【I love NY】「月刊紐育音楽通信 May 2021」

(本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています)

Sam Kawa(サム・カワ) 1980年代より自分自身の音楽活動と共に、音楽教則ソフトの企画・制作、音楽アーティストのマネージメント、音楽&映像プロダクションの企画・制作並びにコーディネーション、音楽分野の連載コラムやインタビュー記事の執筆などに携わる。 2008年からはゴスペル教会のチャーチ・ミュージシャン(サックス)/音楽監督も務めると共に、メタル・ベーシストとしても活動中。 最も敬愛する音楽はJ.S.バッハ。ヴィーガンであり動物愛護運動活動家でもある。

     

 

 青森と緯度が同じニューヨークは、4月の半ばから5月の頭にかけてが桜の季節となります。街のあちこちで染井吉野、枝垂れ桜、八重桜など、少しずつ時期がずれながら満開となり、ニューヨーカーの目を楽しませてくれます。

 さすがに花見ができるような桜並木となると、市内各区のボタニカル・ガーデンや大きな公園に行かなくてはなりませんが、一本単位であれば、最近は街の中でも随分と桜の木が増えてきました。

 それはここ5~10年のことであると思いますが、ニューヨーク市内の歩道に無数にある植え込み部分において桜の木が目に付くようになってきました。特に新しい建物や再開発区では、周辺の歩道を舗装し直すため、歩道の一部となる植え込み部分に桜の苗木を植えるところが年々増えてきました。更には、庭のある家では桜の苗木を植える人も増え、街を歩いたり車で走っていると、ぽつりぽつりと桜を見かけるのです。

 また、最近はこの時期、つぼみの付いた桜の枝の束売りが人気で、大きなマーケットでも販売しているため、そうした店の周辺の通りでは桜の枝の束を抱えて歩く人の姿をよく見かけます。

 我が家でも毎年桜の枝の束を花瓶に入れて、自宅内でささやかな花見をしていますが、ニューヨークでも大分桜が一般化してきたように感じます。

 そんな桜の季節が終わる5月は「エイジアン・パシフィック・アメリカン・ヘリテージ・マンス」となります。これは要するにアジア系アメリカ人と太平洋諸島の人々(こちらではAsian American and Pacific Islandersを略して通称「AAPI」と呼びます)の「伝統遺産月間」というわけで、2月のアフリカン・アメリカン・ヒストリー・マンス(通称ブラック・ヒストリー月間)」に連なるマイノリティーに対するリスペクトと歴史文化紹介・理解のための月間と言えます。

 この二つ以外にも、9月は「ヒスパニック・ラティーノ伝統遺産月間」、11月は「ネイティヴ・アメリカン(アメリカン・インディアン)伝統遺産月間」がありますが、黒人の2月、ヒスパニックの9月に比べれば、アジア系とネイティヴ系は極めて地味な存在と言えます。恐らくアメリカ人でも知っている人は少数で、当事者達でも知らない人がいるくらいです。

 アジア系が5月である理由は、ジョン万次郎のアメリカ渡米です。後に日系アメリカ人となる日本人の渡米・移住は江戸幕府による海外渡航解禁後の1860年代後半から始まったとされていますが、その20年以上前となる1843年5月7日、ジョン万次郎がマサチューセッツ州ニューベッドフォードの港に降り立った日を記念にしているわけです。

 この「アジア/太平洋系アメリカ人伝統遺産月間」は1978年、当時の大統領ジミー・カーター氏によって「月間」として正式に調印・制定されましたが、そこに至るまでには、後にクリントン大統領の商務長官、ブッシュ(息子)大統領の運輸長官を務め、日系アメリカ人としては初の閣僚となった故ノーマン・ミネタ(峯田)氏の尽力があったと言われています。

 そうしたこの「AAPI伝統遺産月間」が今年は方々で大いに注目されています。それはまさしく最近のアジア系差別事件があるためですが、それでもアメリカにおけるアジア系に対する理解が高まればありがたいことです。

 先日は、アジア系に対するヘイト・クライム対策法案も上院において一人(人種差別主義で知られるトランプ派議員)を除く満場一致で可決されましたが、この法案を主導したのは、福島県生まれ育ちで、日系のみならずアジア系としてアメリカ史上初の女性上院議員となったメイジー・ケイコ・ヒロノ(広野)氏です。

 アメリカにおいては、まだまだ本当に数少ないマイノリティであるこうした日系アメリカ人達の活動が、今後益々実を結ぶことを願ってやみません。

 

 

 

トピック:続・アメリカ音楽業界の中における「エイジアン」の存在~“日系”の観点から

 

 日本人や日系アメリカ人にとって1979年と1980年というのは、ちょっとした“事件”とも言えるムーブメントが起きた年であったと言えます。つまり、アメリカ音楽またはアメリカ音楽業界の中で、日本の音楽というものがにわかに注目を集めたからです。

 

 その先駆であり元祖であるのは、間違いなく坂本九さんです。1961年にリリースされた「上を向いて歩こう」は、翌年ヨーロッパでも紹介されて「Sukiyaki」という曲名で人気を得ましたが、その時はアメリカではほとんど話題になりませんでした。

 ところが、偶然坂本九のオリジナル盤を手に入れたアメリカの地方ラジオ局のDJがこの曲をオンエアするやいなや注目を集め始めて人気が広がり、1963年にシングル盤が発売され、発売後約1ヶ月半程で全米チャート・ナンバー1まで上り詰め、約1ヶ月近くもトップを守り続けたのです。

 日本語の歌詞・歌のままで全米ナンバー1になったというのは、これは“事件”以外の何物でも無く、後にも先にも日本人アーティストによるこのような快挙はありません。   

 しかし、それは海を越えた“極東の島”から輸出された“事件”であり、アメリカ国内のポピュラー音楽界において、アメリカ人アーティストから日本音楽の影響が英語によって発信された“事件”というのは、1979~1980年と言えると思います。

 

 それは具体的には、1979年にデビュー・アルバムがリリースされたLAの日系3世達によるバンド「HIROSHIMA」。そして、1978年に「Boogiue Oogie Oogie(邦題「今夜はブギ・ウギ・ウギ」)」が空前の大ヒットを記録した女性2人によるグループ「A Taste of Honey」が1980年にリリースした上記「Sukiyaki」の英語カヴァー曲です。

 前者は日本でも話題にはなりましたが、琴や尺八、和太鼓を取れ入れたサウンドは、当時“和風フュージョン”などとゲテモノ視されていた感もありました。

 一方、後者は来日してオリジネーターの坂本九さんと共演も果たしましたので、50歳後半以上の方で覚えておられる方もいるかと思います。

 

 当時リアルタイムでこの両者にハマってしまった私にとっても、これは本当に大きな“事件”であり、逆輸入的なカルチャー・ショックを受けたとも言えました。

 何しろ、前者はバンド名自体が恐ろしくインパクトがあり(実は、このグループのリーダーであるダン・クラモトは、バンド結成前はカリフォルニア大学におけるアジア系アメリカ人研究の中心的ポジションにおり、反戦・反原爆・反差別のスタンスも強く持っていたと言われています)、和楽器が自然な形でジャズ/フュージョン・サウンドの中に溶け込んでおり、それでいて歌は完璧にアメリカンなネイティヴ英語(日系3世ですから当然ですが)、しかも日本的なだけでなく、サルサやR&B/ファンクの要素も平然とミックスされていたわけです。

 

 一方の後者は、HIROSHIMAの琴奏者ジューン・クラモト(彼女は同グループで唯一の日系3世ではない日本生まれ)がゲスト参加して彼女の琴が全編にフューチャーされ、それまでディスコ・クイーン的存在だったリーダー&シンガーのジャニス=マリー・ジョンソンの歌は、繊細で情感たっぷりでまるで別人かと思うほどでした。

 更に驚愕したのは、アメリカの人気長寿音楽TV番組「Soul Train」にA Taste of Honeyが出演してこの曲を披露した時です。それまでベースとギターを弾きながら歌い踊るのがトレードマークでもあった彼女達は、なんと日本の着物を着付け、ベースのジャニス=マリーは扇子を手に日本舞踊のように踊りながら歌い、ギターのヘイゼル・ペインは琴を演奏したのです(但し、「Soul Train」はアテレコが基本ですから、彼女が実際にどれだけ琴を演奏できたかは不明です)。

 この音楽TV番組は、黒人を中心とした若者達が演奏中にステージの周りで踊るのも特徴でしたが(番組最後のライン・ダンスも見ものでした)、この時はステージ脇の付帯的なセットでチーク・ダンスを踊るダンサーが僅かにいたくらいで、ほとんどはステージの前でじっくりと聴き入っていました。

 

 前者はクルセイダーズのウェイン・ヘンダーソン、後者はジョージ・デュークという当時のジャズ・フュージョン・シーンの頂点にいた二人(共に黒人で既に故人)がプロデュースを行ったということもエポック・メイキングであったと言えますが、この二つの“出来事”は単にその時限りで終わることもありませんでした。

 HIROSHIMAは結成40年を過ぎた今も活動中で、ゴールド・ディスクやグラミー賞ノミネートの経験も何度かあり、クインシー・ジョーンズにも認められてアルバムをリリースしたり、マイルス・デイヴィスの前座を務めたこともあります。

 また、特に90年代以降のヒップホップの世界において、彼等の音源をサンプルとして利用したり、それらを模倣したサウンドを作ることも一つの流行となりました。

 

 A Taste of Honeyの「Sukiyaki」によって、この曲の“第二波”とも言うべきカヴァー/リメイクが次々と世に出て、メアリー・J.・ブライジ、ウィル・スミス、スヌープ・ドッグ、セレーナといった大物達も英語歌詞バージョンを取り上げることになったことも見逃せません。

 A Taste of Honey自体は80年代前半で活動を終え、リーダーのジャニス=マリーはもう「Boogie Oogie Oogie」を歌うことも無いようですが、今も「Sukiyaki」だけは、まるで自分がこの曲を後世に伝えていかなければ、とでも思っているかのように歌い続けています。

 彼女はかつて日本人と黒人のハーフと言われたこともありましたが、実際にはネイティヴ・アメリカンと黒人とのハーフです。ですが日本が大好きで、日本舞踊が大好きで(日本舞踊も日本人から習ったそうです)、坂本九(「人生で出会った最高の人」とまで言っています)と「上を向いて歩こう」という曲が子供の頃から大好きだった彼女は、大事なイベント(例えばLAのリトル東京で行われた東日本大震災救援寄付コンサート時など)では、今も扇子を手に着物を着て歌い踊っています。

 そして、嬉しいことに彼女のことを、最近益々指摘・糾弾されることの多い“文化的不理解/略奪/不適格”などと呼ぶ人は、まだアメリカにはいないようです。

 

 その意味では、彼等のレガシーはしっかりと維持・継承されていると言えます。しかし、これは当事者達(HIROSHIMAとジャニス=マリー本人達)のレベル、または当事者達と直接関連するレベルでの維持・継承であり、そこから次の世代への継承というのは現状においてはほとんど見られません。

 でもそれは、見られないのではなく、見えにくいだけかもしれません。なぜなら、アメリカのあちこち(特にカリフォルニアやハワイ)では日本人や日系アメリカ人、また日本文化の影響を大きく受けた日系以外のアメリカ人の新しい世代が新たな音楽に取り組んでいることは確かですが、それらがメディアに公平に取り上げられ、評価されることはまだまだ数少ないと言えるからです。

 

 これは、HIROSHIMAやジャニス=マリーといった当事者達にとっても同様と言えるでしょう。彼等がここまで活動を継続してきた中で、どれだけの努力と不当な扱いがあったかは計り知れません。

 実際に、そのレコード・セールス面や彼等が与えた影響からすれば、HIROSHIMAがグラミー賞の幾つかの部門で受賞する資格が充分にあることは明らかですし、このパンデミック状況は別として、彼等にはコンサートや大型フェスティバルなど、もっとたくさんの演奏の機会が与えられてしかるべきとも言えます。

 彼等自身はそのことに対して声を上げることはありませんが、私を含めアジア系の音楽業界人や彼等のファンにとっては、彼等が極めて過小評価されていることは明らかであると感じられます。

 

 一方、ジャニス=マリーがA Taste of Honeyで「Sukiyaki」の歌詞を英語化してレコーディングしたいと提案した際には、周囲の人々ほぼ全員が反対したそうです。 

 しかし、彼女は自分の音楽出版社を通じて、「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔さんにコンタクトを取り、歌詞の英訳許可を尋ねたところ、永さんは快い返事と共に3種類の英訳歌詞案を送ってきてくれたそうです。

 そして、それらを元にリライトし、デモ・テープを作ったところ、当時契約していたレコード会社(キャピトル・レコード)の副社長は、「黒人は誰も日本の音楽など聴きたくもない」と言い放って完全拒否。それに対してジャニス=マリーは、「私は黒人だし、子供の時から聴いてるわよ!」と啖呵を切ったというのですから根性が入っています。  

 そんなやり取りを経て、この曲は何とかレコーディングにまでこぎ着けましたが、マスターをディスク・カットする際、レコード会社は強攻策に出てこの曲を削除してしまったそうで、またしても発売直前に大もめ。長時間の協議の上、何とか日の目を見ることになりましたが、当然レコード会社はシングル化にも大反対。それも押し切ってシングル発売された同曲は、「Boogie Oogie Oogie」ほどの空前のヒット曲とはなりませんでしたが、それでも全米チャート3位となったのですから、正にこの曲はジャニス=マリーの情熱と執念の固まりのような曲と言っても良いのかもしれません。

 

 こうしたいわゆる“先駆者達”の取り組みの行方や成果が未だ実を結んでいるとは思えない状況の中、それらとは全く異なるアプローチによる動きも出てきていると言えます。

 それはまずイギリスからですが、リナ・サワヤマの登場は、最近のアジア系差別の問題と直接結びついて強烈なインパクトを与えています。

 彼女は日本生まれで5歳の時ロンドンに移住しています。音楽活動と同時にケンブリッジ大学で政治学や心理学を学んだという“才女”ですが、自ら「クイーア」と公言する彼女の「STFU」と言う曲(Shut The Fxxk Upの略!)は、歌詞もビデオもあまりに強烈です。何しろアジア系女性に対してステレオタイプな差別意識しか持ち得ない白人男性に対して「黙りやがれ!」と怒りをぶつけているのですから。

 欧米に住んだことのあるアジア系女性ならば誰でも一度は経験があると思われる、こうした不当な扱いに力強く「ノー(No)」を突きつけたこの作品には、アジア系コミュニティのみならず方々で拍手喝采が起きているようですが、あまりにアグレッシヴ過ぎる、逆に“キャンセル・カルチャー度”を高めてしまっている、といった批判もあるようです。

 ですが私は、この曲はこの曲として、彼女の本領は、彼女を高く評価しているエルトン・ジョンとのデュエット曲「Chosen Family」にあると感じます。この曲での彼女の堂々とした歌いっぷりは、レディ・ガガを思わせる部分もありますが、好みは別としてサー(Sir)・エルトン・ジョンを前にこれほどの存在感を見せつけてくれる“英語で歌う日系シンガー”を私は他に知りません。

 

 また前述のように、彼女の場合はLGBTQという括りの中で、これまで最も取り上げられにくく、理解されにくかったQ、つまりクイーアであることを敢えて主張している点も特筆すべきでしょう。

 つまり、LGBTというのは男性か女性という従来の姓を基本・前提にした解釈・区分けになるわけですが、Qというのは、そうした従来の性という解釈・区分けすら存在しないわけです。これは正に新時代の感覚であると思いますし、エルトンが強く共感しているのも非常に頷けます。

 

 リナ・サワヤマのアメリカ上陸は本当に楽しみですし、今後の動向に目が離せませんが、アメリカにおいてもまだ数は少なく、リナ・サワヤマのインパクトと話題性には及びませんが、メディアの注目を集め始めている音楽アーティストが徐々に出てきていると言えます。

 例えば、ニューヨークではなくLAですが、R&B/ヒップヒップ系のシンガー&ソングライターであるジェネイ・アイコは、最近益々注目度が増してきています。既に様々な大物R&B/ヒップヒップ系アーティスト達の作品にゲストとしてフューチャーされ、彼女自身の作品においてもそうしたアーティスト達をフューチャーしてコラボし、共にツアーも行っており、また、グラミー賞を始め数々の賞でも受賞・ノミネートされていますので、特にこの分野におけるアジア系アーティストとしては傑出した存在であると言えます。

 むしろ彼女の場合はアジア系という括りで語られることが少ないですが、娘には日本名(ナミコ)を付けるなど、彼女の意識の中には日本人の部分が強くあることが感じられます。

 また、母はスペイン&カリブ系の日系アメリカ人で、父はネイティヴ・アメリカンと黒人とドイツ系の混血であるアメリカ人ということもあり、音楽的にも様々なバックグラウンドや影響を持っている点が、アジア系という括りや、アジア系に対する理解自体を広げることにも役立っているように思います。

 

 ニューヨークでは、日本生まれで日本人の母親を持つ日系アメリカ人ミツキ・ミヤワキ(「Mitski」の名前で活動中)が非常に注目されます。

 音楽的にはポップス、それも明快で躍動的・ダンサブルなものではなく、常にどこかに憂いを秘めたような影のあるポップスと言えるかもしれません。

 欧米でちょっと一癖あって個性的な様々なポップス系アーティストと共に、中島みゆきや松任谷由実も大好きというところが、それを物語っているようにも感じます。

 まだセールス的・人気的には前述の二人には及びませんし、メジャーな受賞歴もありませんが、彼女の作品やツアーは、メディア/批評家達の間ではすこぶる高いと言えます。

 彼女の場合は「自分は半日本人で半アメリカ人で、そのどちらかだけではない」と自分のアイデンティティ表明をはっきりしており、音楽性にもそれは充分に感じられます。

その音楽やキャラクターは、恐らく日本人から見たら日本人には思われず、アメリカ人と思われるのかもしれませんが、アメリカ人から見れば彼女の音楽やキャラは間違いなく彼等にとって異質で、日本的・アジア的と受け取られると言えます。

 例えば彼女の繊細で微妙なニュアンスを持った歌声と歌詞は、アメリカ人のアーティストの中に見出すことが難しい大きな特徴であり魅力であると思いますが、それが逆にアメリカの若い世代には大いに受けて支持されてきているということが、私のような古い世代のアジア系にとっては驚きであると共に、嬉しさでもあり、希望でもありとも言えます。

 

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