【I Love NY】「月刊紐育音楽通信 August 2021」

※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています
Sam Kawa(サム・カワ) 1980年代より自分自身の音楽活動と共に、音楽教則ソフトの企画・制作、音楽アーティストのマネージメント、音楽&映像プロダクションの企画・制作並びにコーディネーション、音楽分野の連載コラムやインタビュー記事の執筆などに携わる。 2008年からはゴスペル教会のチャーチ・ミュージシャン(サックス)/音楽監督も務めると共に、メタル・ベーシストとしても活動中。 最も敬愛する音楽はJ.S.バッハ。ヴィーガンであり動物愛護運動活動家でもある。

 

 スポーツは究極的には自分との闘いと言われます。一人の人間(またはグループ/チーム)が、国や栄誉のためではなく、自らの限界と対峙しながら闘い抜く姿は美しく、感動を呼び起こします。商業主義に陥り、政治に振り回されても、やはりアスレチックの世界の一つの頂点であるオリンピック・ゲームを観てしまう理由の一つは、そんなところにあるように感じます。

 舞踊一家に育った自分は、そんなオリンピックの中でも、やはりダンスの要素があるものが好きで、夏期は体操、冬期はフィギュア・スケートが一番楽しみな競技です。ただ、どちらの競技も選手の低年齢化・小型化とアクロバティックな技の応酬という方向が強まり、ダンスの要素は薄れるばかりという感は否めません。

 自分が初めて観たオリンピックは前回の東京オリンピック(1964年)でしたが、この時は女優並の容姿と優雅な演技で人気話題となったベラ・チャフラフスカ(旧チェコスロヴァキア)という選手がいて、自分も幼いながらすっかり魅了されたことを今でもよく覚えています。

 しかし、これは音楽でも同じことが言えますが、技つまりテクニックというのは、あるレベルを超えると、単なるテクニックを超越し、それだけでアートの領域に入っていくと感じます。史上最多のメダル獲得者であり、自他共に「GOAT(Greatest Of All Time=史上最高)と認めるシモーン・バイルスは正にこのレベルであると言えますし、その超人的なテクニックは常にオーラに満ち溢れ、更に人間的な魅力も加わり、彼女のパフォーマンスは、人間が“自らの体で生み出すアート”の世界に到達していると感じます。

 よって、今回のシモーンの競技棄権・欠場という“大事件”は、私には大坂なおみ以上のインパクトがありました。しかも、前回のリオ・オリンピック後に発覚したスポーツ界前代未聞の性的虐待事件に対しても、その被害者として実に力強く毅然とした態度を取り続け、虐待を受けた被害者の“生き残り”として唯一東京オリンピックに参加することになったシモーンです。そんな彼女に対する応援と信頼は、特にここアメリカでは絶大であったと言えますが、やはり彼女も一人の人間。勝手に超人扱いしていた反省・責任と共に、これもスポーツの宿命・ドラマの一つなのだということを改めて思い知らされました。

 しかし、嬉しいことにシモーンの後を受けたスーニー(スニーサ)・リーが新女王の座を獲得したことは、ある意味でシモーン以上の感動・希望と大きな意味があったと言えます。スーニーは体操個人総合においてアジア系アメリカ人としては初のオリンピック金メダルを獲得したわけですが、彼女自身はモン族(Hmong)系アメリカ人初のオリンピック選手です。

 このモン族(東南アジアのMon族とは別)というのはネイティヴ・チャイニーズとも言われる少数民族ですが、元々国家というものを持たない移動型の民族で、稲作をアジア全域に伝え(古代中国から日本に稲作を伝えたのは彼らであるという説もあります)、精霊信仰、食文化など日本との共通点も多いと言えます(日本人とはDNAが非常に似通っているそうです)。

 長年、少数民族として苦難の歴史を歩んできた彼らは、ベトナム戦争でアメリカ軍に協力して利用されたため、アメリカ敗戦後は各地の共産系国家や勢力によって弾圧・虐殺され、多数の難民がアメリカに移住することになりました。現在モン族系は中国、ベトナム、ラオスに次ぎ、アメリカ国内で人口約35万人いるとされていますが、アジア系アメリカ人と言うには特殊且つあまりに厳しい境遇であったため、アメリカにおける“アジア系の最底辺層”と指摘する人もいます。

 2008年にはクリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」という映画で取り上げられもしましたが、昨年5月に起きたジョージ・フロイド殺害事件で、主犯の白人警官デレク・ショーヴィンが黒人のフロイドを殺害するのを傍観していて起訴されたアジア系警官がモン族系であり、更にショーヴィン夫人(ショーヴィン逮捕直前に離婚)もモン族系であったことから、モン族系は事件後暴徒化した抗議デモの標的にもなり、破壊・略奪・放火の被害も受けるというあまりに気の毒且つ厳しい状況に立たされていました。

 そうした背景もあって、スーニーの金メダルというのは、アジア系初の快挙というよりも、モン族系の人達にとっては、アメリカにおける存在意義をアピールし、遂に自分達の未来が切り開かれたとも言える歴史的な大事件であったと言えます。

 ですが、スーニーはまだ18歳。今後モン族の将来、アジア系の未来を背負わされることにもなりかねず、逆にトランプ系の白人社会からはヘイトの標的にされる可能性も大です。既にスポーツ・エージェントやマスコミ、大企業の“餌食”となりつつある状況でもありますが、周囲に振り回されず、自分の心と体を充分にケアして、シモーンや大坂なおみのような悲劇を繰り返すことのないよう祈るばかりです。

 

 

 

トピック:“パンデミック後”のアメリカ音楽業界の動きについて(その1)

      ~インディ系はストリーミング時代に生き残れるか~

 

 アメリカは失業率は通常通りに戻り、雇用は記録的に拡大し、株価も史上空前、などとマスコミは報道し続け、コロナからの脱却と再開に成功した、というポジティヴというよりもあまりに楽観視しすぎる思考や判断が多くの人々の間に渦巻いています。

 しかし実際には、特にロジスティック面の問題は引き続き山積みであるため、様々な産業においてビジネスの停滞は続くばかりか悪化しているところも多いということは、きちんと報道されていません。

 仕事に戻れない人々がまだ山ほどいる中で、物価は上がり、パンデミックによる危機を回避するための優遇・特例措置は次々と解除になり、窮地に追い込まれる人々や企業も増え続けています。そのため、特に都市部におけるホームレス人口の拡大は止まらず、ニューヨーク市を含め、犯罪率はパンデミック前とは比較にならないくらい急増しています。

 コロナからの脱却と再開という報道とは裏腹に、変異株ウイルスの拡散は、特にワクチンの接種率が低い州・地域では予想を遙かに超える勢いとなっており、デルタ株の割合は既に90%を超えているとも言われています。

 全国的に見ても感染者・入院者・死者全てが再びジワジワと増え続けており、更には現在南米を中心に流行しているもう一つの変異株であるラムダ株がアメリカ上陸目前とも言われていますので、今後の対応いかんでは、これから秋冬にかけての次の波が危惧されます。

 

 こうした報道と現実とのギャップに苦しむ中、アメリカは8月に入り、第二四半期(4~6月)の業績・決算が次々と発表されています。

 音楽関係では、ソニー・ミュージックの録音物(録音された音楽=レコーデッド・ミュージック)の収益は前年比48.2%の伸びを見せて4億5100万ドル増加し、ストリーミング収益50.2%増加したとのことです。

 またワーナー​・ミュージックは、ストリーミング収益のみで$1億9200万​ドル増加。  

 興業界のトップ企業であるライブ・ネイションでは、ライヴ・イベントの収益が前年比5億ドル以上増加ということでした。

 ライヴ・ネーションに関してはパンデミックによってライヴ・ストリーミングという分野が急速に発展・拡大しましたので、パンデミック発生直後である前年第二四半期との比較というのは様々な事情がありますので単純比較はできません。

 しかし、録音物のストリーミング需要はパンデミックによって落ち込むことはなく伸び続けていますので、パンデミックが更に輪を掛けてストリーミング産業を押し上げていることは間違いありません。

 

 つまり、上記の話だけで言えば、アメリカの音楽産業は落ち込むどころか、一層の伸びを見せており、アメリカの音楽業界は“大盛況”の“黄金時代”を迎えつつあるというわけです。

 こんな話を皆さんは信じられるでしょうか? 少なくとも私も含め、アメリカの音楽業界にいるほとんどの業界人やアーティスト達は信じないでしょう。信じているのは、業界大手企業のエグゼクティヴ達と一部の大物アーティスト達だけであると思われます。

 つまりこれは“優良”企業とそのエグゼクティヴ達、“優良”アーティスト達のみに限った話であり、音楽業界全体の活性化や底上げなどというものではなく、富(利益)は一層偏った状況にあると言えます。

 

 アメリカでは、パンデミックに入ってからのベストセラー本の一つに、スコット・ギャロウェイ(Scott Galloway)という人の「Post Corona:From Crisis to Opportunity」

(「ポスト・コロナ:危機からチャンスへ」)という本がありました。

 この人はNYU(ニューヨーク大学)の名誉教授で、ニューヨーク・タイムズ紙でも寄稿者としてお馴染みで、「The Four: The Hidden DNA of Amazon, Apple, Facebook, and Google」と言う本が大ベストセラーとなり、今後アマゾン、アップル、フェイスブック、グーグルというIT系巨大4企業が考えられないほどの富を独占して様々な産業界が崩壊の危機に直面する危険性について警鐘を鳴らしてきた人です。

 「The Four」に続く「Post Corona」という本では、引き続きIT系巨大4企業先導のもと、市場全体が一層いびつな形へと変容を遂げていく危険性を紹介していました。

 実は私の友人の一人が経営に関わる会社が、その社内年末講演者としてギャロウェイを招待したそうですが(アメリカの企業では、毎年12月に著名な人をスピーカーに招いて講演会を行うところが多くあります)、そこでの話を友人から聞いたのですが、ギャロウェイは「Post Corona」の内容をベースに、コロナ後は、

・今後アメリカにおける貧富の差は益々広がり、そのギャップは10年経っても簡単には埋まらない。

・富裕層向けのビジネスは益々重要になり、売り上げも驚異的に伸びる。

・どんなビジネスでもオンライン販売を抜きにしては成立し得ない。

と言い切っていたそうです。

 

 この内、最初の二つはアメリカという資本主義国家では至極当然のことである訳ですが、それがパンデミックによって益々助長されることは間違い無いというわけです。

 これは気が重く憂鬱な話ですが、決して誇張は無く、実際に世の中はそういった予想通りに進んでいると言わざるを得ません。

 持つものは益々持つようになり、持たざるものは益々持たなく(持てなく)なるという、正に聖書でイエス・キリストが語った言葉のごとく世の中が進んでいるのは、このパンデミックによって益々顕著になっているとも言えます。

 

 よって、市場は益々高所得層をターゲットにすると共に、マーケットが大きく幅広い場合は、シンプル且つ可変要素の少ないプラットフォームを形成して、市場の独占を図り、富の分配・拡散を避けて集中させようとします。

 そうしたプラットフォームは市場(ユーザー)には歓迎されますが、需要と供給の経済的なバランスは崩れがちなので、制作側・供給側には大きな支障となりがちです。

 つまり、市場における簡便性や低料金化というものが、制作・製造側にとっては逆ベクトルとなることが起こり得ます。

 

 例えば、ハード・メディアの不要なストリーミングは、簡易性・モバイル度が非常に高く、極めてグローバルでインタラクティヴなプラットフォームであるため、アーティストもレコード会社も、これまでよりも数倍~数百倍、世界中の視聴者と容易にリンクできるという大きなメリットがあります。

 しかし、そのために抜け落ちてしまったプロセスやビジネスは山ほどあるわけですし、何よりもストリーミングは売上単価が圧倒的に安いため、アーティストに入ってくる金額も単価的には大きく下がることになります。

 確かに需要(ヒット数)は増えますが、それでも余程の数を達成しない限り、レコードやCDといったハード・メディア時代のような利益は見込めません。

 

 つまり、ストリーミングで喜んでいるのはユーザーと、そのプラットフォームを仕切る企業、そしてその恩恵にあやかっているメジャー系のアーティストやレコード会社ということになり(ご存じのように、ストリーミングの料金体系に異議を唱えているメジャー系アーティストも多数います)、マイナー系・インディ系はメジャー系の陰で収益縮小の危機にさらされているわけです。

 よって、ここに“ローカル”という発想が登場してくるわけですが、ストリーミングを中心として既に発信・流通が“グローバル化”している現状において、“ローカル”を開拓または維持するというのは、特にミュージック・ビジネスにおいては中々容易ではありません。

 

 そうした現状の中、大きな注目を集めている企業の一つが、「インディー系のアーティストやレーベルにとって最大且つ最も信頼されている国際的デジタル・ライセンス・パートナー」と自ら呼んでいるMerlinです。

 このMerlinは、2007年にロンドンで設立されたインディーズ・レーベル向けのデジタル権利エージェンシーで、全世界で2万以上のインディー・レーベルと契約し、楽曲の権利保護とセールス拡大に大きく貢献していると言われています。

 

 サービス的には、アップル、グーグル、Spotify、YouTubeといったメジャーでグローバルなストリーミング・サービスに関して、メジャー系と同等のライセンス契約を取り交わすためのサポートを行うわけですが、アウトプットに関しても、各国のローカルなストリーミング・サービスやデジタル・サービスへの配信など、インディー系ならではの対応もしっかりと行っているのが特徴と言われます。

 よって、インディー系ながらそのビジネス規模はメジャー3社(ソニー、ワーナー、ユニヴァーサル)に次ぐとまで言われていますが、やはりインディー系ならではのローカル対応が彼らの特徴であり、強みであるようです。

 具体的には、グローバルという括りのみではカヴァーできない独自性・特殊性を持つアジアと中南米のマーケットにおける需要・消費が急成長を遂げているとのことで、中でも中南米においては、この5年ほどで10倍近い売り上げの伸びを見せているとのことです。

 

 グローバル化による弊害が様々な産業において顕著になってきていることは、疑いようのない事実ですし、音楽業界においても特に90年代以降のグローバル化による欧米一辺倒指向は、欧米以外の音楽の切り捨てや市場軽視にとどまらず、結果的に欧米自体の音楽産業の停滞をも生み出してしまいました。

 また、かつての“ワールド・ミュージック”といったムーヴメントも、欧米による第三諸国の音楽そのものと音楽セールスの搾取という結果を招くことにもなりました。

 そうした反省に立てば、メジャー系からではなく、Merlinのようにインディーズの側からこうした動きが活発になってビジネスが躍進していくことは大変好ましいと言えます。

 しかし、ここでも本当の問題は売り上げの伸びではなく、アーティスト達への還元、つまりアーティスト達の収入がきちんと確保されるかであると言えます。

 

 音楽を生み出す(クリエイトする)のはあくまでもアーティストです。プロデュース、ディレクション、マネージメント、パブリッシング、ディストリビューション、というものは、クリエイター達を基盤に成り立っているものであり、クリエイター達への還元が成されず、クリエイター達を守ることができなければ、その基盤は崩れ、発展することもできません。

 よって、音楽業界というのは、そうしたクリエイター達をサポートしながら、音楽の振興を促し、市場を拡大していくのが大前提であると言えます。

 いわゆるメジャーの頂点にある巨大な音楽産業やIT産業というのは、そうした理解・意識が薄れがちですし、時にはそうした基本コンセプトすら理解していない場合も多々あります。

 そうした中で、Merlinが果たす役割は極めて大きいと言えますし、彼らがメジャーの頂点を目指してセールス面の数字ばかりを追い求め、クリエイター達への還元部分を疎かにしてしまったら、これは本末転倒どころか、結果的には更なる音楽産業の停滞を引き起こすことになると思われます。

 

 パンデミックというかつて無い経験をした音楽業界にとって、新たなテクノロジ-やプラットフォームと共に、新たなビジネス・モデルを生み出していくことは益々重要となっています。

 しかし、数字と技術のみに目を向けることなく、そして新たな独占や搾取を生み出すこと無く、我々のビジネスとっての“資源”となるクリエイター達の才能を発掘し、育て、サポートし、底上げしていくという意識をしっかりと持っていくことを忘れてはならない、と強く感じる今日この頃です。

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