、ロード・マネージャーはホテルをチェックアウトする際にそのギターと残りの荷物を一旦自分の部屋に保管しました。この僅か5分以内の間に、ランディの分身は姿を消してしまったのです。
 ランディのショックと悲しみはあまりに大きく、彼は何日も泣き続けたそうですが、それでも必死に捜索を続けました。警察はもちろん、ビンテージ楽器店などの協力も得て、世界中の楽器店と連絡を取りながら数十年間も探し続けましたが、持ち去られた楽器の手がかりは全く掴めませんでした。

 「盗まれた楽器のことが頭から離れることは一日もなかった。気が狂いそうになって、同じようなグレッチのギターを片っ端から買い漁ったんだ。結局、385本も買っちまったけど、どれもあのギターとは比較にならなかったよ」
 実は、ランディが買い集めたグレッチのギターは、後にグレッチ社が復興再建し、ビンテージ・モデルの生産を行う際に多大な貢献を果たすことになります。グレッチ社はランディの持つ自社のギターを細部にわたるまで入念にチェックしてコピーしたそうです。「だから、今世の中に出回っているグレッチのビンテージ・モデルは、みんなオレが持ってたギターのコピーなんだよ」

 月日は経ち、2020年3月にコロナ・ウイルスによるパンデミックが起こります。そしてこのパンデミックという厳しい状況の中で、ランディーのギター探しは“インターネット探偵”が登場するという思わぬ展開を迎えることになります。
 その“探偵”の名はウィリアム・ロング。長年BTOの、そしてランディの大ファンであったロング氏は、ロックダウンが続く中、自宅で昔のミュージック・ビデオをYouTubeで観続けている際に、ランディ自身が愛器を盗まれたと語るインタビューに辿り着いたのです。
 「私はギタリストではありませんし、グレッチの綴りさえ知らないんです。でも、彼の無くしたギターに完全に魅了されました」とロング氏は語ります。コロナの問題もあって半ば隠居状態に近く、趣味として写真を分析・加工しているロング氏は、「自分が彼のギターを見つけるんだと確信したんです」と振り返ります。

 ロング氏は古いミュージック・ビデオからランディのギターをスクリーン・ショットで取り出して操作し、高度な画像ソフトを使ってそのギターのボディに見える木目模様やラッカーのひび割れた線などを検証・識別し、その特徴を細部に渡って把握していきました。
 そして、過去10年ほどの間にネット上に投稿された57年製グレッチ6120のあらゆる画像を見つけ出しては顔識別用ソフトを使ってスキャンしていきました。ロング氏によれば、ランディの持っていたギターのパンプキン・オレンジの微妙な色合いと木目模様が、検索した画像を絞り込むことに役立ったと言っています。

 ロング氏による“捜索活動”は1日数時間ずつ行われ、まずは北米、その後イギリス、オーストラリア、アジアなどへと拡大し、世界中から集めた膨大な数の画像をサーチしていきました。
 数週間が経過して、彼が東京に検索を集中させた数日後、ロング氏は日本の写真共有プラットフォームから、東京の楽器店のウェブサイト上で、ランディのギターとマッチしているように見える楽器を見つけ出しました。ロング氏はその楽器にまつわる日本語データを理解することができませんでしたが、その中に英語で目立った単語があったのです。それは「TAKESHI」でした。

 そこでロング氏はGoogleで「TAKESHI」をサーチすると、「TAKESHI」というのは
日本のミュージシャンであり、作詞家/作曲家/アレンジャーとしてTOKIO、嵐、タッキー&翼、関ジャニ∞、加藤和樹など数々のアーティストに楽曲を提供し、様々なヒット曲のプロデュースのみならず、映画やTV-CMのための音楽も制作しておられるTAKESHIさんであることがわかりました。
 更にロング氏は、TAKESHIさんのYouTubeチャンネルを見つけ、その中で2019年のクリスマス・イブに投稿されたYouTube映像で、TAKESHIさんがプレイする57年製グレッチ6120を発見したのです。ギターの映像は非常に鮮明であり、ロング氏が自らの分析によってランディのギターであることを確信するのに充分なものでした。

 興奮したロング氏は、すぐにランディに知らせるべく行動を移しました。まずは、ランディの息子でミュージシャンでもあるタル・バックマンにEメールを送る方法を見つけ、それがランディに辿り着く最も良い方法であると判断しました。
 ロング氏がランディの息子タルにEメールを送って僅か30分以内に、タルから返信がありました。そこでロング氏は自分の発見を詳しくタルに伝え、ランディ自身もそのギターが失われた彼のギターであることを確認したのです。

 幸運にもランディにはもう一人、心強い味方がいました。息子のタルのパートナーである山本ココさんは日本出身で、日本語/英語のバイリンガルであったのです。
 そこでココさんはTEAKESHIさんのオフィスに連絡を取り、ZOOMを使ってランディがTAKESHIさんと会い、彼が失ったギターを見ることができるように手配をしたのです。
 ZOOMによる二人の対面が実現し、TAKESHIさんがランディにそのギターを見せると、ランディは「電気ショックのような衝撃を受けた」そうです。
 盗まれた時とほとんど変わらないその姿に「このギターを持っていた人は、このギターを愛し、大切にしてくれていたんだ」と感動したと語っています。
 
 東京の楽器店でこのギターを見つけて衝動的に購入したというTAKESHIさんは、もちろんこのギターが76年に盗まれたランディの愛器であることを知りませんでした。TAKESHIさん自身は、「このギターに出会った時に運命のようなものを感じました。このギターが自分に話しかけてきたんです」と語っており、このギターが縁でランディとつながったことに感動し、自分の愛器が半世紀近くも経って元の持ち主と再び出会えたことにも感激して涙が出てきたそうです。
 そして、ギターの交換という形で自分が手に入れたギターをランディに返還することに同意してこう伝えました。「このギターを半世紀近く探していたロック・スターのランディ・バックマンさんに最終的に返還できることをとても光栄に思い、誇りに思います。」
 45年近く行方不明であったギターをTAKESHIさんから返してもらうのと引き換えに、ランディは彼のギターと同じ色・同じ仕様・同じような状態の57年製グレッチ6120を見つけてTAKESHIさんに進呈することになったのです。

 実はこの条件は、ランディにとって簡単なことではありませんでした。なぜなら、グレッチが57年に制作したこのモデルは僅か40本にも満たず、現在残っているギターのほとんどは何らかの形で改造されているからです。
 しかし、電話やEメールを使って探し続けたランディは、ついにこれぞというギターをオハイオ州のレアなギター・ショップで見つけます。シリアル・ナンバーから、交換する2台のギターは同じ週に作られたものであるとのこと。この発見にはランディ自身もとても驚いたそうです。

 コロナによる渡航制限が緩和・解除されれば、ランディとTAKESHIさんは日本で直接会ってギターを交換する予定でいます。無事TAKESHIさんのためのギターも見つけたランディは、その日を指折り数えて待ち続けています。
 「日本に行って、この長い失われた時間を取り戻すとき、オレはきっと震えて涙すると思うよ…」
 「こんなことが起こるなんて、全くもって信じられない話だよ。自分にとっては、まるでシンデレラ・ストーリーのようだ」と語るランディは、TAKESHIさんとの特別なつながりも感じています。
 「オレ達はそれまで出会ったこともないけれど、オレ達は親友なんだ。それはギターの友情さ。オレ達はギターの兄弟なんだよ」

 

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