【I Love NY】月刊紐育音楽通信 January 2018

混乱と対立の2017年 が終わり、更なる混乱と対立が予想される2018年がやってきました。こんな時こそ、周囲に振り回されず、自分の進むべき道をしっかりと見極めて取り組んでいきたいものです。2018年が皆様にとって平和と祝福に満ちた良い年となりますよう祈っております。

 トピック:2017年 アメリカ音楽界の物故者を振り返る

年の初めから昨年の物故者の話というのは明るい話題ではありませんが、毎年一つの時代を築き、また時代を動かしてきた偉大なる才能が世を 去っていく中で、2017年というのは、最近の中でも特に印象的であり、時代の移り変わりと大いなる遺産を感じる年であったと言えます。ご存知のようにアメリカは今、政治的にも経済的にも社会的にも大きな変革の時期を迎えようとしており、世界の中におけるアメリカの位置付けも大きく変ろうとしています。そうした時代の動きに対して、音楽も敏感に反応し、連動しているというのは当然であると言えますし、これからの時代において、音楽がどのように変化していくのか、という点には興味が尽きないと言えます。そして、音楽は流行ではなくカルチャーであり、特に縦横のつながりが密接なアメリカにおいては、偉大なる才能が次々と世を去っていくことが、これからの音楽にどのような影響を与えていくのか、ということも重要な点であると思います。2017年のアメリカ音楽界における物故者のトップと言えば、やはりチャック・ベリーと ファッツ・ドミノにつきると言えます。何故ならこの二人は、ロックンロールの創始者として、アメリカ・ポピュラー音楽に計り知れない影響 を与えた“超級”の偉大なるアーティストであるからです。

ロックンロールという音楽自体が、R&Bのみならずブルース、ジャズ、ゴ スペルといったアメリカの黒人音楽すべてをルーツに持っているわけですが、その意味でこの二人はアメリカのルーツ系黒人音楽すべての架け橋となって、現代の主流となるアメリカのポピュラー音楽の基盤を作り上げた“父親達”である、と言えるわけです。よって、この二人が1986年から始まった「ロックンロールの殿堂」の第一回目殿 堂入り受賞者10人の中の2名 でもあったことは、まったくもって正しい選択・評価であったとも言えます。この10人というのは他に、ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャード、エヴァ リー・ブラザーズ、エルビス・プレスリー、バディ・ホリー、レイ・チャールズ、サム・クック、ジェイムズ・ブラウンが名を連ねるわけですが、チャック・ベリーとファッツ・ドミノの死去によって、現在存命なのはジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャード、ドン・エヴァリー の3人のみとなりました。よって、世を去った7人の存在というのは、既にアメリカ・ポピュラー音楽の歴史における最初の1ページとして過去のものとなってはいますが、それでも現代のアメリ カ・ポピュラー音楽の全てが、彼等の存在無くしては語れないことは間違いありませんし。その死によって彼等の存在や音楽が、例えて言うならば全米で使用される教科書(アメリカにはそのようなものはありませんが)における最重 要トピックの一つとして、これまで以上にこれからの若い世代や音楽に影響を与えていくことも間違いないと言えます。

2016年は、プリンス、グレン・フライ、デヴィッド・ボウイ、レナード・コーエンといった超大物アーティストの死去に、多くのファンが悲しんだと言えますが、2017年 においてアメリカ全土に衝撃と悲しみを与えることになった、アメリカがこよなく愛した国民的ミュージシャン/アーティストと言えば、グレ ン・キャンベルとグレッグ・オールマンとトム・ペティの3人であると思います。これには異論もあるとは思いますし、特にグレン・キャンベルとトム・ペティは、白人以外のファンは極めて少なく、乱暴な言い方ではあります が、白人社会における国民的な音楽アイコンであったとも言えます。それでもアメリカ全体として見た場合、この2人の存在がとてつもなく大きかったことは間違いありません。グレン・キャンベルに関しては、以前このニュース・レターで最後のツアー(ニューヨーク公演)の様子や最後のアルバムのことなども紹介し ましたので重複は避けますが、非白人ながらカントリー音楽を聴いて育った私には正にヒーローと言える人でしたし、私が楽器を手にして音楽 を始めるきっかけとなったのもグレンでした。

なにしろ彼はカントリー界の大スターというだけでなく、かつてはビーチ・ボーイズのオリジナル・メンバーであり、超一流のスタジオ・ ミュージシャンでもあった人なので、彼の死去の知らせには、ある意味でファン以上に数多くのミュージシャンやアーティスト達、特にグレ ン・キャンベルとは親交の深かったアリス・クーパーを始めとするロック系アーティスト達から追悼の意が捧げられたことは印象的でした。彼は保守派の政治家達とも付き合いが深く、スタンスとしてはかなり右寄りの保守派でしたし、不倫やドラッグ問題で散々世間に叩かれ、波乱 万丈の人生を歩んだ人でもありますが、それでも最後はみんなに愛される”憎めない 人”であったと言えます。そのあまりにも早すぎた死去のニュースで、全米の様々なメディアは一色となったトム・ペティですが、彼はある意味でブルース・スプリング スティーンやニール・ヤングよりも幅広い世代に強い影響力を持つ”メッセージ・ ロッカー”であったと言えます。更に彼の場合は、自分のバンドであるザ・ハートブレイカーズと共にボブ・ディランのバック・バンドを務めたことや、ディランにジョージ・ ハリソンも加えたバンド(トラヴェリング・ウィルベリーズ)での活動も、その人気・評価を不動のものにすることにつながったと言えます。

彼には多数のヒット曲があり、中でも最大のヒット曲となった「フリー・フォーリン」は、全米のロック、ポップス系ラジオ局で最も頻繁に流れる曲の一つであると言えますが、彼の死後、こ の曲のオンエア頻度は更に上がり、一向に落ちる兆しは見えないように感じます。そんな二人に対して、グレッグ・オールマンはどこかこの二人を足したところもある、やはりアメリカの国民的ミュージシャン/アーティスト でした。彼の場合もドラッグの問題は大きく、またシェールと電撃結婚するなど、以前は本当にやんちゃな”お 騒がせ男”であったわけですが、歳を取ってからの彼は、アメリカが誇るギタリスト の一人、デュエイン・オールマン(「デュアン」とは発音しません)の弟として、これまたアメリカの国民的ロック・バンドであるオールマ ン・ブラザーズ・バンド(以下オールマンズ)を死の3年前まで率い、ロック界にとてつもないオーラを発してきました。トム・ペティのようなメッセージ色は希薄でしたが、歳を取ってもデュエインの弟的な“誰かが面倒を見てあげなければならない”ような雰囲気と、その南部コテコテの人柄はみんなに愛されていました。

実は私は以前、カーク・ウェストという長年のオールマンズのツアー・マネージャーに連れられて、オールマンズの地元であるジョージア州メ イコンのオールマンズ想い出の場所をいろいろと訪ねたことがありました。例えば、オールマンズの初期に彼等が共同生活をしていたビッグ・ハウスという家や、当時まだ金の無い彼等に食事をサービスしていたソウ ル・フード・レストラン(当時から店主であった黒人のルイーズおばさんにもお会いしました)など、いろいろなところに案内してもらえたことは、感動的でしたし、デュエインとベースのベリー・オクリーがオートバイ事故で亡くなった現場や、彼等のお墓参りには胸が締め付けられました。主にマッシュルームをドラッグとして常用していた彼等は、精神的にも不安定で、一つ屋根の下でメンバー間のいざこざも多かったそうです が、そんな中でグレッグの存在は、みんなの仲をつなぐ癒し(というか、みんなの弟分)のような存在であったという話には心が温まったもの でした。

オールマンズやグレッグのライヴは何度観たかわかりませんが、どこを取っても100% 彼の人柄そのもののような大きくて温かくてレイドバックしたパワフルな彼の音楽は、単にサザン・ロックという範疇には納まらず、正にアメ リカン・ロックの王道の一つであったと言えます。実は2017年は、オールマンズのもう一人のオリジナル・メンバーであったドラ マーのブッチ・トラックスもグレッグの死の4ヶ月前に亡くなっています。彼の甥は デュエインの再来とも言われ、エリック・クラプトンのバンドにも起用され、今やアメリカを代表する偉大なギタリストの一人として極めて評価の高いデレク・トラックスであるわけですが、ブッチの場合は拳銃で頭を打ち抜いての自殺であったことは本当に辛いニュースでした。

上記のデュエインとベリー・オークリーの死から立ち直って蘇り、長年活動を続けたオールマンズですが、グレッグとブッチを失った今、彼等 がオールマンズとして復帰する可能性はほとんどゼロとなってしまいました。そうした中で、ここ数年南部のみならず、アメリカの各地からサザン・テイストの強い若いロック・バンドが出てきていることは非常に興味深 いと言えますし、彼等の死は更にそうした動きを後押しすることにもなるであろうと思われます。その他に大物系としては、ブルース・ハープのジェイムズ・コットン、カントリー界の大スターでありながらソングライターとしても優れた才能を発揮したメル・ティリス、ジェイムズ・ブラウンのファンク・リズムを生み出したと言えるドラマーのクライド・スタブルフィールド(私は以前、彼 のドラム・ビデオをプロデュースさせていただきました)、
ロックにおけるストリングのアレンジと言えばこの人、と言えるポール・バックマスター(エルトン・ ジョン、デヴィッド・ボウイ、ローリング・ストーンズ、グレイトフル・デッド、ボンジョビ、ガンズ&ローゼズ他無数!)、ゴスペル・シン ガーながらジャズ・シンガーとしても女優としても名声を得たデラ・リース、セシル・テイラーやアルバート・アイラーのドラマーとして活躍し、リズムやビートよりもパルスを重視したドラミングで全く新しいジャズ・ドラムの世界を生み出したサニー・マレイ、A&Mやブルー・サムといった個性豊かなアーティストを抱えるレーベルからスタートし、ワーナーを経てユニヴァーサル・ジャズの重役となり、その間、バーバラ・ストライザンド、マイケル・フランクス、スタッフ、アル・ ジャロウ、ジョージ・ベンソン、ランディ・クロフォード、マイルス・デイヴィス、ナタリー・コール、アニタ・ベイカー他、多種多様でありながら実に個性的なアーティスト達の代表作を手がけた大プロデューサーのトミー・リピューマ、といった巨匠達も、単に一つの時代を生み出 したというだけでなく、恐らく今後これほどの個性的な才能は出てこないのでは、と思うほどの存在であったと言えます。

その一方で、弟のアンガス・ヤングほどの個性や注目度はありませんでしたが、常に強烈なリフを生み続け、アンガスとの鉄壁なギター・コン ビでAC/DCのもう一つの顔であったマルコム・ヤング、ミュージシャンの中の ミュージシャンによるバンドとして、様々なジャンルのミュージシャン達からリスペクトされているスティーリー・ダンのウォルター・ベッ カー、バンドの看板はボーカルのピーター・ウルフでしたが、バンド・リーダー&ギタリストとして、ブルース色の強いアメリカンなロックン ロールを聴かせてくれたJ・ガイルス・バンドのJ(ジェローム)・ガイルス、ギターの概念を完璧に塗り替え、イギリス人ながらアメリカ人 ギタリスト達にも強烈なインパクトを与え続けたアラン・ホールワーズなどは、一つの時代の終わりというには若すぎる死でしたし、以前にも お話したクリス・コーネルとチェスター・ベニントンの自殺は本当に衝撃的でした。

2017年はジャズ系も多くの偉大なアーティスト達を失いました。特にジェリ・アレン、ラリー・コリエル、ジョー・アバークロンビー、アル・ジャロウ、アーサー・ブライス、デイヴ・バレンティンといったあまりに個性的な才能達のあまりにも早すぎる死は本当に悔やまれます。まだまだ2017年のアメリカ音楽界における物故者は、重要な人や、個人的な思い 入れの強い人などもまだまだいますが、今回の故人追悼の最後として、音楽界における日米の架け橋となり、アメリカ音楽界では極めて高い評 価と尊敬を集めてきた、ローランドの創始者、梯(かけはし)郁太郎さんのことに触れさせていただきたいと思います。

アメリカにいる私などよりご存じの方は多いとは思いますし、改めてその偉業を紹介する必要は無いとは思いますが、梯さんはローランドやBOSSの創業者であり、MIDIの 生みの親でもあり、DTMの提唱者(「ミュージくん」や「ミュージ郎」といったDTMパッケージ)であった、日本が世界に誇る電子楽器・楽器関連機器・音楽インター フェース・音楽ソフトのパイオニアであった方です。バークリー音楽院からは名誉博士号を受け、音楽界の偉大な才能を称えるハリウッドのロックウォークにも殿堂入りして手形が残され、テクニ カル・グラミー賞では日本人として初の個人受賞もされています。梯さんが手がけた代表的な名器としては、「TR-808(“ヤオヤ”と呼ばれたド ラム・マシーン)」、「TB-303(ベース・シンセサイザー)、「Jupiter-8(アナログ・ポリフォニック・シンセ)」、「MC-8(デジタル・シーケンサーの元祖)」などがあり、アメリカの音楽界ではその名を知 らない人はいないとも言えます。

4月に亡くなった直後には、ニューヨーク・タイムスでも大きな追悼記事がフィーチャーさ れ、音楽誌はもちろんのこと、様々な一般メディアでもその死と偉業は大きく取り上げられました。モーグ・シンセサイザーのロバート・モー グ博士と同様、音楽電子機器に“命”を吹き込み、音楽のため、ミュージシャンのために尽くされた本当に偉大な方であったと思います。梯さんのご冥福を心からお祈りすると共に、梯さんに続くような型破りな才能が、また日本から登場することを待ち望みたいと思います。

 

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