【I Love NY】「月刊紐育音楽通信 August 2022」


※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています。

「何故ニューヨーク?」と聞かれるために、「ストリートの音楽」と答えていたのは、70~90年代頃のことでした。その後、NYの音楽シーンは明らかにパワーが落ちていき、テーマ・パーク化していったことは否めません。そして今回のコロナです。観光客が激減し、テーマ・パークすらも意味が無くなってきたNY、特にマンハッタンのミッドタウンなどは、これが自分が大好きだったNYか…と落胆せざるを得ません。今「何故ニューヨーク?」と聞かれたら、自分は「ワインと日本酒」と言うかもしれません(笑)。NY州の北部や東端にはワイナリーが立ち並び、クオリティもかなり上がってきていますが、自分の言うところのワインはワイン・ショップ。もう10年以上自分はその店でしかワインを買いませんが、その店の優れたところは、小さなファミリー・ビジネスながら、自らヨーロッパを渡り歩いて厳選したワインを仕入れ、仕入れから販売まで全てを華氏56度(摂氏で約13度)に保つという徹底した品質保存です。よって店に入るとTシャツでは寒いくらいですし、客用にフリースのジャケットも置いてあります。テイスティングも楽しめ、店員の専門知識もダントツですが、それよりも何よりも、ここの仕入れたワインは他の店でも売っていますが、この店で買うワインは、他と飲み比べると香りと味わいが格段に違うのです。この店は今はマンハッタンからブルックリンに移っているのですが、そのすぐ隣に店を構えているのが、NYのみならず、今やアメリカを代表する日本酒酒造の一つと言えるBrooklyn Kura。ここは少人数の小さな蔵ですが、杜氏(アメリカ人)の日本酒の伝統へのこだわり具合が半端なく、最近は山廃作りに取り組み、今は雄町米にも取り組んでいます。この二店舗のすぐそばにあるのが、NYで最大級のジャパニーズ・リカー(日本酒、焼酎、ウイスキー、ジン、その他スピリッツ全般)専門店。ここの品揃えもこだわりがあって実に豊富。テイスティングやディスカウントなども頻繁に行われています。そこから少し離れますが、やはりブルックリンにもう一つの日本酒酒造、Kato Sake Worksがあります。ここは更に少人数の本当に小さな蔵ですが、経営者&杜氏は日本人。ですがこちらは逆にカリフォルニア米を使い、ニューヨーカーの食事に合うアメリカンな日本酒を生み出しているとも言えます。どちらもテイスティング・バーや蔵ツアーなどもあって、大変人気ですし、ブルックリンは今やアメリカにおける日本酒のメッカにもなってきていると言えます。

伝統と革新。二つの異なる酒を地元で手軽にいつでも楽しめるなんて、なんと贅沢なことかとつくづく感じます。問題はアルコール依存症気味になってしまうことでしょうか(笑)。

トピック:音楽興行ビジネスの復活を阻むもの

 

 荒野に取り残されたかのような小さな町。その中にひっそりと佇むバー。外に繋がれた馬の横をつむじ風が吹き抜ける。

 店の中では、カウンターに座って静かに酒を飲む、よそ者らしき男が一人。

 奥のテーブル席には、ポーカーに興じる地元の荒くれ者4人。彼等の笑い声は、年老いた店主に対する怒号に変わり、店主の娘にまで手を出す始末。

 「静かにしねえか。酒が不味くなる」「なんだとぉ?誰だテメエは!」

よそ者と4人の荒くれ者はそれぞれの拳銃に手を伸ばし。。。

 

とまあ、西部劇の映画で見たことのあるような光景。そして日本の時代劇でもよくある設定でもあるわけですが、一つ確かなことは、西部劇でも時代劇でも、このよそ者が拳銃か刀を持っていなければ、この店主と娘を助けることができないということです。そしてこれが、トランプを始めとする銃規制反対派の論拠でもあるわけで、故に学校内の子供達を守るためには教師も武装する必要がある、というわけです。何かのっけから突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが、これがアメリカの保守派の論理であり、アメリカがいまだに西部劇の国であることの証とも言えます。

そして音楽コンサートにも、その影響は及び始めています。

既にニュースをお聞きかもしれませんが、去る今月8月の頭、ジョージア州アトランタにて9月半ばに開催予定であったミュージック・フェスティバル「ミュージック・ミッドタウン」が突然中止となりました。当初、中止の理由はコロナ感染かと思われたのですが、主催者側の説明は「自分たちには手の負えない状況となったため」という、はっきりしない物言い。コロナであれば、はっきりコロナであると言うはずですが、この理由には様々な憶測が飛び交いました。結局、主催社サイドではなく、地元のメディアなどが報道する形となって真相が発覚することになったのですが、理由はなんと、主催社側がフェスティバル会場への銃の持ち込みを禁止したことにより、銃規制反対派が抗議運動を起こし、NRA(全米ライフル協会)と深くつながる地元の議員達にも陳情し、議会サイドからフェスティバルの主催者に圧力をかけたためであるとのことでした。抗議運動を起こした側から言わせると、公園など公共の場所に銃を持ち込むことは州法で認められており、そうした公共の場所でのミュージック・フェスティバルにおける銃規制は違法であるため、アトランタ市当局に対して、銃の持ち込み禁止という州法に違反する行為を行うフェスティバルの開催許可を取り下げるよう求めたということです。

このフェスティバルは、昨年はマイリー・サイラス、ジョナス・ブラザーズ、マルーン5などが出演し、約5万人の客が集まったのことですが、今年はマイ・ケミカル・ロマンス、フューチャー、ジャック・ホワイト、フォール・アウト・ボーイを始め、30組を超えるアーティスト達が参加する予定でした。しかし、思わぬ横槍が入っての中止に、こちらの音楽業界、特に興行界(コンサート業界)内の困惑と危機感は高まるばかりです。言わずもがなですが、興行主側にとっては興行中におけるアーティストと観客の安全を守ることが第一です。過去に何度もコンサートにおける負傷・死亡事故を起こしてきた音楽興行界ですが、一度事故を起こせば、その負傷者や死亡者に対してはもちろんのこと、様々な関係者に至るまでの賠償金や訴訟、メディアや世間からの非難・追求など、その責任と負担は膨大なものとなります。

さらに近年は、コンサート会場やクラブなどでの乱射事件が相次ぎ、パフォーマンス中の安全対策のみならず、コンサートの外からの侵入・攻撃に対しても真剣に取り組まなければならなくなっています。よって、コンサート会場やクラブ内での銃規制というのは、興行主・主催者にとって不可欠の対応の一つになっているわけですが、その部分を逆規制されてしまっては、全責任を負うことになる興行主・主催者側にとって、興行自体が不可能なもになってしまいます。アーティスト側にとっても、パフォーマンス中の事故、特に観客側に起きる事故というのは最悪ですし、結果的にアーティスト自身の今後の活動縮小・休止という結果にもなりかねない、命取りのアクシデントであるわけです。よって、銃規制を規制されるような、つまり銃が野放しになるようなコンサートやイベントに出演しようと思うアーティストは、銃規制反対派以外は皆無と言えます。であれば、興行主・主催者側も、アーティスト側も、観客達も、皆銃を所持して不測の事態に備えれば惨事を防げる、というのが銃規制反対派の論理です。彼等は音楽コンサートも西部劇のような世界にしたいようです。

パンデミックも世界的に見れば最悪のピーク時を過ぎ、日本でもアメリカでもサマー・フェスが次々と復活しています。しかし、どちらも思わぬ“邪魔”が入って悩まされているようです。日本はもちろん第7派。先日、日本にいる私の弟一家も全員が感染し、弟はかなり重傷に近かったようです。コンサート自体も、マスク着用や対人距離の確保という措置や論議が続いていると思います。

一方、コロナ感染が終息に向かっていると言われるアメリカでは、もうマスクも対人距離の確保も必要なく、騒ぎ、叫び、モッシングも普通に行われています。ところが、その代わりに銃所持または銃規制という、アメリカならではの歪んだいびつな問題が一層深刻になってきています。

もう一つ、去る7月に、インディアナ州のショッピング・モールで、最近の乱射事件ではすっかりお馴染みとなっているAR15型のライフル銃と拳銃、そして100発以上の弾丸を所持した20歳の青年が、ショッピング・モールのトイレに閉じこもって準備した後、夕食時のモール内で乱射し、食事中の夫婦を含む3人を射殺するという恐ろしい事件がありました。ところが、その場に居合わせた22歳の青年が、合法的に所持していた拳銃で犯人を撃ち殺すという、これまた西部劇まがいの結末に、世間は大いに湧き上がりました。乱射発生後、わずか15秒で犯人を射殺したこの22歳の青年は、惨劇を最小限に抑え、多くの人命を助けたヒーローとして称えられ、これぞ銃のあるべき姿、銃所持がもたらす恩恵であると、銃規制反対派は勢いづきました。

ヒーロー…。確かにこの恐るべき乱射事件に遭遇しながらも、命を落とさずに済んだ人達にとっては、彼はヒーローと言えるでしょう。

しかし、本当に彼をヒーローと呼んで良いのでしょうか。

この事件は、アメリカの数ある乱射事件の中でも、かなりレアなケースであると言えます。実は昨年、コロラド州で起きた乱射事件では、今回同様、その場に居合わせた一般市民が犯人を射殺しましたが、駆けつけた警官達から犯人と間違われて射殺されるというショッキングな結果となりました。恐らく、アメリカの現実、特に躊躇無く発砲する警察の対応を見る限りでは、このコロラド州での事件の顛末の方が、一層起こりえると言えるかもしれません。

銃をもって銃を制す…。

私たちは今後、銃を所持した人間達の中で音楽を楽しまなければならないのでしょうか。

 

 バーから立ち上がって振り返るよそ者。

 テーブルをひっくり返して立ち上がる荒くれ者4人。

 よそ者が手にする銃は、護身用の上下二連装銃「レミントン・ダブル・デリンジャー」。

 4人の荒くれ者が手にする銃は、通称“ピースメーカー”と呼ばれるコルトの6連発「シングル・アクション・アーミー」。

 勝負は一瞬にしてつき、よそ者はハチの巣に。続いて店主も撃ち殺され、娘は連れ去られていく。

 

とまあ、事実は小説よりも奇なりと申しましょうか、現実は映画のようにはいかない場合も多々あるわけでして。

銃というのは高性能である方が圧倒的に優位ですし、殺傷兵器としての扱いがきちんとできてこそ、効力を発揮できるわけです。

西部劇のような勧善懲悪の結末を望むなら、高性能の銃を入手し、確実に相手の命を奪えるよう、射撃のトレーニングに励む必要もあるようです。

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