「月刊紐育音楽通信 January 2024」
※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています。
水浸しの仙台空港。沿岸各地を襲う津波。煙を上げる福島原発。
恐らく、この3つの映像がアメリカ人に与えたインパクトは計り知れなかったと言えます。
送り届けられた惨状(映像)に立ちすくみ、それまでほとんど知られることのなかった福島が「Fukushima」として、鮮烈な映像と共にアメリカ人の記憶にしっかりと焼き付いたことは間違いありません。
そうした2011年3月の大災害に対し、今回の能登地震はアメリカではどう捉えられているのでしょうか。
元旦に起きたというインパクトはあるにせよ、大半のアメリカ人達の関心の低さには複雑な思いを感じますが、その大きな理由の一つが、上記のような“映像”の有無であるとも言えます。
今回の地震の映像の少なさは、地理的にも状況的にも映像を記録することが難しかったという事情もあったと思います。
つまり、根元が細く先が広がる能登半島という独特の形状により、奥能登へのアクセス自体が極めて限定されているという事情が、救助・復旧のみならず、情報の伝達においても大きな障害となった(今もなっている)と言えます。
限られた情報や、その伝達の遅れは、対応の遅れに繋がっていることも確かです。
しかし、この対応の遅れを地理や立地の特殊性だけで語ることには納得できません。
初動の遅れ、民間サイドの援助に対する規制など、“人災”つまり国や自治体の判断・決定の甘さ・遅さは否定できませんし、今後こうしたとてつもない天災に際して被害を最小限にとどめていくためにも、しっかりと検証・追求していく必要もあると思います。
私の回りでも、家屋・施設が倒壊し、今後の生活・仕事の先行きが全く見えなくなってしまっている友人・知人、そしてご家族が避難生活を続けておられる友人・知人が何人もいます。
幸い、私の友人・知人で命を落とされた人はまだおりませんが、それでも死者は200人を超え、2万人近い人達が避難生活を続け、生活インフラの復旧にはかなりの時間がかかるという状況です。
しかし、それは数字の問題ではありません。天災でも戦争・紛争でも、犠牲者の数で関心・対応に差が出てしまうという、私達が陥りやすい思考回路に対しては、常に警告を発していかねばならないと思います。
この2月は、自分自身で企画したものも含め、ニューヨークでのいくつかの支援救済チャリティ・イベントに参加します。
しかし、これも単に行えば良いというものではなく、継続が重要です。復旧が長い道のりとなることは必至なわけですから。
明日はどこで大地震が起きるかわからないという日本の現実の中で、私達は事前にどう動き、その時どう動き、その後どう動くのか。決められたマニュアルだけに捕らわれず、その場その場での柔軟性と決断力が一層問われてくると思います。天災とは人知を超えた災害であるわけですから。
新年最初のニュースレターの出だしがこのような話になってしまい、心苦しく胸が痛みますが、この後の2024年が少しでも良き年となるよう祈るばかりです。
トピック1:2023年の音楽界物故者を振り返る
イントロに続いて、昨年亡くなった人達の話から本文がスタートというのは、更に暗い気持ちになるかもしれません。
しかし、ここは悲しむのではなく、彼等の業績を称え、私達に与えてくれた感動や思い出に感謝したいと思います。
まず、アメリカの音楽市場&業界から見た日本という意味では、坂本龍一と高橋幸宏の死は、とてつもなく大きかったと言えます。
彼等の活動をリアルタイムで体験してきた自分ではありますが、今の若い世代も含めて、彼等の音楽(特にYMO)の影響力や知名度が、アメリカでこれほどまでに高かったということには少々驚くと共に嬉しさも感じました。
そこには日本、アジア、オリエンタル、異国、極東、エキゾチック、エスニックなどといったステレオタイプ的な理解もまだ多く存在しますが、それでも彼等の音楽は、アメリカの音楽シーン、そしてアメリカの音楽ファン達に、忘れることの出来ない刻印を残したことは間違いありません。
それはしっかりと胸に刻んで、今後もポジティヴに捉えていくべき、一つの“誇り”でもあると感じます。
アメリカ国内のミュージシャンで言えば、デヴィッド・クロスビーとハリー・ベラフォンテの死は、時代の終わりを告げるほどのインパクトがあったと言えます。
彼等はその音楽だけでなく、それぞれ、いわゆるヒッピー・ムーブメントと公民権運動の旗手、またはアイコンでもあったわけですので、その存在の大きさは圧倒的でした。
立ち位置はかなり異なりますが、ティナ・ターナーの存在も、特にアメリカでは非常に大きいと言えます。
「セクシー・ダイナマイト」と言われたソロ活動の前の彼女は、ある意味でマリリン・モンローとは対局にあるアメリカの“セックス・シンボル”でもあったわけですが、実は彼女はおぞましいほどのセクハラ/虐待を受け続けてきたことが後になって発覚し、そうした過去を乗り越え、克服しながら、一人の偉大なスター、ティナ・ターナーとして君臨するに至ったことは、
音楽業界のみならず、女性の地位向上という点においても非常に大きかったことは間違いありません。
純粋に音楽として見れば、バート・バカラックとトニー・ベネット、ジミー・バフェットの3人の存在も絶大と言えます。
ジャンルは異なるながら、彼等はアメリカの良き時代を築き上げた、アメリカの良心とも言える心温まる音楽を届けてくれました。
そうした音楽の表舞台からは少し距離が生じますが、A&Mレコードを創設したジェリー・モス、また、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の代名詞的存在でもあったトポルが、音楽ファンに残した功績も計り知れないと言えます。
いわゆる“海外組”であるためにアメリカの良心という言い方はできませんが、アストラッド・ジルベルト、ジョアン・ドナート、ジェーン・バーキンがアメリカ音楽に残した影響も計り知れません。
前者二人は間違いなくアメリカにおけるボサノバ・ブームを表と裏で支えた功労者達ですし、バーキンは音楽のみならず女性のファッションや生き方にも大きなインパクトを与えてくれました。
ロック界で見れば、ジェフ・ベック、ロビー・ロバートソン、デニー・レインの3人の悲報には空虚感とも言える寂しい思いを感じます。
常に“ジェフ・ベック”という音楽そして音楽家(ある意味で一つのブランドやジャンル/カテゴリーにも匹敵するでしょう)を貫き通したギタリストの威光はいつまでも輝き続けると思いますし、ザ・バンドとウイングスを支え築いたと言えるロビーとデニーの業績は、特にアメリカにおいては絶大と言えます。
上記の偉人達に比べると知名度は少々下がりますが、ゴードン・ライトフット、デヴィッド・リンドレー、ボビー・コールドウェルの3人も、その個性においては極めてユニークでありながら、多くのファンを魅了したと言えますし、正直言って現在の音楽シーンにはこれほどのユニークな個性といういのは中々見当たりません。
ジャズ界も、昨年はあまりに多くの巨匠達が世を去りました。
アーマッド・ジャマールやウェイン・ショーター、リチャード・デイヴィスといった巨匠中の巨匠から、ドン・セベスキー、カーラ・ブレイ、カール・バーガー、ジョージ・ウィンストン、レス・マッキャンといったジャズ界における高名な異才達、そしてペーター・ブロッツマン、トニー・オックスレイ、チャールズ・ゲイルといったアバンギャルドな存在まで、実に数多くの唯一無二の才能達が去って行きました。
個人的にはシネイド・オコナーの死は唐突でショックを受けました。もちろん彼女の場合は、その過激でエキセントリックな言動・活動に息子の自殺も重なり、不慮の事故も想定されてはいましたが、「自然死」との発表には今も何か納得のいかない思いがあります。
一方で、ロビー・バックマン、ジム・ゴードン、フレッド・ホワイトという、アメリカのポピュラー音楽において、一つのジャンルとも言える忘れ得ぬ“リズム/ビート”を生み出した3人のドラマー達は、色褪せることのない躍動感に満ちたグルーヴを私達に残してくれたと思います。
私ごとで恐縮ですが、特に元アース・ウインド&ファイアのドラマーでホワイト3兄弟の末っ子であったフレッドは、伝説のダニー・ハサウェイのライヴにおけるドラマーでもありましたし、二度ほど一緒に仕事をさせてもらったこともあって、私には特別の存在でもありました。
真面目で温厚、そしてプレイ中に他のミュージシャン達に向けられていた眼差しの“真剣さ”・“熱さ”が今も忘れられません。
心から冥福を祈りたいと思います。
トピック2:ラスヴェガス・レジデンシーの未来と音楽興行の未来
通称ヴェガスの名で親しまれるラスヴェガスというのは、アメリカの中においても一際ユニークな場所であると言えます。
モハヴェ砂漠の真っ只中にできた人口都市。もちろん、ネイティヴ・アメリカンの人々が長い歴史の中で育んできた美しい文化がベースにありますが、
この地は19世紀初頭にモルモン教徒達によって“発見”され、その後1840年代末のゴールドラッシュ(いわゆるフォーティーナイナーズ)によってバブリーな状況が生まれました。
しかし、ゴールド・ラッシュが去った後に、産業面では貧しいこの州(ネバダ州)が賭博を合法化したため、マフィアが次々と入り込み、巨大カジノを建設していったことが、今のヴェガスの姿、特にラスヴェガス市に隣接するラスヴェガス・ストリップと呼ばれるエリアを形成することになっていったわけです。
一般的・大衆的な視点で言えば、ヴェガスに人工的なイメージが強く存在するのはこうした背景・歴史があるためで、そのアーティフィシャルな存在の中心を成すのは、そうした巨大カジノであると言えます。
更に、そうした人工的なカルチャーによって形成されているラスヴェガス・ストリップにおいて、カジノ内で行われてきた「音楽ショー」というものも、ヴェガスのイメージを大きく作り上げてきました。
このヴェガスの音楽ショーというのは、長年に渡って一つのステータスとなってきました。つまり、ヴェガスでショーを行えるようになったら、音楽業界では超が付く“大スター”と言えるわけです。
かつてフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニア等といった当時の超大物スター達をラスヴェガス・レジデンシー(一定期間に渡る、同劇場における同内容のショー)として迎えてのショーは、カジノの名物であると共に、音楽興行における最高位のステータスでもあり、アメリカ音楽業界における超高額収入のソースとなってきました。
ちなみに、マフィア自体はその後の取り締まりによって徐々に弱体化していき、大手ホテル・チェーンや大富豪達の介入などによって投機ブームが起こり、一層巨大化していきました。
これが結果的には音楽業界におけるヴェガス(厳密にはヴェガス・ストリップ)への関心度を上げ、それまで常連と考えられていたポップス系大スター達以外にも音楽ショーの門戸を開くことに繋がっていったことは無視できません。
それは単に音楽の流行の変遷というだけでなく、ヴェガスに集まる音楽ファン層の拡大や多様化を促したとも言えます。
例えば、今やヴェガスの新女王とも言えるセリーヌ・ディオンや、
今年のスケジュールでも、アデルやキャリー・アンダーウッド、カントリー系のシャナイア・トゥエインやガース・ブルックス、またはR&B系のライオネル・リッチーやスモーキー・ロビンソンなどはどちらかと言えば従来タイプの大物または懐メロ系大スターと言えます。
しかし、ケイティ・ペリーやレディ・ガガ、ブルーノ・マーズやマルーン5といったアーティスト達は明らかにこれまでのヴェガスの音楽ショーの客層とは異なるファン層をメインに獲得していますので、結果的に彼等のヴェガスでの音楽ショーは、ヴェガスの音楽市場の拡大を生み出しているわけです。
更に最近はこうした動きに拍車が掛かり、ポップス系のみならずロック系やヒップホップ系をも取り込むようになってきています。
特にロック系は、依然白人客が圧倒的なヴェガスでは益々注目されており、
ベネチアン・ホテルではサンタナ、スティックス、リンゴ・スター、シカゴ、フォリナー、B52、REOスピードワゴンなど、MSGスフィアではU2、フィッシュ(Phish)ブラネット・ハリウッドではスコーピオンズ、などが今年のラインナップに入っています。
彼等はある意味では既に“懐メロ系ロック”(英語では「クラシック・ロック」)であるわけですから、全盛期のファン達が中高年齢化している現在、ヴェガスのショーにお目見えするのは頷けます。
ところが先日、2001年にデビューし、イギリスでは2007年頃からブレイクし、アメリカでは2017年に5枚目のアルバムでナンバー1になったばかりのザ・キラーズが、今年8月からジーザーズ・パレスでレジデンシーを務めるというニュースが入り、音楽業界内では大きな話題となっています。
もちろんザ・キラーズは今や押しも押されぬ超人気バンド。しかもヴェガスの出身ですから、“条件”は揃っていると言えますが、それでも世代的にも音楽的にも、ヴェガスのレジデンシーというのは異色で、これまでには無かった新たなタイプの起用であると言えます。
今回のザ・キラーズのヴェガス・レジデンシー・デビューによって、“超大物か懐メロ系のポップス系かクラシック・ロック系”といったヴェガス・レジデンシーの王道路線が大きく前進・拡大していく可能性は極めて高く、アメリカの音楽興業界に、また一つ新たな潮流が生み出されていると言えるでしょう。
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