「月刊紐育音楽通信 September 2018」

特別追悼トピック:「女王」よ永遠に

 ついに「女王」がこの世を去りました。彼女はソウルの女王とも呼ばれましたが、ソウルのみならず、ゴスペルを基盤とするアメリカ・ポピュラー音楽全体における女王とも言えました。さらに言えば、彼女は音楽のみならず、我々の時代・世代において、常に“意識の目覚め(または新たな意識)”を促してきた女王でもありました。

 それは一つには黒人さらには有色人種の意識改革でした。ゴスペルの女王と言われたマヘリア・ジャクソンがキング牧師の良き理解者・友人であり、50~60年代の公民権運動の真っ只中にあって、その意識・ムーヴメントにおける音楽面でのシンボル的存在であったのに対し、アリサ・フランクリン(ここでは日本語英語の「アレサ」ではなく、オリジナルの英語発音に近い「アリサ」と呼ばせていただきます)はそれに続く世代として、60年代後半からのブラック・パワー・ムーヴメントに代表される黒人の権利運動における、音楽面でのシンボル的存在の一人でもありました。

 更にこれはアメリカ国内でも知らない人が多いのですが、彼女は黒人だけでなく、インディアンなどと誤って呼ばれてきたネイティヴ・アメリカンの権利運動にも大変熱心な人でした。

 そしてもう一つ、彼女は人種の意識改革だけでなく、性別の意識改革、つまり女性の権利運動の先頭に立って闘い、歌ってきた人でもありました。大学教授で黒人活動家であったアンジェラ・デイヴィスが、当時カリフォルニア州知事であったレーガン元大統領による弾圧によって大学を不当解雇され、FBIの陰謀によって殺人共謀罪で不当逮捕された際、アンジェラの釈放と復権を先頭に立って呼びかけ、歌い続けたのもアリサでした(この時は、ジョン・レノンやミック・ジャガーもアリサと連帯して闘いました)。

 そんな彼女の生き方にとてつもないインパクトを受け、大きく影響された一人が、アリサが育ったデトロイト(生まれはメンフィス)の郊外で生まれ育ったマドンナでした。マドンナは先日、VMA(ヴィデオ・ミュージック・アワード)の受賞式のプレゼンターとして登場した際に、貧乏な無名時代の話をアリサに対する熱い思いとリスペクトを織り交ぜて披露しました。しかし、そんなマドンナのスピーチは「マドンナは自分のことばかり話して、アリサに対するリスペクトが足りない」などと、多くのアリサ・ファンや黒人達を中心とする様々な人々から批判を受けました。マドンナはアリサに対してリスペクトの足りない発言は何一つしていないにも関わらずです。

 これは一体どうしたことなのでしょう。そもそもマドンナは、VMAの年間最優秀ビデオ賞のプレゼンターとして依頼を受け、更に自分の活動の中でアリサと関係する逸話を紹介してほしいと依頼を受けて登場したのであって、アリサへのトリビュートを目的として登場したわけではありませんでした。その意味ではマドンナのスピーチは、いかにもマドンナらしく、マドンナにしかできない“マドンナ流”のアリサに対するトリビュートでした。

 ところが、批判する側はそんなことはお構いなし。そもそもマドンナ嫌いであることが明らかな批判者達は、今回のスピーチのみならず過去の言動やマドンナの存在そのものまで批判・中傷し、果ては何故アリサのトリビュートを白人にやらせるのだという人種差別的発言まで飛び出しました。それはあまりに一方的なリスペクトと盲目的なトリビュートの強要とも言え、アリサ以外(具体的にはマドンナ)の個に対する許容や尊重はみじんも感じられない嫌悪のみに満ちたものでした。

 きっと天国のアリサは、こうした醜い批判・中傷に呆れていると私は思います。思い出や逸話というのはその人にしか語れないものですし、誰がどう意見・批判しようと、アリサの音楽やスピリットはマドンナの中にも生き続けているのです。凄まじいバックラッシュに対するマドンナの返答は、これまた爽快でした。「(発言内容に対して)注意力が足りないし、すぐに決め付ける人達ばかり。もっとリスペクトを!」

 こんな一騒動も起きた故、アリサ最初のナンバー1ヒット曲にして最大のヒット曲とも言える「リスペクト」が、当時人種や女性の解放・権利運動の賛歌となったことの意味や意義は益々重要であると感じます。人種や国、性別や年齢、宗教や思想などを問わず全ての人に向けられなければならないリスペクト。しかし、今の時代は批判・中傷と攻撃・反撃ばかりで、この”リスペクト”が本当に足り無すぎるとしみじみ感じます(上記の批判者達も、どこかの国の大統領も…)。

 私はこれまでアリサの名唱・熱唱を何度も体験・目撃してきましたが、やはり最も印象深かったのは、2009年1月オバマ大統領就任式式典での祝唱でした。極寒の中、同じく出演・祝唱したビヨンセはリップシンク(アテレコ)によるパフォーマンスを行いましたが、アリサは声がかすれたり音程が外れたりしても、1931年に現在のアメリカ国歌が採用される前の国歌であった「My Country, ‘Tis of Thee」を力強く歌い上げました。まさか自分が生きている間に黒人の大統領が誕生するとは…そんな感慨・感激に溢れたアリサの歌は、彼女が常にその歌に込めていた“意識の目覚め”を強く促すものでした。

 常に真のリスペクトを促し、伝え続けてきたアリサの歌と心を、私はいつまでも”リスペクト”していきたいと思います。合掌。

 


トピック:アメリカ音楽業界のドル箱ビジネス「レジデンシー」

 レジデンシーという言葉は通常、「常勤・常駐」といった意味で使われます。これが音楽界、特にコンサートやイベント業界においては「コンサート・レジデンシー」や「クラブ・レジデンシー」といった言葉で使われています。つまりこれらは、コンサート・ホールやクラブなどでの常勤、簡単に言えば、一箇所のヴェニューにおける連続出演ということになります。つまり、毎月や毎週といった定期的な出演を行う「常連」と

も異なり、連続であってもヴェニューが変るツアーとも異なるわけです。
 出演するアーティストも「レジデンシー・アーティスト」や「レジデンシー・パフォーマー」などと呼ばれますが、その起源は1940~50年代のラスヴェガスにおけるショーと言われ、フランク・シナトラやエルヴィス・プレスリーはそのパイオニアの一人とも言われています。

 ラスヴェガスのショーというのは、音楽業界または音楽ビジネスにおいては特殊な位置にあるとも言えます。なにしろラスヴェガスという街自体が完全な観光目的の”人工都市”であるわけです。これはニューヨークやロサンジェルス、ナッシュヴィルとは大きく異なる点であり、通常の都市生活の中での興行ではなく、興行を目的とした都市での興行であるわけです。

 そのため、主催者側としては人選面で失敗しなければ、通常の都市よりも安定した、しかも桁違いに高額の収益が望めるわけですし、アーティストにとってもそれは同様です。

 ラスヴェガスのショーと言えば、シーザース・パレスが良く知られていると思いますが、その草分けとしては、1952年にオープンしたサンズ(Sand’s)がフランク・シナトラ一家(通称、ザ・ラット・パック)の出演、そしてシナトラ一家出演の映画「オーシャンズ11(オリジナル版)」の舞台の一つとなったこともあって有名であると言えます。しかし、ギャンブルでサンズと揉めたシナトラが新たな拠点としたのがシーザース・パレスであり、1966年にオープンしたこのカジノ・ホテルでは、更に音楽とスポーツのエンターテインメント(ボクシングやF1レースなど)に積極に取り組みんでいきました。

 特に1970年代のシーザース・パレスはそのピークにあったと言えますが、その後もラスヴェガスの音楽エンターテインメントの中核を担ってきたシーザース・パレスは、2003年に4千人以上収容のシアター「コロシアム」をオープンさせ、セリーヌ・ディオンをレジデンシー・アーティストとして迎え入れました。セリーヌのショーは内容を変えて今も続いているわけですが、数ヶ月から数年に渡る数百ショー以上の長期のレジデンシーとしては、エルトン・ジョン、ベット・ミドラー、シェール、ロッド・スチュアート、シャナイア・トゥェイン、マライア・ミャリーなど10人にも達しません。

 このシーザース・パレスの「コロシアム」の他には、プラネット・ハリウッドにおいて長期レジデンシーを勤めてきているブリットニー・スピアーズやジェニファー・ロペスなどもいますが、大型シアターでの長期レジデンシーというのは内容的にもスケジュール的にも、つまり主催者側にとってもアーティスト側にとっても様々な制限が発生するわけです。

 

 そうした中で数日間から数週間単位での百ショー以下の短期レジデンシーの需要も高まっていきました。例えば最近では、同じく​シーザース・パレスの「コロシアム」で昨年7月から約1週間づつに分けた変則的なレジデンシーを務めることになったザ・フー。もちろんこれは同シアターのレジデンシーとしては初のロック・バンドとなります。更にグウェン・ステファニーもこれに続くことになっており、これまたこれまでのラスヴェガスのレジデンシーの音楽傾向とは異なるラインナップと言えます。そして、パームス・カジノ・リゾートにおいて計16回のショーを行うことになったBlink-182。こちらもロック・バンドのレジデンシーという初の試みです。

 更に、レディ・ガガはMGMのパーク・シアターにて今年12月から74回のショーを行うことになっており、まだ噂ではありますがブルーノ・マーズも予定されているとのことです。また、前述のプラネット・ハリウッドではバックストリート・ボーイズもレジデンシーを務めるとのことですが、何と言っても最近のアナウンスで驚きであったのは、来年4月からMGMのパーク・シアターにてエアロスミスがレジデンシーを務めるというニュースです。ザ・フーに続きエアロスミスということで、今後ロック・バンド/ロック・アーティストのレジデンシーも増えていくことは間違い無いと言えるでしょう。

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​ また、ラスヴェガスのショー・ビジネスではクラブ・シーンの盛況ぶりも見逃せなくなってきており、ここ数年目覚しいレストラン/ホテル展開を行っているハッカサン・グループが仕切り、様々なカジノ・リゾート・ホテル内のクラブを巡回する形で、カルヴィン・ハリスやスティーヴ・アオキといった人気DJ達をレジデンシーに迎えたショーを展開することになっています。

​ こうしたレジデンシーの新たな動きは、ラスヴェガスならではのものと言えますが、極めて異例でスペシャルなケースながら、ニューヨークでもMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)におけるビリー・ジョエルのレジデンシー・ショーがあります。これは2014年1月からスタートし、今も続いている長ロングランのコンサート・レジデンシーで、先日7月に100回公演記念を迎え、MSGのオーナーとクオモ・ニューヨーク州知事から表彰されることになりました。しかも、その100回記念公演では、なんとボスことブルース・スプリングスティーンが飛び入りし、二人で一緒にボスの名曲「ボーン・トゥ・ラン」と「テンス・アヴェニュー・フリーズアウト」を歌うという大ハプニングまで飛び出しました。

 ビリー・ジョエルのMSGでの長期コンサート・レジデンシーは、彼の名曲「ニューヨークの想い」に代表されるように、彼のホームタウンであるニューヨークならではのイベントですが、今後はこうした形のご当地/地元コンサート・レジデンシーも他都市でも増えてくると思われます。

 その筆頭の一人が前述のブルース・スプリングスティーンでもありますが、ボスが既に昨年10月からブロードウェイのシアターにて、「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」という独り舞台のショーを続けていることはご存知の方も多いと思います。当初は約1ヵ月半ほどの公演予定であったのが、大人気でこの夏、更にはこの年末まで延期され、結果的に長期のコンサート・レジデンシーとなっています。

 ブロードウェイのミュージカルは、ある程度のロングランが前提となるため、ある意味でレジデンシー・パフォーマンスと言えますが、そうしたシアターにおけるロングラン・スタイルを踏襲して、大人気を博しているのがこのコンサート・レジデンシーとも言えます。

​ しかも、このショーは先日録画収録され、今年の年末、ボスのブロードウェイ・ショー最終公演日にNetflixで放映されることになっています。最近は映画産業もNetflixを始めとするオンライン・ストリーミング配信会社に押されており、今回も映画やケーブル・テレビ放映ではなくNetflixでの放映となった点も新しい動きであると言えます。

 ちなみ、ボスは来年2月から6月まで「Eストリート・バンド・オン・ブロードウェイ」として自分のバンドと共に“復帰”することになっています。ラスヴェガスに続いて、ニューヨークのブロードウェイのシアターも新たなコンサート・レジデンシーの拠点となっていく可能性は極めて高いと言えるでしょう。

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