【I Love NY】「月刊紐育音楽通信 Jan 2022」

※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています

 

皆さん、A Happy 2022!です。

 

本当に今年はこのご挨拶の言葉の意味を一層しみじみと感じます。

実はこの言葉の本当の意味を知ったのは、ホームステイでニューヨーク郊外に住み着いた高校生の時でした。9月からの慌ただしい新学期が落ち着き、10月末から巷では「Happy xxx」のオンパレードとなっていきました。「Happy Halloween」(この日は私の誕生日でもありましたから「Happy Birthday」もありました)、「Happy Thanksgiving」、「Happy Holidays」、そして「Happy New Year」と続くわけです。

ところが、これらの「Happy xxx」はそれぞれのイベントの当日ではなく、イベントが近づく頃から言われ始めるのです。日本で生まれ育ち、それぞれ当日に「xxxおめでとう」と言うことに慣れていた自分は違和感を感じました。「まだクリスマスじゃないじゃん」、「まだ年は明けてないじゃん」と。

そうそう、クリスマスに関しては別の習慣も知りました。私が住んだ町はユダヤ人も多かったので、「Merry Christmas」(「Happy Christmas」という言い方はジョン・レノンの歌にもあるようにイギリスならではです)という挨拶にはTPO(和製英語:時と場所と機会)というものがあったのです。

私のホスト・ファミリーはイタリア系でカソリックでしたので、もちろん身の回りでは「Merry Christmas」と言っていましたが、街に出るとよく「Happy Holidays」と言っていました。確かにクリスマスは「Christ + Mass(主イエス・キリスト+ミサ)」という意味の宗教(行事)用語ですから、他宗教・無宗教の人への挨拶としては適切ではありません。

さて、まだ当日になっていないのに「Happy xxx」と言ってしまうのは何故?とホスト・ファミリーのお母さんに尋ねると、それは正確・厳密には「I wish you a Happy xxx」とか「Have a Happy xxx」を省略した形になっているからだということを教えてくれました。つまり、「楽しいハロウィーンを過ごしてくださいね」、「あなたにとって幸せな新年となりますように」という、それぞれのイベントを迎えるに当たっての願いの言葉、思いやりの言葉であるというわけです。

そのことを知ると、日本の「おめでとう」という言葉は何だかとちょっとお気楽な言葉のように、また「おめでたい」という状況・条件を満たしていないと相応しくない言葉のように私は感じました。

そんなわけで、特にまだまだ厳しい状況が続く今・今年こそ、どなたに対しても、どんな状況におられても、私は心から、A Happy 2022!のご挨拶をさせていただきたいと思います。

あなたにとって幸せに満ちた2022年となりますことを、心から、切に願っております! 

 

トピック:2022年のニューヨークと音楽業界の行方は?

 

 全米で1日の感染者が100万人というのは確かに衝撃的な数字です。昨年末は息子夫婦が揃って感染し(二人ともブースター含め3回の接種を済ませていました)、トータル6人で構成される我がファミリーにおいて、まだ感染していないのは私のパートナーと娘の2人だけとなりました。しかし、その2人を含めて私達は、もうかつてのような恐怖心や懸念を持っていないとも言えます。これは今後我々がコロナとの共生を進めていく上での“試金石”である、と。

まだ確証は得られませんが、周囲を見る限り、現状オミクロンは感染力は絶大ながら、これまでのコロナ・ウイルスよりも遙かに症状が軽いと言えますし、症状が悪化するのはワクチン未接種者であるというのが大方のケースであると言えます。

そのため、風邪やインフルエンザと同様、感染しても仕方が無い、感染しても大丈夫、というのが周囲のアメリカ人の一般的な感覚と感じますし、これ以上生活や経済を停滞させるわけにはいかないということで、みんな普通に動き始めているため、感染拡大は致し方ないという理解であるとも言えます。

先日、隔離の制約があっても帰国せねばならなかった日本人の友人・知人からは、「アメリカから帰国したということで、ほとんどの友人達が会ってくれなかった」、「実家の近所で感染者の家に石が投げつけられたことがあった(地方の小さな古い町であるとのことですが)」という話を聞きました。

そうかと思うと、ニューヨークで運送業を営む友人が、「若いスタッフ達の中にはコロナに感染したがってる連中もいる。感染すれば有給で休めるからね」と嘆いていたのには驚き呆れましたが、日米における意識・認識の違いや開きには戸惑うばかりです。

昨年12月は、仕事で何度かタイムズ・スクエアや五番街にも足を運び、その中間に位置するロックフェラー・センターのクリスマス・ツリーの横も通り抜けましたが、昨年のホリデイ・シーズンのニューヨークは、アメリカ国内やヨーロッパなどからの観光客で溢れ、賑わっていました。

マスク未着用の人間が大勢いたことには閉口しましたが、それでも身動きが取れないほどの混雑ぶりは、ほぼコロナ前に戻ったとも言えますし、観光都市ニューヨークとしての活気が戻ってきているのを実感できたことには嬉しさもありました。

そうした観光客に対し、地元ニューヨーカーの意識・対応は大きく異なりますが、それでもこれ以上生活や経済を止めてはならない、という背に腹は代えられないところまで来ているように感じます。

年明けに就任したエリック・アダムス新ニューヨーク市長も、今後更に感染者が増えてもロックダウンはしないと公言し、企業のリモート業務継続や学校のオンライン授業継続に対しても批判を行うなど、社会と経済の復興に強い意欲と自信を持っているようです。

このアダムス新市長は元警官(NY市警=NYPD)ですが、少年時代には不法侵入容疑で逮捕された経験を持ち、その際に警官に暴行を受けたこと、更に子供の頃には学習障害があって、学校において教師からも暴行を受けたことが話題になっています。

本人もこうした過去の経験を隠すこと無く、むしろ強調している感もあるのでNY市警の再編と教育と人種差別問題に関しては並々ならぬ意欲を持って取り組むことが期待されます。

私とは同い年でヴィーガンという点でも共感する部分はあり、黒人ながらいわゆる黒人教会密着型ではなく、メディテーションを日課とする東洋思想傾向も興味深いと言えますが、それでもコロナによって空前の大打撃を受けたニューヨークの経済をいかに復興させるかという最大の問題に関しては全く未知数です。

そんな期待と不安が入り交じるニューヨークですが、実は昨年末から年明けにかけて、ニューヨークの音楽業界内の様々な場で働く友人達と久々のZOOMおしゃべりをしたので、彼等の話で興味深かった点をいくつか要約して紹介してみたいと思います。

但し、友人間でのざっくばらんな話ということで、希望的な予想や、反論・批判を受けそうな部分も含まれていると思われますので、企業名・個人名は差し控えさせていただきますことをお許し下さい。

いずれにせよ、いかにもアメリカ人らしいというか、ベテランの音楽業界人&エグゼクティヴらしく、悲観的・否定的な面を見せない、自信に満ちた強気な面が強く感じられますが、話の内容は“こういう可能性もある”、“こういう考え方もある”という程度でご一読いただけたらと思います(※は、彼等の話に対する私自身のコメントです)。

 

・ニューヨーク郊外ウッドストック在住音楽プロデューサーA氏

(ロック、カントリー、フォーク系を中心に、メジャーなアーティスト達を何人も世に出した敏腕プロデューサー)

「2020年の秋頃から、ウッドストックの不動産は急騰している。正にバブルの状態と言える。

マンハッタンでは維持していくことができなくなった人や企業がどんどんこちらに移ってきている。

更に度重なる隔離や規制で、直に収まるだろうと思われたコロナが長引くことがわかり、将来的にもマンハッタンに居続けることが不利であると多くの人が感じている。

元々アメリカは日本とは違って一都市・一極集中型では無い。州という“国”の集まりであるアメリカ“合州国”の音楽文化・歴史もそのことを物語っているし、各州においても官公庁などの政府機関と文化の中心地は全く別だ。

音楽業界にしても、ニューヨークやLAが中心と言われた時代もあったが、実はナッシュビルを中心とした三極構造のパワー・バランスが少し変わっただけだと言える。

実際には三極化どころではなく、中西部や南部の他都市にも吸引力と発信力のある中心地はいくつもあるから、それらがうまく連携し、作用し合っていたと言える。

ウッドストックも、昔からアート・コロニー(芸術村)として知られ、1969年のフェスティヴァルでロックの聖地化、そしてアメリカ音楽の一つの象徴と化した。そこに加えてこのパンデミックが起こり、ウッドストックへの移住・移転を増大させただけでなく、単なる「発注」というレベルでも以前よりは格段に数が増えている。

みんな敢えてマンハッタンには行かないし、もう行く必要も無い。ここに来てレコーディングし、ここでイベントを行う。マンハッタンなどよりも遙かに環境が良く、安全で、リラックスしていて、人付き合いやコミュニケーションにも温かみがある。地元の人間は地元の文化を大切にしてサポートしてくれるし、収入的にも実は手堅い。

今後「ニューヨーク」というのはもっと広範囲・広域に捉えられていくと思うし、マンハッタンは単なる名前やブランドだけで、テーマ・パークみたいなものになっていくのではないだろうか。

但し、アメリカという国自体の社会的・政治的分断化で、ローカル化の動きはこれまでとは違う形になっていくと思う。悪く言えば一層閉鎖的・局地的になると言えるが、良く言えばその地域ならではの独自性が一層強まっていくとも思う」

※確かにマンハッタンでは、既にタイムズ・スクエアは虚像のテーマ・パークと化していますが…。実は数年前から私の娘がウッドストックのレコーディング・スタジオでエンジニアを務め、ミュージシャン活動も拠点にしていることもあって、私とパートナーも引っ越し計画を考えているのですが、ウッドストックのみならず、その周辺地域も不動産が高騰して、とても手が出されるような状況では無くなってきています。つまり、ウッドストックへのシフトというのは、必ずしも経済の分散化やローカルの地域活性化や発展という面だけでなく、バブリーで新たな富の集中の要素も内包しているように感じます。

 

・大手ライヴ/イベント・プロモーター重役B氏

(かつてはアメリカ最大のチケット販売業者Ticketmasterのイベント部門に勤務していたが、Ticketmasterが興業界最大手のプロモーター会社Live Nationに統合される前に独立し、地域に根ざしたイベント会社の重役として活動中)

「このパンデミックによって最も深刻なダメージを受けた音楽業種は間違いなく興業(イベント)ビジネスだろう。しかも、ミレニアムに入ってM&A戦略を急速に進め、Ticketmasterも統合(2010年)したLive Nationの独占力は益々強大になり、小中規模のイベント会社は、その対応ぶりによって一層の格差が生まれているだけでなく、次々と倒産の目に合っている。

“人が集まれない”という決定的な問題を背負ってしまった興業ビジネスだが、代替手段として登場したストリーミング・ライヴには限界と“飽き”が起こっており、そして元来ライヴをアーティストの活動と収入、そして一般市民の視聴エンターテイメントの基盤としてきたこの国では、コロナによる規制ももはや我慢の限界に達しており、皆様々な方法で活路を見出している。

その代表的なものの一つは“新たなベニュー”だろう。これは野外が基本となり、屋内では対人距離や換気が充分に保てる施設となるわけだが、それを満たすのは大方、郊外・地方のヴェニューとなっている。

これまで各地域のヴェニューにはキャパをメインにしたランク付け(格付け)があったわけだが、このパンデミック対策でその分類や評価も変わってきている。

特に都市部のヴェニューはキャパに対して広さに余裕が無く、密集度も高く、規制・規定も厳しく、物資や人件費などのコストもかかることから敬遠され、いまだ再開の目処も立たないところが多い。特にニューヨークの名物と言える小規模のクラブ/ライヴハウスは絶滅の危機に瀕しているといっても過言では無い。

他方、“新たなヴェニュー”は施設側の対応がフレキシブルであったり、ユニオン(労働組合)が強くないなどの理由もあって、コストが抑えられる他、広告費や会場内外での飲食など、地元も非常に協力的・好意的で、地域の活性化にも繋がる。

例えばイーグルスが今年の夏に行うツアーのニューヨークの会場は、有名な競馬場のある市外・郊外の大きな公園に新設されたアリーナだ。こういった新たな施設や、改装・改修によって新しくなった会場というのは今急速に増えてきており、これらが今までの伝統的で有名な会場の存在を脅かしていくことは必至であると思われる。

また、空き地や跡地、駐車場や広い倉庫などといった比較的フリーなスペースをテンポラリーに使用する仮設イベント会場も急速に増えており、PA機材などのモービル対応の需要も高まっている。一番大きなダメージを受けたからこそ、一番大きく変革し、この先益々成長していく可能性のある音楽ビジネスであるとも言える」

※パンデミック以降、私自身も既に何度かコンサート鑑賞を経験していますが、会場までの距離・時間が今までよりも増しているイベントが増えていることは確かであると感じます。中には丸一日対応であったり、他のプランと兼ね合わせて泊まりがけで行くパターンもあり、ライヴ/コンサート鑑賞のスタイルに変化が生まれている部分もあります。その意味でも、それぞれの開催場所/地域の特徴・特色というものも大きな要素となってきており、少々大袈裟に言うならば、音楽ライフ・スタイル(平たく言えば音楽の楽しみ方)というものにも少しずつ変化が生じてきていることを実感します。その一方で、我が家の側でもダイナー(食堂)の駐車場を利用した野外音楽イベントや、空き地を利用したドライヴイン・シアター(自家用車に乗ったまま映画鑑賞する場所)なども人を集めています。これらはパンデミックを切り抜ける苦肉の策として各地の地域コミュニティ内で始まったものですが、今後それらが興業ビジネス業界と提携していく可能性もあると言えます。

 

・音響機器会社副社長C氏     

(かつてはアメリカを代表するオーディオ機器メーカーに長年勤務し、一時期日本のオーディオ機器メーカの重役にも抜擢され、現在は小規模ながら根強い人気を保つオーディオ・メーカーの副社長を務める)

「ストリーミング中心の動きはもう止まらないだろうが、パンデミックによって今までよりも自宅にいる時間が増えた人が多いことは、音楽鑑賞スタイルにも大きな変化を起こし始めている。

なにしろコロナ前までは、特に若者は移動中でのスマートフォン&イヤフォン・ヘッドフォンというのが音楽鑑賞スタイルの中心だった。それが移動を制限され、隔離され、オンラインやリモートとなることによって、自宅にいる時間が増えた分、自分自身の音楽鑑賞スタイルのオプションも増えることになったと言える。

それはつまり、音楽再生方法にオプションが生まれることでもある。恐らく大半の人は引き続きストリーミングに依存するはずだが、それでも音楽を単に受信するだけでなく、ダウンロードや、CDやレコードといった音楽ソフト・メディアによって“所有したい”と思う欲求が強まっていく人も再び増えていくはずだ。

少なくとも音楽再生の端末機器であるイヤフォン/ヘッドフォンがスピーカーに戻っていく割合が高まることは間違いない。実際に、最近は各社がBluetoothを基本にしたコードレス/ワイヤレスによるハイクオリティの小型スピーカーの開発を競い合っており、それらが自宅での音楽鑑賞またはライフスタイルのベーシックの座を取り戻していくと思う。

但し、昔のようなオーディオ・システムとは異なり、より一層部屋のインテリア的な要素が高まっており、壁や家具の一部、壁掛け等に組み込むことで、ある程度の中大型製品も歓迎されるはずだ。個人的には、ストリーミング/スマートフォン/イヤフォンで再生する音質レベルは低く劣っていると思うが、これは録音方式や再生方式が異なるために音のメカニズム自体が異なり、ライフスタイルの変化に伴うニーズにも左右されるので、単に優劣だけで言い切ることはできない。しかし、場所や時間にゆとりができることで、自分が楽しめる再生機や再生音を見つけるオプションが広がることは間違いないと思う。

※私としてはこれが一番納得しやすく、また期待感のある話に思えました。CDやレコードの復権が進むかまではわかりませんが、少なくともイヤフォン/ヘッドフォンに完全に依存するというのは他者とのコミュニケーションの上でも支障があり、開発・製造する側としても可能性やチャレンジ感が低下するとも言えるので、今後更に斬新なインテリア型再生機器の登場は非常に楽しみなところです。

 

・大手レコード会社の重役D氏

(3大レコード会社の2社を渡り歩き、現在子会社化されたある部門の最高責任者を務める)

「90年代から特に活発になったアーティストやコンテンツのインディペンデント化(独立化)傾向というのは、このパンデミックによって異なる動きを見せ始めている。

これまで多くの有能なアーティスト達やスタッフ達がレコード会社から離れ独立していき、オンラインによる恩恵によって小さなビジネスでも充分な売り上げを維持できるようになっていった。大手レコード会社はディストリビューションやプロモーションという形で彼等との関係を維持していったが、オンライン化の波によって、それも困難になっていき、事実レコード会社は売り上げもマンパワーも大きく低下していった。

しかし、ストリーミングの時代に入ってまた新たな変化が起きていった。ストリーミングは、そのプラットフォームを担う企業のパワーと利権がこれまで以上に絶大だ。具体的にはビッグ・テックであるGAFAM(グーグル(親会社のアルファベット)、アップル、メタ(旧フェイスブック)、アマゾン、マイクロソフト)と、音楽配信自体の専門分野では圧倒的なシェアを誇るスポティファイなどがその代表となるわけだが、彼等の巧妙なストラテジーと独占力によって、ストリーミングはアーティスト達を更に厳しい状況に追いやっている。

インディーズという範疇であれば、アーティスト達が“零細企業”的に継続維持していくことは可能だが、セールス的には大手レコード会社を脅かすような存在とは成り得ない。その証拠が、パンデミック以降の3大レコード会社(ユニバーサル、ソニー、ワーナー)のストリーミング売り上げの驚くべき伸び率だ。

増大の理由は、大手レコード会社のカタログ数と、ビッグ・テックとの提携・依存関係と言える。ビッグ・テックにとってはユーザー数やヒット数が全てなので、原則的には大手でもインディーズでも、全てが大事な販売ルートとなる。しかし、実際にはストリーミングでは数がモノを言うので、パイを持つ規模の大きさによるパワー・バランスには変化が起こらない(つまり、多く持つ者が潤う)。

そこで予想されるのが、大手レコード会社から一旦独立・分離していったアーティストやスタッフ達の“出戻り”だ。但し、それはこれまでとは異なる形態になっていくだろうが、ビッグ・テックの躍進で音楽業界も一層の富の集中とヒエラルキーが進み、音楽市場の支配構造が再び大手に集約されていくことは間違いない。

儲かるところは更に儲かり、儲からないところは更に儲からなくなる。音楽業界だけでなく社会全体において富裕層が更に力を持つことになる。それがアメリカという国の、そして資本主義というパワー・ゲームの原則だし、トランプはそれを大胆に強引に進めただけの話だ。彼は貧困層の味方と見せかけて、実は富裕層の権力・利益集中を一層実現させ、その一方で中間層は切り捨て、または貧困化へと引き下げ、従来の貧困層を今までよりは少し満足できるように仕向けただけだ。彼の言う「アメリカ・ファースト」の本当の意味を知らず、アメリカ全体が「ファースト」であると“幻想”を抱いている人が何と多いことか。

ビッグテックが力を持つほどに音楽業界の大企業も力を持てる。但しメタは脱落していくかもしれない。フェイスブックは内部告発もあってセキュリティ面・倫理面などで汚点を付けた。公聴会が開かれ、議会に動きが生じ、法制度の改革という可能性も出てきた。特に若いユーザーやトレンディな企業はフェイスブックから離れ始め、我々ももはやフェイスブックを最重要企業/メディアとは距離を置いている。もしかすると今後別のSNS対応にシフトしていく可能性もあるかもしれない。

パンデミックはリモート勤務という点においても大手企業の味方をした。既に始まっていたAI導入に加えて、リモート勤務によるコスト削減は絶大だ。よって、我々の未来はコロナが続くほど更に明るいとも言える」

 

※これは前述の3人の話に対し、かなり暗く重い気分にさせられるような、ちょっと気が滅入るようなキワドイ、エゲツナイ話であると思います。特に、トランプの「アメリカ・ファースト」の本当の意味を多くの人が知らない、という彼の指摘は非常に鋭いとも感じます。確かにストリーミング中心の音楽ビジネスの現状から見れば、彼の意見は決して的外れではないと思います。コロナによって一層の富の集中が起こることも、多くの学者・識者達が指摘しています。しかし、音楽業界には様々な分野が存在し、それぞれに特徴的な構造とマーケットを持ち、しかも複雑に絡み合ってもいます。先に紹介したローカル化/分散化の動きなどの異なる“ベクトル”が、音楽業界に、そして社会全体に大きな影響を与えていくであろうというポジティヴな視点や期待も忘れてはならないと感じます。

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