【I Love NY】 月刊紐育音楽通信 August 2017

 前回、ニューヨークの公共交通機関の劣悪な状況についてお話しましたが、
先日、改善のための暫定措置として、地下鉄のシートを全て外した
オール・スタンディング車両を試験的に導入するという案がアナウンスされて
話題になりました。ラッシュ時は満員で車両に乗り切れず、
ホームに人が溢れて危険という状況の緩和には少し役立つかもしれませんが、
妊婦や小さな子供を連れた人、老人やハンディキャップの人はどうすれば良いのか、
あまりにも稚拙なアイディアで苦笑・失笑が出る程です。
そもそも“乗れない”原因は、地下鉄全体のシステムが老朽化して
故障やトラブルが続出となっているために地下鉄がきちんと “来ない”ことにあるわけで、
市民はそのアイディアに呆れ顔といったところでしょう。
 前述の理由・批判に加えて、ナチ時代の収容所輸送の列車を思い起こすという
ユダヤ人からの批判もあったのはニューヨークらしいところでもありますが、
満員電車に関してはいつも日本とアメリカの違いを痛感します。何故なら、アメリカでは
日本のような“寿司詰め満員電車”というのは起こり得ず、人と体が触れ合わない、
最悪でも人と体がぴったりとくっつかないレベルでの満員電車ということになります。
よって、僅かな隙間に無理矢理乗り込んで来るような人は極めて少なく、
そういう人がいるとすぐに非難・怒りの目や、時には言葉が向けられます
(無理矢理乗り込んで来る人には日本人と中国人が多いのはちょっと困った点ですが)。
 日本ですと、車掌が乗客を車両内に押し込むという光景もあるようですが、
あれをアメリカでやったら暴行罪(男性の車掌が女性の乗客に対してであれば
性的暴行罪)などの重罪となること間違い無しです(笑)。
普段、お互いに知り合う仲では抱き合ったりキスしたりと体のコンタクトは
極めて頻繁で大らかなお国柄ですが、公共の場で見ず知らずの他人と体が接触することには
極めて神経質(自分の体や持ち物が相手にぶつかった場合はもちろん、触れただけでも
普通はまず謝ります)であるところは、日米の“体の触れあい”に対する意識の違いが
よく表れていて興味深いと言えます。

トピック:音楽界にも拡がる現代アメリカの病巣


 現代の音楽界を揺るがす問題については、これまで様々な観点から
取り上げてきました。ストリーミングの問題、著作権の問題、興業の問題、
売り上げチャートの問題、またその他様々なテクノロジーの問題や、
音楽ジャンルや世代間に見受けられる問題など、
それぞれ今の時代ならではの問題として、私達の音楽業界全体に様々な
影響やインパ クトを与えていると言えますが、今回はそれらよりも
ある意味もっと深刻な問題についてお話したいと思います。
 それは自殺と麻薬です。これは音楽という一分野の中にとどまらない
社会問題と言えるものですし、いつの時代にも起こっていた問題でもあります。
しかし、現代における自殺と麻薬の問題には、これまでとは背景や様相が異なる
現代ならではの特殊性があると言えますし、それが音楽界においても
拡がっていることは危惧すべき点と言えます。

 5月17日、52歳でこの世を去ったサウンド・ガーデンや
オーディオ・スレイヴのボーカリスト、クリス・コーネルと、
7月20日に41歳でこの世を去ったリンキン・パークのボーカリスト、
チェスター・ベニントンのニュースは、アメリカの音楽界に
とてつもないインパクトを与えたと言えます。
どちらも首を吊っての自殺と発表されていますが、ベニントンが自殺を
図った日は、何とコーネルの誕生日でもあったわけです。
 前述のようにミュージシャンの自殺はいつの時代にもあったことです。
とかく精神的なアップ&ダウン、プレッシャー、葛藤と向き合う
アーティストには自殺が多いとも言われてきましたし、
そういった側面・傾向があることは否定できないと思います。
ですが、コーネルとベニントンの自殺が何故これほどまでに大きな
インパクトを与えるかという理由には、もちろんこの二人が天賦の才能に恵まれた
類い希なシンガーで会った点に加えて、現代のアメリカにおける自殺問題の深刻さが
背景にあるという点も見逃せません。それほどアメリカは今、自殺者の急増が
深刻な社会問題となっているのです。

 日本は自殺大国と言われ続けてきましたが、それに比べてアメリカは
圧倒的に自殺が少ないとも言われていました。もちろん、アメリカにおいても
深刻な自殺問題は昔から存在していました。特に居留地に押しこまれた
ネイティヴ・アメリカンや、退役・服役した軍人達の自殺はアメリカならではの
社会問題となってきましたし、これらは現在も 悪化の一途を辿っています。
 しかし、一般的に見れば“準キリスト教国”という背景から生まれる
「自殺は罪」という自殺嫌悪・自殺批判がかなりの歯止めとなってきたことは
間違いありません。アメリカは自殺よりも殺人事件の方が遥かに深刻でしたが、
それが21世紀に入って様相が一気に変わってきました。人種的には白人層、
年齢的には中年層、所得的には低所得層を中心に自殺者は驚くべき勢いで増え続け、
更に女性の自殺率が男性以上に急上昇し、ここ数年は実に嘆かわしいことに
若者の自殺が急激に増え、この15年ほどで十代の若者の自殺は3倍以上に
膨れ上がっていると言われます。こうした状況の中で最近、若者の自殺を
テーマにしたTVドラマが人気・話題となり、これも大きな批判・ 論議を
巻き起こしています。

 こうしたアメリカの自殺状況に関しては様々な説やデータ、 論議があり、
一冊の本でも収まらないほどですので、ここで詳しく述べることはしませんが、
どこでもよく言われ、また私自身の実感としても言えるのは、家族、教会、
地域というアメリカの助け合い精神や倫理観、自由・平等の意識・精神を
支えてきたコミュニティの崩壊という点です。アメリカは個人主義の国と言われ、
確かにそれは正しいのですが、その反面、個人主義であるからこそ、家族、
教会、地域のコミュニティ は強固であったとも言えます。しかしそれが崩れた今、
経済的苦境や貧困が更に追い打ちをかけ、かつてない孤独感・疎外感・絶望感に
苛まれている層が急増しているのが、アメリカの大きな現実であると言えます
(トランプ政権の誕生は、そのことと決して無縁ではないと言えま す)。

 音楽というのは、これまでそうした孤独感・疎外感・絶望感 に対する癒しや
慰めでもあり、孤独感・疎外感・絶望感を生み出す社会に対する
反抗・抵抗でもあったわけですが、音楽の世界の中から連続して起こった
今回の自殺には、ファンのみならず、音楽界全体に何か言いようのない
悲壮感が広がっていると言っても過言ではないと思います。
 ミュージシャンの自殺、という点だけで言えば、ショットガンで頭を打ち抜いた
ニルヴァーナのカート・コベインの方が数倍衝撃的であったと思います。
ですが、コーネルとベニントンの自殺は、“常軌を逸脱した行為”では片付けられない、
もっと身近で深刻な現実が横たわっていることを表しているとも言えます。

 さて、もう一つの問題である麻薬に関しては、ある意味自殺以上に
現代ならではの特殊事情があると言えます。まず、現在最も
問題視されている麻薬というのはオピオイドです。
 オピオイドとは、簡単に言えばケシ/アヘン由来の鎮痛剤であり、
厳密には麻薬ではなく正規の薬品です(麻薬性薬品とも言われます)。
このケシ/アヘン由来の麻薬として有名なのは何と言ってもヘロインですが、
同時にモルヒネやコデインといった医療の現場で頻繁に使用される鎮痛剤も
ケシ/アヘン由来の医薬品です(ヘロインも元々はド イツのバイエル社が
製造販売していた正規の医薬品でした)。

 私も以前、救急病棟に運びこまれた際はすぐにモルヒネを打たれましたし、
結石などの痛み止めとしてコデインを服用していたこともあり、
アメリカでは至って身近な薬でもあるわけですが、それに対して
オピオイドやオキシコドンなどは劇薬と言える鎮痛剤で、末期がん患者など
重度の痛みを伴うケースのみに使用されていました。
 そもそもアメリカは何でもペイン・キラー(鎮痛剤)に頼りがちで
投与量も多い傾向がありますが、それが医療現場や医薬品産業側の後押しで
従来のガイドラインが崩れ始め、オピオイドが頭痛・腰痛・ 関節痛などといった
慢性的な痛みに対する鎮痛剤としても使用されていったことによって、
この悲劇は生まれたとも言えるわけです。
 つまり、オピオイドは麻薬服用という確信的行為ではなく、 医療現場の誤った
処方によって生み出されてきたわけです(この点では日本においては当初、
正規医薬品「ヒロポン」として製造販売されてきた覚醒剤と似たような
背景もあると思います)。
 しかも恐ろしいことに、このオピオイドには常習性・依存性作用があり、
副作用(離脱症状)が起きてくると自分自身による効果の自覚や
制御が効かなくなっていきます。

 更にオピオイドの問題は医療現場にとどまらず、既存のヘロ イン中毒者が
このオピオイドに乗り換えていったこと、そしてヘロインと同様の効果を
期待してオピオイドに手を出す麻薬服用確信犯が加わることによって
一層拡大し、状況を複雑且つ深刻にしていきました。それによって、
この15年ほどの間にオピオイドによる中毒死は約5倍(推定で17万人近く、
中毒者は200万人近く)に跳ね上がったと言われています。
 そうした状況に対して、2014年にはアメリカ神経学会が、2016年には
アメリカ食品医薬品局(FDA)が警告を発し、麻薬取締局(DEA)も規制を
行い始めました。ニューヨーク市でもこの5〜6年間でオピオイドによる
中毒死は40%もアップし、昨年2016年 は薬物過剰摂取による死者約1400人
(この数は同市内の他殺、自殺、交通事故を 合わせた死者数を超えています)の
8割以上がオピオイドであったため、市も最近 様々な対策に乗り出しています。
効果は徐々に出始めているとは言われますが、それでもオピオイド中毒に陥る人と
死者は後を絶ちません。なにしろ、オピオイドは医師免許を持っている医師であれば
誰でも処方することができるという状況は変わらないからです。

 このオピオイドですが、音楽界において最も衝撃的なニュースとなったのは、
4月21日 に57歳でこの世を去ったプリンスです。プリンスに関しては、死の6日前、
鎮痛剤の過剰摂取によって(当初は「インフルエンザが悪化」と報道されていました)
危険な状況に陥り、その際に乗っていた自家用ジェット機を緊急着陸させ、
応急処置(注射)を受けて一命を取り留めたということ、その後プリンスは自宅近くの
薬局から数回「薬」の処方 を受けていたということ、オピオイドを中心とする薬物を
プリンスに処方していた医師は数人いたということ、その内の一人の医師が
死の前日 にプリンスの「関係者」から依頼を受けてプリンスにオピオイドを
届けようとしたが、都合が付かず、代わりに医師免許を持っていない自分の息子に
オピオイドを持たせてプリンス宅まで持参したということ、など不可解な点が
いろいろとありますが、死亡現場でもオピオイドが発見され、結果的には
オピオイドの過剰摂取が原因となったことは間違いないと言われています。

 プリンスに関しては、生まれつき非常に小柄で華奢な体でありながら、
実に激しい動きのステージ・パフォーマンスが特徴でもありました。そうした
長年の演奏活動によって彼の体には相当な負担が掛かっており、特に腰や股関節の
損傷は著し く、矯正・移植手術の必要もあったと言われています。
しかし、彼が信仰していた宗教「エホバの証人」では信者の手術を認めないため、
彼は 薬物療法に切り替えたとも言われています。
 しかし、これはある意味トップ・セレブの宿命でもありますが、
自分の一挙一動が大勢の人間や企業・ 組織を左右するほどに自己という存在が
肥大化し、自分の意志だけでは判断・コントロールができないレベルとなり、
様々な面で周囲の関係者 の判断・コントロールに従わざるを得なかったというのも、
また別の悲劇であったと言えます。

 これは、マイケル・ジャクソンについても同様のことが言えると思います。
マイケルがこの世を去った のは2009年6月25日。マイケルの元主治医の誤った
処方による過失致死とされています。マイケルの場合は 極度の不眠症治療のために
処方されたプロポフォールが原因とされていますが、このプロポフォールも
そもそもは全身麻酔に使用される極めて 強い麻酔・鎮静剤です。常習性作用もあり、
投与量のミスは命取りになるのにもかかわらず法規制は甘く、日本でも数年前に
東京女子医大病院 の事件があったと思います。
 本来は厳重な検査・診断の上で処方・投与が認められるべき薬物であるにも
関わらず、マイケルの場合 は元主治医の判断によって過剰投与・摂取が行われていた
ということが悲劇を生み出したと言えます。

 プリンスとマイケルは薬物の種類が異なりますが(とは言え、マイケルは
鎮痛剤も使用していたという 説もあります)、いずれもその死の影には
主治医・担当医が存在していますし、これまでの麻薬中毒とは異なる
背景・状況があります。
 つまり、これまで麻薬を取り扱うのはドラッグ・ディーラーでしたし、
取り締まりの対象もドラッグ・ ディーラーやその大元となる
麻薬組織でしたが、オピオイドを取り扱うのは医師であり、
しかもその大半は家庭医と言われるホーム・ドクター や
一般的な内科医と言われていますので、取り締まりも規制も
容易ではありません。

 今回の話はロック・スターやトップ・セレブが中心となりましたが、
前述のように自殺もオピオイド も、そもそもは若年層や貧困層などの
社会的弱者を巻き込んだ非常に広範囲に及ぶ深刻な状況が背景となっています。
特にこれからの時代を担 う若者・子供達の自殺やオピオイド中毒は何としても
阻止しなければなりませんし、音楽界においてもそれは同様です。
 そうした中で先日、自殺したクリス・コーネルの名前をつけた
ミュージック・セラピー・プログラムがシアトルで開設されることになったのは
嬉しいニュースと言えます。元々クリスは生前、妻のヴィッキーと共に、
虐待を受けている子供達のための基金を設立していましたが、今回はやはり
虐待を受けた子供のリハビリや支援を行っている 「チャイルドヘヴン」という団体と
手を組み、自分達の基金からの寄付も行って実現したクリスとヴィッキー念願の
プロジェクトでもありまし た。
 「クリスと私は、音楽が持つヒーリングとインスピレーションのパワーを
強く信じて きました。今回のプログラムによって、この世界で最も傷ついている
子供たちを守るというクリスとの約束を守ることができると思っています」
 誰もが持っている唯一無二の個性を潰してしまうことの無いよう、
クリスの妻ヴィッキーの力強い言葉とプログラムの開設にエールを送りたいと思います。

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