【I LOVE NY】月刊紐育音楽通信 October 2019
(本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています)
Sam Kawa(サム・カワ) 1980年代より自分自身の音楽活動と共に、音楽教則ソフトの企画・制作、音楽アーティストのマネージメント、音楽&映像プロダクションの企画・制作並びにコーディネーション、音楽分野の連載コラムやインタビュー記事の執筆などに携わる。 2008年からはゴスペル教会のチャーチ・ミュージシャン(サックス)/音楽監督も務めると共に、メタル・ベーシストとしても活動中。 最も敬愛する音楽はJ.S.バッハ。ヴィーガンであり動物愛護運動活動家でもある。
最近、どうにもスマホやiPodで聴く音楽(音質)に飽き飽きして、時代と逆行するのは承知の上でポータブルのCDプレイヤーを購入しました。アメリカでは中高年層や人種・人口的にマイノリティとされる移民を中心に、ポータブルCDプレイヤーの需要というのはまだまだあります。SONYやパナソニックも依然人気ブランドですし、アメリカのオーディオ機器メーカーや家電メーカーの安価ブランドも根強い人気がありますが、それらのほとんどは中国製です。更に最近は、中国ブランドの進出が著しく、高級モデル並みの高音質やスペックを破格の値段で実現しているため、評価・レビューも高く、ダントツの人気とベスト・セラーを誇っています。
しかし、天邪鬼の私はそうした製品には手を出す気になれず、いろいろと探して日本製日本ブランドのプレイヤーを見つけて手に入れました。ブランドはオンキヨー(オンキョーではありません)で、裏には1992年8月製造というラベルが貼ってあり、「MADE IN JAPAN, NISSHIN-CHO NEYAGAWA-SHI OSAKA」と明記されています。
発売当時は、カセット・ウォークマンもCDウォークマンも、そのコンパクトさと軽量化に感動したものですが、スマホ時代の今となっては「ポータブル」とも言えないほどデカいし、重いし、すぐに音飛びするし、ディスクや電池の交換も面倒だし、若者には驚きのまなざしで見られるし、という有様。人によってはジャンクとも言われてしまうビンテージ機器をカバンに入れて、ニューヨークの地下鉄やストリートで音楽を聴いている私をアホな物好きと呼ぶ人もいますが、しかしこの音には何故か安心感や心地良さを感じます。状態の良い品に当たったため、27年経っても再生機能はもちろんのこと、全て問題無く作動するのもラッキーでしたが、思えば90年代半ばころまでは、日本はオーディオ機器でも楽器でも車でも、本当にクオリティの高い製品を作っていたと思います。実はアメリカ人の中にもそのことを良く知っている人間は多いですし、今も日本製を愛用している人間にも時折出会うことがあります。
肝心の音質ですが、ポータブル機器はやはりポータブル機器ですし、最近の高品質指向をこの機器に求めようとは思いませんし、高級なイヤホン/ヘッドホンを組み合わせようとも思いません。そもそも、耳の問題で密閉型ヘッドホンやイヤホンが苦手な私は必然的にノイズ・キャンセリングとは無縁であり、最近流行りのハイレス(ハイレゾ)ヘッドフォンにもそれほど興味がなく、この古びたディバイスとの相性も考えて小さな開放型ヘッドホンを使っています。そもそも、世界一の騒音都市ニューヨークの街中では音質も何もあったものではない、とも言えますが、私自身は街の騒音と音楽の混ざり具合というのが結構好きで、ちょっと違った(変わった?)音楽鑑賞法の一つとして楽しんでいます。
ですが、この機器の本領発揮となるのは、やはりカフェなどの静かなスペースでゆったりと音楽を聴く時であると言えます。最近はすっかり耳慣れたスマホの音とは違う音の質感を、どう説明すれば良いのでしょうか。そこに90年代当時のCD主流であった音楽制作現場の“息吹”のようなものをも感じるというのは私の妄想でしょうか。今回は、そんなイントロから本題に入っていきたいと思います。
トピック:「ハイレゾ」と「ロスレス」の魅力と罠?
世の音楽ファン、特にオーディオ・マニア系の音楽ファンには、「音質はレコードからCD への移行、更にCD からダウンロードやストリーミング(デジタル・ファイル)への移行によって悪化している」と主張する人が多いと言えますが、この主張に対して皆さんは同意されますでしょうか。または、どのように反論されますでしょうか。音質というのは、可聴範囲というフィジカルな面と、好みや心地よさといったメンタル面や感覚面の両方に関わってきますので、万人にとっての統一見解や回答というのはあり得ないと言えます。
例えば私自身は以前、耳の病気を患ったときに聴力検査というものを何度となく受けた経験がありますが、その時の検査によって、私の聴力はあるレベルの高周波の音には非常に敏感で、逆にあるレベルの低周波の音には鈍感であるということが分かった(診断された)のですが、こうした可聴範囲の差異というのは誰にでも少なからずあることであると思います。
音質の好みや心地よさといったメンタル・感覚面に関しては、更に人によって千差万別です。特にその人にとっての”良い音”というのは極めて感覚的・主観的なものと言えますし、透き通ったような高域のクリアなサウンドが好きなのか、中域の膨らんだ温かなサウンドが好きなのか、いわゆるドンシャリの音が好きなのか、または、とにかく重低音がブーストしてないと気持ちよくない等々、人によって好みはそれぞれです。「原音再生」や「ライヴ音再現」、また「音の解像度」といった言い方や音のクオリティの基準と言われるものもありますが、これも「原音」やライヴの音を捉える聴覚や感性によって“再生度”・“再生具合”も変わってきますし、音を数値で解像することは可能であっても、実際にそれらをどう知覚し、感じるかによって、「解像度」自体も絶対的な価値を持つとは言えなくなってきます。ですが、そうした中にも音の良し悪しではなく、聴覚や感性でもない、テクノロジーに関する明確な“違い”というものは明らかに存在します。それはつまりアナログ(LP)とデジタル(CD)という音の記録・再生方式の違いと、同じデジタルにおいても圧縮の有(MP3 などのデジタル・ファイル)無(CD)といった音の保存方式の違いです。改めて説明するまでもなく、圧縮というのは言葉通り音を圧縮するわけではなく、聴感上において問題ないと思われる(つまり、人間の可聴範囲を超える音域情報)を間引き(カット)してデータ量を減らすわけです。よって、カットされること自体は音質の低下と言えますが、要はカットされた音を人間は聞き分けられるのか、という問題が残ります。
圧縮率はビットレート(kbps)という単位で表されますが、諸説異論はあるものの、一般的に人間が圧縮音源の音質差を聞き分けられるのは、せいぜい128kbps か160kbps程度までとも言われています。例えばアメリカにおいて最も人気の高いストリーミング・サービスであるSpotify の場合、モバイル向けには96kbps、デスクトップ向けには160kbps、そして有料のプレミ
アム会員は、高音質の320kbps のビットレートとに分けて圧縮して配信しています。Spotify のプレミアムは音質の良さが売りですし、実際に私の周りのプレミアム会員達もそのことを強調しますが、その一方で私の周りのAmazon Music やApple Music(どちらも256kbps)愛用者達の多くは、Spotify プレミアムの高音質というのは聴覚上はAmazon Music やApple Music と変わらないとも主張しています。また、Spotify に続く人気ストリーミング・サイトのTidal は1411kbps という、い
わゆる「ロスレス」を実現させ、Spotify やAmazon、Apple などとは比較にならない高音質を売りにしていますが、ここまで来ると判別・比較は更に難しいと言えるようです。実際にこちらのメディアでは以前、数曲の音源をそれぞれ160kbps、320kbps、1140kbps の3 種類のビットレートで聞かせる比較テストを一般に公表して話題になりましたが、その違いを判別できた人は半数にも満たなかったとのことです。そうした中で、Spotify がTidal 並み、またはそれ以上の高音質を実現するSpotifyHiFi の開発に取り組んでいるというニュースがあったのが2 年以上も前のことでした。しかし、2019 年9 月現在、このSpotify HiFi のサービスはまだ登場してはおらず、どうなったのかと思っていたところに、何とアマゾンが去る9 月にAmazon Music のコンテンツを高音質の「ロスレス」で聴くことのできるストリーミング・サービス、Amazon Music HD をスタートさせました。デジタル・ファイルの圧縮に関しては、これまでほとんどがデータ量を削減するロッシー圧縮(非可逆圧縮)によって行われてきたわけですが、今回のAmazon の新サービス登場によって、時代はいよいよ、データを削減しないロスレス圧縮(可逆圧縮)の時代に突入したと言えるのかもしれません。
ちなみに、Amazon Music HD のビットレートは最大850kbps とのことで、Tidal には少々及びませんが、それでもこれまでの2.5 倍以上の数値です。更に今回、Amazon はHD の上のULTRA HD という目下最高音質のサービスも開始させ、こちらは何と3730kbp という、これまでの10 倍以上の数値となっています。また、Amazon のHD はビット深度(量子化ビット数)16 ビットにサンプリング周波数44.1kHZ という、通常のCD 仕様(リニアPCM 方式)を実現していますが、その上ULTRA は24 ビットで192kHZ という「ハイレゾ」CD、またはDVD-Audio と同じ規格を実現しています。
アメリカのメディアは音楽系を中心に今回のAmazon Music HD のニュースを様々な面からかなりポジティヴに捉えていると言えますし、ストリーミングに関して特に若年層ユーザーではSpotify などに遅れ気味であったAmazon が、いよいよストリーミングの最前線におどり出し、物販の世界を制覇したAmazon が今度はデータ販売の世界も制覇するであろう、といった扇動的な論調まで出ています。しかし、Amazon は何かと敵やAmazon 嫌いも多いですし、一般レベルから専門分野に至るまで、Amazon Music HD の高音質、そして「ロスレス」そのものに対しての懐疑的な意見・論調も見受けられます。特に肝心の音質面においては、再生機器がスマホとイヤホン使用が圧倒的な現状においては、ディバイス側の対応や互換性の問題も含め、ユーザーの耳に届く音の段階で、HD やULTRA の優越性というものがどれだけ感じられるのか、という疑問です。また、音質を追求すれば容量が増えていくことになるわけで、益々「データ・ビジネス」の罠にはまっていくことになり、つまりそれこそがAmazon の狙いである、という別の見方もあります。
そうした状況の中で、イヤホン/ヘッドホンも高級・高品質化がかなり進み、イヤホン/ヘッドホンに100 ドル台(人によっては200~300 ドル台)のお金をかける若い音楽ファンもずいぶんと増えてきているようです(私は地下鉄に乗っている時でも、周囲の人間が使用しているイヤホン/ヘッドホンにどうしても目が行ってしまいます)。そうした機器の中には「ハイレゾ」(英語ではハイレス:Hi-Res)仕様のものも増えてきていますが、これに関してもユーザーとメディアの両サイド(更にはメーカー・サイドにおいても)で賛否両論があると言えます。この問題は冒頭でも述べたように、聴覚というフィジカルな部分と“聴いた感じ”という感性的な部分との両面が関わってくるため、数値のみで立証したり、優劣をはっきりと結論付けるのは難しいのですが、私がこちらで長年一緒に仕事をし、信頼している優れたマスタリング・エンジニア(アメリカ人)の話が私としてはかなり同意・納得できるものと言えました。それは、例えば再生周波数帯域が広い、いわゆる「ハイレゾ」仕様のイヤホン/ヘッドホンで聴いたからといって今まで聴こえなかった音が聴こえるということではなく、“聴こえ方”が違ってくるのだ、というものです。
人間の可聴範囲というのは大体20Hz~20kHz と言われていますので、その範囲をカバーしているイヤホン/ヘッドホンであれば問題はないわけですが、例えば5Hz~40kHzなどといった「ハイレゾ」仕様のイヤホン/ヘッドホンの場合は、可聴範囲外の音が直接聴こえるわけではなく“含まれている”ことによって、音の緻密さや自然さといった“聴こえ方”に影響を及ぼすというわけです。
しかし、騒音に満ちたニューヨークで、特に地下鉄などで音楽を聴くのであれば、そんなものは何の意味もなく、ノイズ・キャンセリング機能をもったイヤホン/ヘッドホンの方が高音質を求める上でははるかに効果的だ、とも彼は言っていました。
そしてこの“聴こえ方”の問題に関して、このエンジニア氏は再生周波数よりもサンプリング周波数の違いの方が重要であるとも話していました。つまり、サンプリング周波数が44.1kHz に比べて192kHz というのは1 秒間に読み込むデータの細かさが4.5 倍近いわけで、その細かさの方が音の緻密さや自然さに直結するというわけです。実はこれは結果的にレコードの音質に近いものとも言えるようですが、これも再生機次第であることには変わりがありませんので、現在のスマホ自体または対応ディバイス自体が更にグレードアップしていかない限り、現状においてHD やULTRA の優位性をそのまま捉えることには懐疑的である、との意見でした。それよりもこのエンジニア氏が強調していたのは、感性と経験に支えられたマスタリングの意義・重要性でした。これはマスタリング・エンジニアとしてはもっともな意見であると思いますが、レコードの時代からCD を経てデジタル・ファイルに変わり、今回の「ハイレゾ」に至るまで、マスタリングというのはそのフォーマットの特性に合った、そしてその時代や人々(アーティストとリスナー双方)が求める音に仕上げられていったという背景があります。
このエンジニア氏が音楽の世界、特にミュージシャンからエンジニアの世界に入っていくきっかけとなったのは、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52 番街」であったというのも興味深い話です。ご存じのようにこのアルバムは1992 年に世界で初めて商業CD 化された作品であるわけですが、1978 年の発売直後からレコードで愛聴していたこのエンジニア氏は、CD 版発売後、あるミュージシャンの家でCD 版を聴いてその音の違いに驚愕したそうです。そして彼は、音楽を作曲や演奏という方法で生み出さなくても、エンジニアリングという技術と才能で生み出す方法がある、と確信したのだそうです。実際に、音楽・音源は同じでも、レンジや音質特性の異なるレコード、CD、デジタル・ファイル、そして「ハイレゾ」ではマスタリングは異なるわけですし、そこには単なるテクノロジーや数値だけではない、職人の感性と経験というものがしっかりと介在しているわけです。
そうして生み出された音楽メディアに接するリスナーは、そこから更に自分の聴覚と感性に応じていろいろな“聴こえ方”を楽しむことができる(事実これまでも楽しんできた)のだと思います。「ハイレゾ」、「ロスレス」の議論はこれからも続くでしょうし、それらに合わせた機器やアプリは次々と登場してくると思います。ですが、そこには常に送り手と受け手の側の知覚と感性という両面が、記録された音楽を感動と共に生き生きとしたものに甦らせてきたことを忘れてはならないと思います。
つまり、そうした“作業”をAI の手に譲り渡してはならない、というオチで今回のニュースレターの〆(シメ)とさせていただきます。
記事一覧