【I love NY】月刊紐育音楽通信 Jun 2021

※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています
Sam Kawa(サム・カワ) 1980年代より自分自身の音楽活動と共に、音楽教則ソフトの企画・制作、音楽アーティストのマネージメント、音楽&映像プロダクションの企画・制作並びにコーディネーション、音楽分野の連載コラムやインタビュー記事の執筆などに携わる。 2008年からはゴスペル教会のチャーチ・ミュージシャン(サックス)/音楽監督も務めると共に、メタル・ベーシストとしても活動中。 最も敬愛する音楽はJ.S.バッハ。ヴィーガンであり動物愛護運動活動家でもある。

 毎年5月のアメリカはAAPI(エイジアン&パシフィック・アメリカン)伝統遺産月間であることをお伝えしましたが、今年からはバイデン政権によって「メンタル・ヘルス・アウェアネス月間」が同じく5月に新たに制定されました。アメリカは近年、「心の問題・心の病」に関する理解・認識が格段に進み、そのケアの必要性が問われ、学校から企業・団体、そして様々な場において対応が進んでいます。

 これはパンデミックによる影響、つまり心的な疲労を強いられる状況となって益々活発になってきていますし、音楽界においては特にアーティスト側からの発信によって、音楽業界の内外に存在する大きなトピックとして扱われてきていると言えます。

 しかし、誰の目から見てもスポーツ界の対応が遅れているのは明らかと言えます。特にスポーツというのは、ある意味で“マッチョな”イメージが強く、タフさ強靱さが問われやすいので、“健全な精神は健全な肉体に宿る”を逆手に取ったような論理が横行し、心の部分は無視されがちで、ニュースにもなりにくいと言えます。

 実はつい数日前、友人でもある有名なヘヴィメタル系ギタリストと話した時に、彼はこう語っていました。「俺達のステージってのは本当にタフだ。大体約90分間のステージをハイテンションでぶっ通しで突っ走るから、終わった後はいつもボロボロさ。そりゃあ昔は酒とドラッグで持ち上げてステージの後にパーティもしたよ。でも実際には心身共にすっかり消耗し切ってるんだ。話もできないし歩けないこともあるし、ツアー・バスに戻ってぶっ倒れたように寝るしかなくて、気がついたら次の日、次のツアー場所に着いてたりね。でも、テニス選手ってのは肉体的にも精神的にも俺達のステージより遙かにタフだと思う。しかもゲームの後は勝っても負けても記者会見なんて、ヤツらはほとんど超人だよ!俺には絶対真似できないし、したくもない。もしも負けた時に意地の悪い質問をするようなクズ野郎がいたら、俺なら間違いなくその場でそいつを叩きのめすね!」物言いは過激ですが、実に正直な気持ち・意見であると私は同感します。

 現在ドラマーでありレコーディング・エンジニアでもある私の娘は、実は高校生の時までジュニア・テニスの選手でした。USTA(全米テニス協会)に所属し、州の内外を試合でツアーし、USオープンの時はボール・ガールも務め、私は娘のドライバー件ヘルパー的役割を務めてもいました。

 時代的にはヴィーナス&セリーナ姉妹が差別・バッシングを受けながらも大活躍していた頃であり、世代的には大坂選手よりももっと前になりますが、当時は(恐らく今も)テニスというのはほとんど白人至上主義のような世界でした。一緒にツアーを回っていた選手達は、裕福な家庭の白人に加えて、ロシアや東欧から子供に夢を託してやってきた白人達がほとんど。白人でない対戦相手との試合というのは稀で、そんな時は思わず試合後に少し会話してお互いに励まし合ったりもしたものでした。

 選手やコーチ達は皆フレンドリーでしたが、選手の親達、審判、協会・大会関係者達の中には明らかに非白人の参加・活躍を快く思っていない連中もいて、黒人中心であるバスケットボールの世界で過ごしてきた息子のマイノリティ感覚や環境とはあまりに大きく異なることにショックを受けました。

 心の問題・病と人種偏見・差別。このとてつもなく大きな問題を抱えながら、一つの世界の頂点に立つ23歳の若き女性の重荷やプレッシャーというのは想像を絶するものであり、当事者の事情や背景を理解しない安易な基準・評価や比較は禁物であることは間違いありません。


今月のトピック:トピック:パンデミックを吹き飛ばすパンク・ロックの躍動 


 パンデミック後の再開具合は州によって大きく異なりますが、ニューヨークも気分的には“コロナはほぼ収束”という感じになってきています。レストランを始め、店舗入店の規制は次々と緩和され、学校も新学期の9月から平常通りとなり、そして何よりも嬉しいのはライヴ/コンサートの復活です。インディから大物まで、ライヴ/コンサートやツアーのブッキングは、早いところでは7~8月から、遅いところでも秋からは続々と始まっており、年内には音楽業界“完全復活”という勢いになってきています。もちろん話はそんなに簡単ではないのですが、それでも今はあらゆるミュージシャンや音楽関係者が再開に向けた準備に入っているとも言えます。

 この1年以上、音楽界が“封じ込められてきた”被害とストレスというのは恐ろしいほどのレベルに達していますし、故にその反動の大きさというのは想像を絶する、またはかつて無いエネルギーやムーヴメントになり得るだろうというポジティヴな見方もあちらこちらでよく聞かれます。音楽的にもコンピュータ系や宅録系といった人工的で精密で作り込んだ形のものよりも、即発的で炸裂型とでも言うのか、ヴィヴィッドでライヴなパワーをもった勢いの良い音楽とアーティスト達が次々と登場(再登場)するであろうと予測するジャーナリズム達の意見や記事も最近よく目に付きます。ロック系では新たなバンド・ブーム、ジャズ系では新たなセッション・ムーヴメントが起きるのではとも言われていますが、これは納得できる意見にも思えます。

 そんな中、最近私の身の回りのみならず、あちこちの音楽業界で大きな話題となっていると言われ、「あのバンド聴いた?(観た?)」が近況を語る切り出し文句にもなってきているバンドがあります。皆さんも既にご存じでしょうか? バンド名はThe Linda Lindas。LAから出てきた10~16歳のエイジアン系+ヒスパニック系ガールズ4人によるパンク・バンドです。  
 パンクと「リンダ リンダ」と聞けば、1980年代後半から1990年代前半の日本の音楽シーンを通過された方であれば気付かれるはず。当時の日本の音楽シーンを席巻し、後々まで様々な分野にまで大きな影響を及ぼした日本のパンク・バンド、ザ・ブルーハーツの大ヒット曲です。
 ブルーハーツは既に1995年に解散していますので、The Linda Lindasのメンバー達のほとんどはまだ生まれてもおらず、彼女達にはリアルタイムの体験はありません。実は、このバンド名の由来はブルーハーツのヒット曲ではなく、そのヒット曲を題材に2005年公開された日本映画「リンダ リンダ リンダ」であるとのこと。とある高校の文化祭でステージに立つことを目指して女子高生4人が奮闘するこの映画は、大胆なまでに日本の高校生の視点にフォーカスした作風とアマチュア・ドキュメント的なカメラ・ワークが斬新且つ非常に独特で、それ故にアメリカでは受けないだろうと思われていました。スマッシング・パンプキンズのジェームズ・イハが音楽を担当したことで、アメリカでもサントラ盤は一部で話題になりましたが、実際に映画自体は、公開から約2年後にDVDが発売され、当初は一部のジャパン・カルチャー・ファン(日本オタク)を中心に話題となる程度でした。

 ところが、この作品に対するアメリカの映画評論家や映画情報サイトなどの評価はすこぶる高く、様々なメディアで紹介されてジワジワと映画ファンに知られていきました。更に、映画ではボーカル担当の韓国留学生役であったペ・ドゥナが2012年にハリウッド・デビュー(映画「クラウド・アトラス」)し、2016年にはルイ・ヴィトンのスーパー・モデルにもなったことで、大きな注目を集め、その圧倒的な存在感と演技がカルト的と言っても良いほどの人気・評価を得て、多くの人々に知れ渡ることとなりました。

 そんなわけで、The Linda Lindasの4人が、この映画に登場した4人の女子高校生達を、等身大の身近なヒロインとして感じ、バンド結成に至ったというのは非常に面白いストーリーであると感じます。そうした背景も興味深いながら、去る5月に発信されたThe Linda Lindasの映像に接したときのインパクトは実に絶大です。ビデオの録画場所は、なんと本棚に囲まれた地元LAの公立図書館の中。日本の女子中高生のようなチェックのスカートに(70年代育ちの私は、思わず昔のベイシティー・ローラーズのパンク版ガールズ版のように感じてしまいました)、それぞれに思い思いの憧れパンク・バンドのTシャツを着て、それぞれの楽器をワイルドにプレイしながら、白人でもなく黒人でも無い、エイジアン系+ヒスパニック系の女の子達が「人種差別で女性差別の男子!」と叫んで歌う姿には、前回紹介したリナ・サワヤマ以上の過激さがあります。人種差別主義で女性差別主義の男の子を糾弾するこの曲「Rasist, Sexist Boy」は、バンド・メンバー最年少でドラムとボーカルをメインに担当する10歳のミラ・デラガーザの実体験を元にしているとのことです。今回のパンデミックが始まる前、学校内でミラは近づいてきた少年から「チャイニーズを避けるようにって僕のお父さんが言ってた」と言われ、「私はチャイニーズ(系)よ」と言ったところ、この少年はミラを避けたということです。今やこのアメリカでは何時でも何処でも起こり得るそうした偏見・差別に対して、10代の女の子達が「ふざけんじゃないわよ!」と、ストレートなプロテストをパンク・ミュージックに乗せて発信する姿は、SNSを通じてあっという間に広がりました。

 インスタグラムでは僅か3日間で約400万人が視聴し、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンのトム・モレロ、ソニック・ユースのサーストン・ムーア、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、パラモアのメンバー達などの評価・賛同・バックアップも得ることになりました。更にその勢いは止まらず、1980年代から活動するパンクの大御所バッド・レリジョンのブレット・カーヴィッツが1987年に設立し、インディながらパンク系のメジャー・レーベルであるエピタフとの契約を取り交わすにまで至りました。そして数日前は遂にアメリカのメジャーなTV番組デビューも果たし、“今アメリカで最も旬で有名なバンド”と言える存在にまでなっています。

 実は5月に発信されたビデオの前の4月末は、1990年代から活動(90年代に解散後、数年前に再結成)するワシントン州出身の女性パンク・バンド、ビキニ・キルの前座を務めたことが、一部で話題になっていました。ビキニ・キルズ特にリーダーのキャスリーン・ハンナは「ライオット・ガール(Riot Grrrl:直訳すれば「暴動少女運動?」)」というフェミニズムに根ざしたパンク・ムーヴメントのリーダー的存在であり、政治的側面も非常に強いのが特徴です。そんな彼女達が、自分達の娘世代であるThe Linda Lindasの存在に驚き喜び、オープニング・アクトとして迎え入れてサポートしているのは納得できます。逆に言えば、The Linda Lindasとビキニ・キルとの結びつきは当然すぎるとも言えますし、まだ世に出たばかりのThe Linda Lindasが、ある特定の(もしかすると偏った)方向に進みかねないことを危惧する音楽関係者もいますが、その部分で一つの安心材料となっているのは彼女の父親達の存在です。

 まず、ミラとルシア(ギターとボーカルをメインに担当)のデラガルザ姉妹の父親は、パラモアやバッド・レリジョンを始めとするパンク/オルタナ系アーティストのアルバムのプロデューサー/レコーディング・エンジニアとして活躍しているカルロス・デラガルザ。彼は、今回The Linda Lindasが契約することになったレーベル、エピタフでも10作近くプロデュースやレコーディングを手掛けており、既にジギー・マーリーとパラモアの作品ではグラミー賞も受賞しています。 
 もう一人、ベースとボーカルをメインに担当しているエロイーズ・ウォンの父親は、同じUCLA卒の日系アメリカ人エリック・ナカムラと共同で、「ジャイアント・ロボ(Giant Robot)」というエイジアン系(そしてエイジアン・アメリカン系)のポップ・カルチャー雑誌を発行しているマーティン・ウォンという中国系アメリカ人です。この「ジャイアント・ロボ」は、元々はアジア系映画が中心でしたが、アート全般からフード、おもちゃ、トラベル、テクノロジー、歴史や時事問題など幅広く取り上げ、LA、サンフランシスコ、ニューヨークで店舗を構え、イベントも行うなど、エイジアン系のカルチャー誌としては草分け的存在と言えます。「ジャイアント・ロボ」ではアートの一分野としてパンク・ロック系のバンド紹介にも力を入れていますので、今回のThe Linda Lindasの快進撃を支える役割も担っています。

 つまり、音楽ビジネス面や実際のプロダクションに関して、そしてメディア戦略に関して、彼女たちには父親である心強いサポーターがいるわけで、その意味では“仕掛けられている”部分もあると言えます。ですが、ジャクソン5に代表されるように、アメリカの音楽界においてはファミリー・ビジネスというのは最も力強く信頼できる組織形態/ビジネス形態とされて数多くの成功を成し遂げてきたわけですから(もちろん破綻・失敗した時の訴訟や犯罪などの泥沼状態も見られますが)、決して特別な話でも揶揄さえる話でもありません。パンデミック後の反動によって、パワーを持った勢いのある音楽が求められてきていると前述しましたが、正にその意味ではThe Linda Lindasの“やんちゃ”で“過激”なパンク・ロックは、パンデミックで疲弊し、ストレスを抱えた聴衆を狂気させ、コロナ開けの時代を突き進んでいくエネルギーを持っていると言えます。

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