【I Love NY】「月刊紐育音楽通信 Apr. 2022」

※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています。
今月のトピックは「音楽出版の未来~音楽出版は優良な投資案件となっていくのか~ <後編>」

 先日のアカデミー賞授賞式でのクリス・ロックとウィル・スミスの一件の衝撃度は大きく、その余波は益々広がっている感がありますが、前者の下劣なジョークと、後者の粗暴な振る舞いにはコメントする気も起きません。

 それよりも、保守的な白人達の間では、「アカデミーを黒人に乗っ取られた」、「黒人を表に出せばああいうことになる」という心ない意見・批判まで出ていることには胸を痛めます。

 “黒人軽視・蔑視の声があるなら、黒人の露出を増やせば良い”とでも言うような今回のアカデミーの短絡的な対応にも呆れ果てますし、これでは融和どころか対立・分断を助長させるだけのように思えます。

 せっかく「ドライブ・マイ・カー」が作品賞と監督賞含めた4部門にノミネートされ、国際長編作品賞受賞という栄冠に輝いたのに、そうした話題は全て吹き飛んでしまった感があります。

 ですが、そうであっても、日本映画の素晴らしさは、その歴史的な偉大な作品群はもちろんのこと、最近の新しい潮流に関しても、アメリカの映画関係者の誰もが認めていることであると思います。

 黒澤、溝口、小津、成瀬、衣笠といった戦前~戦中世代の巨匠達がハリウッドでも神格化されているのはよく知られていますが、それ以外でも市川、今村、深作、大島といった巨匠達、そして近年では宮崎、北野、是枝、滝田といった優れた映画人達の名前は、映画好きや映画と関わる音楽業界人達からもよく聞かれます。

 最近の韓国や中国の映画に対するハリウッドの高い評価に比べると、日本映画は後塵を拝しているとも言われますし、その理由は、日本の映画はあくまでも日本人向けで海外に通用しないとか、もっと社会性を持った大きなテーマを扱わないと海外では通用しない、などとも言われますが、私にはそうは思えません。

 海外(特にアメリカ)に通用するために海外に適応・迎合するというのは、もう昔(せいぜい90年代まで)の話です。例えば日本のアニメや食文化などでも同様ですが、今は日本ならではの真髄・伝統・特殊性・こだわり・はたまた奇異さ、などといったものがクールだともてはやされる時代であると言えます。

 そもそも、溝口の「雨月物語」や小津の「東京物語」のような、はたまた宮崎の「千と千尋」や滝田の「おくりびと」のような、あまりに日本的で、日本人にしかわからないような価値観や感性が、何故これほどまでに欧米人に評価・賞賛されるのでしょうか。

 それらには日本人を超えて世界に通じる普遍性があるからだとも言われますが、人間の作品には常に何らかの普遍性を見出すことができますし、そうした普遍性というのは意図・意識して表現するものではなく、人としてのピュアな心(良心とでも言うのでしょうか)があれば自然と表出してくるものであると思います。

 つまり、大切なのは外への適応・迎合ではなく、内へのこだわり・掘り下げと、それらを支える自信と誇りではないでしょうか。真に内に向けて突き進んだものが、やがて外へと突き抜け出でることは、人間のアートの歴史が証明しています。

 日本の映画は、もっと胸を張るべきであると思います(そして日本の音楽も)

 

 1970年代に自らのバンドChicで「おしゃれフリーク」や「グッド・タイムス」といったメガ・ヒットを飛ばし、その後ダイアナ・ロスやデヴィッド・ボウイ、マドンナ、デュラン・デュランなどのプロデューサーとしても名声を博したナイル・ロジャースの自宅を訪ねたのは、もう25年くらい前のことだったと思います。

 ニューヨーカーでもある彼のアパートは当時、マンハッタンのアッパー・ウェスト地区にあって、私はナイルの友人に連れられて訪問したのでした。

 確か高級アパートのペントハウスであったと思いますが、専用のエレベーターで上がってドアが開くと、別世界のような光景に驚いたことを今でもよく覚えています。何故ならそこは、住居というよりも、まるでメトロポリタン美術館のようであったからです。

 

 思えば彼のファースト・ネームはナイルですが、アフリカ大陸最大級の河川であるナイル川の下流は、言わずと知れた古代エジプト文明が興り栄えた土地。ナイル川流域には、クフ王を始めとする三大ピラミッドや大スフィンクス、ツタンカーメン王で有名な王家の谷やカルナック宮殿・ルクソール神殿、またアブ・シンベル神殿などがあるわけですが、ナイルの自宅アパートの中は、そうした古代エジプト文明の遺品・美術品で溢れていたのです。

 照明を落とした薄暗い部屋は、人気の無い深夜の美術館のような、ちょっと不気味な雰囲気を醸し出していましたが、中でも度肝を抜かれたのはピラミッド内にあったとされる棺桶の数々でした。

 「これ、中身入ってないよね?」と恐る恐る尋ねた私にナイルは笑って「飛び出してくることはないから、心配しないで」と答えましたが、それでも気味悪がっている私を気遣って、ダイニング・キッチン(そこはさすがに普通の佇まい)に連れて行ってくれて、そこで打ち合わせをすることになりました。

 

 この時は、彼のギター教則ビデオをプロデュースしたいと彼に申し出ての打ち合わせだったのですが、結局実現はしなかったものの、Chicやデヴィッド・ボウイなどでの自分自身のギター・プレイを実にわかりやすく分析・説明する彼の頭脳明晰ぶりには思わず舌を巻いたものでした(この時にビデオを回していれば、それだけで素晴らしい教則作品になったと思いますが、既に後の祭りです)。

 そして、更に驚いたのは彼のビジネス感覚。当時私はアメリカのメジャー・ディストリビューターとの契約を持ってはいましたが、そのことを話すと、「それよりも、こういうやり方の方が僕もキミももっと儲かるよ」と教えを受ける始末。

 

 とまあ、前置きが長くなってしまいましたが、そんな経験があったので、前回のニュースレターの最後で少しご紹介した、ロンドンを拠点とする話題の楽曲著作権投資ファンド会社ヒプノシス・ソングス・ファンド(Hipgnosis Songs Fund)の共同創始者&オーナーとしてナイルが名を連ねていることには、それほど驚きませんでした。

 

 さて今回お話するこのヒプノシス・ソングス・ファンドですが、基本的にはナイルのビジネス・パートナーであるメルク・メルキュリアディスがCEOとなっており、実際に楽曲を管理している音楽出版会社であるヒプノシス・ソングス・リミテッドと共に、実質的にはメルキュリアディスが運営を進めており、ナイルはメルキュリアディアスと共に戦略を立てていきつつも、どちらかというとアドバイザー的、またコネクション開拓またはアーティスト・リレーション的立場にいるようです。

 

 イギリス系カナダ人でもあるこのメルク・メルキュリアディスという人は、元々VirginレコードでマーケッティングやA&Rのディレクター職を務めていた人物です。

 その後、イギリス最大のインディーズ・レーベル&マネージメント会社と言われ、その後夫ユニバーサルに買収されましたが、かつては百数十のアーティスト(アイアン・メイデン、ガンズ・アンド・ローゼズ、スリップノット、ビヨンセ、デスティニーズ・チャイルド、ロバート・プラント、ザ・フーなど)を抱え、20万曲近い楽曲を保有するサンクチュアリ・ミュージック・グループにおいて、その創始者であるロッド・スモールウッドとアンディ・テイラーの元で、アメリカ進出も含めた事業拡大展開を文字通り牽引してきたことで有名になりました。

 その後メルキュリアデスは2006年、サンクチュアリでの約20年間に及ぶ活動に終止符を売って独立し、引き続きガンズ・アンド・ローゼズやモリッシーなどのマネージメントに携わっていましたが、特に表だって話題となるような目立った活動は少なく、今後の動向が注目されていました。

 それがついに2018年、音楽出版の新会社ヒプノシス・ソングスをスタートさせたというわけです。

 

 このヒプノシス・ソングスは、いわゆる楽曲著作権管理を行う音楽出版会社ヒプノシス・ソングス・リミテッドに加えて、楽曲著作権を専門に投資するファンド会社としてヒプノシス・ソングス・ファンドを設立したことが目玉となり大きな話題を呼びました。

 そして、その事業のパートナーとしてメルキュリアディスが手を組んだのが、前述のナイル・ロジャースというわけです。

 

 ヒプノシス・ソングスは、ストリーミング主流となった音楽業界の動向に即し、基本的に楽曲著作権によるオンエア収入で定期収入を生んでいるわけですが、投資家から資金を調達して、楽曲を買収するというのが新たな発想です。

 「投資」の対象は世界的なヒット曲中心。これまで10億ドル以上の投資を行い、2022年3月現在6万数千曲を所有しているとされるヒプノシス・ソングスのポートフォリオは、ポップスとロックが7割以上となり、楽曲リリースから10年以上が経過しても尚、幅広い世代から支持される楽曲が主な投資対象になっているとのことです。

 これを言い換えれば、「Billboard Hot 100」のヒット・チャートで、これまで10位以内に入った曲や、グラミー賞受賞曲が中心になっているということにもなります。

 具体的には、フリートウッド・マック、ジャーニー、プリテンダーズ、10ccなどといったクラシック・ロックから、バリー・マニロウやキャロル・ベイヤー・セイガーなどといったメガ・ヒット曲を生み出してきたソングライター達の作品、そしてジャスティン・ビーバー、ビヨンセ、シャキーラなどといった最近のメガ・ヒットを生み出しているアーティストの楽曲リストを次々と買収しています。

 

 「楽曲著作権購入の目安は、アーティストや楽曲の文化的重要性である」とメルキュリアディス自身が語るヒプノシス・ソングスのポートフォリオは、ポップスとロックが7割以上。実際には6万数千曲中、約1万曲がヒット・チャートのトップ10ヒット曲で、更にその内約3000曲が1位を獲得した曲であるということです。

 メルキュリアディスは「私達はユニバーサル、ワーナー、ソニーと比較すると非常に小さなカタログしか所有していません。しかし、私達のカタログには成功した楽曲の占める割合が圧倒的に高く、成功を収めていない曲はそれほどありません」とも言っています。

 

 このようなメルキュリアディスとヒプノシス・ソングスの動き・戦略を見渡してみると、二つのシンプルな考え方が浮かび上がってくると思います。

 それは、


①アーティストを所有・管理することなく、彼等の楽曲のみを投資ファンドの力を借りて所有・管理する。  

 しかも、

②メガヒットを生み出したセレブなアーティストの楽曲に限る。

 ということです。


 確に、いくらメガ・ヒットを生み出したセレブ・アーティストであっても、浮き沈みのあるアーティスト自身に投資するというのはリスキーであると言えます。

 それに対してここ十数年、著作権というものに対する認識・評価が一層高まってきている状況の中で、著作権の中でも安定した収入を得られる音楽著作権(つまり、ストリーミング中心の安定した著作権使用によって使用料を投資家に還元しやすい)が優良な投資案件として認識されるようになってきたと言えます。

 また、この投資という面について言えば、音楽著作権は金融市場との相関関係が低いため、株価暴落に備えた代替投資先として投資家からも歓迎され、資金も集まりやすい、とも言われてもいます。

 特に世界中で国債がマイナス金利に沈んでいく中、常に利回りを追求する投資家達には、音楽著作権という新たな投資ファンドは大変魅力的に見えるようです。

 実際に、音楽ストリーミング・サービスのマーケットは拡大し、売り上げは伸びる一方ですから、楽曲カタログの価値も益々高まってきています。

 投資ファンドが音楽カタログの権利を購入し、ストリーミング配信され、演奏され、または楽曲が売却されるのに応じて投資家に著作権使用料(ロイヤルティー)を支払うというシステムは、信頼性も高いように見えます。

 従って、音楽著作権に特化した投資ファンドが勢いを増している状況については充分に理解できますし、また音楽業界にとっては歓迎すべきことであるとも言えるでしょう。

 しかし、このムーブメントを評価するにはまだ時間が必要である、という意見も多く聞かれます。

 実際に、ヒプノシス・ソングスのような投資ファンド、あるいは投資ファンドの支援を受けた企業が、前に楽曲を管理していた音楽出版社と同じレベルのカタログ運用ができるのかどうか(つまり、前と同レベル、またはそれ以上の売り上げを上げられるか)はまだはっきりとはわかりません。

 また、これはビジネスとしては大変魅力的であるかもしれませんが、音楽界全体から見れば、そこにはある種の落とし穴とも言えるネガティヴ要素が大きく横たわっているように感じます。

 もちろん、CDメディアの衰退で落ち込んだ音楽産業が、ストリーミング・ビジネスで息を吹き返してきていることは事実ですが、現在のストリーミング一辺倒の状況は、現実的・結果的には超有名アーティストのみに資金が集中する状況を招いていることも事実だからです。

 聖書の言葉ではありませんが、「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われるであろう」という状況は益々顕著になっているわけで、ヒプノシス・ソングスの躍進ぶりは、そうした現状を端的に表し、更に助長しているようにも捉えられます。


 既に現代のアーティスト(ミュージシャン)達は、ただ単に作詞作曲を行い、歌い演奏し、作品を発表するだけでは生き延びていくことはできなくなってきています。

 作品の制作・実演以上に、発表した作品を、いかにコンテンツ・ビジネスに上手く乗せて、多くの媒体で露出・オンエア展開していけるかが問われているわけです。

 そうした展開の機会を支えるインターネットは、全ての人に等しくチャンスを与える夢の媒体であると考えられてきました。

 しかし、その要となるストリーミング・ビジネスは、益々マス・マーケット指向を強め、メガヒットを出したセレブ・アーティスト達の懐を更に膨張させる結果となっている、という現状は無視できません。

 そうした状況・業界の動きの中で、アーティスト達は自分達の権利を叩き売りのように手放し、正に身を削って生きていく状況へと更に落ち込んでいっているとも言われます。

 特に若いアーティスト達や、まだ有名にはなっていないアーティスト達は、大物達の懐が更に潤っていくことに反比例して、益々チャンスを掴むことが難しくなっていると言えるのではないでしょうか。

 ここに一つの厳しい現実があります。現在ストリーミングで1万人のファンを獲得したアーティストの収入は、かつてラジオやLP・CD時代に1万人のファンを獲得したアーティストの収入には、遠く足下にも及ばないということです。 
 音楽で食べていけるチャンスは益々厳しくなっていることは間違いないと言えます。

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