【I Love NY】「月刊紐育音楽通信 November 2021」

※本記事は弊社のニューヨーク支社のSam Kawaより本場の情報をお届けしています

 

 

「表面的にはアメリカは全体的に「再オープン」気分になってきていると言えます。ニューヨーク州でもマスク着用の要求は基本的には取り下げられたので、先月もお話したように、ニューヨークも気分的には“コロナはほぼ収束”という感じになってきています」とお伝えしたのは、今年7月のニュース・レターでした。当時、日本はオリンピック直前で、沸き起こる批判を前にコロナ対策に四苦八苦していたと思います。それを尻目に再開に向かって突き進むアメリカ。。しかし、あれから約4ヶ月。事態・状況はすっかり逆転しているように思えるのは私だけではないと思います。

 私以外の家族は、引き続きまだ誰も感染しておらず無事ですが、私が感染したチャーチではその後新たに3人感染、また、娘のパートナーの両親と祖父母が4人全員感染、更に、私のパートナーのオフィスでも先日また2人感染者が出ており、周囲でも感染が収まる気配は一向にありません。

 幸い死者数・入院者数は以前に比べて格段に減りましたが、それでも感染者数は減るどころか、所によっては増え続けているのが現状ですから、日々のストレスも中々消えません。

 とは言え、ニューヨーク市に限って言えば、ワクチン接種率もマスク着用率も極めて高く、交通も含めた各種公共機関はもちろんのこと、学校やオフィス、店舗などでのワクチン/マスクの義務付け度も高く、うっかり者の自分などは時折マスクを忘れて白い目で見られることもあるくらいです。

 その一方で、南部を中心とする“トランプ州”のみならず、民主党基盤の州でも大都市以外、ニューヨークでも市外では人々がワクチンやマスクを嫌悪するのみならず、罪悪視する向きまであり、場所によってはマスクをしていると睨まれたり、マスク入店お断りの店まであるという有様。

 やはりワクチンとマスクの義務化は、この国全体としてはハードルが高すぎるようです。他人よりも自分、そして何が何でも「自由」を主張する。やはり今のこの国は、完全に「自由」と「権利」と「個人主義」を勘違い・履き違いしていると感じますし、このままでは状況好転も、まだまだ時間が掛かりそうに思えます。

 恐らくアメリカはwith Corona、つまりコロナと共生する道をどこかで見出していかないと、経済は更に落ち込み、対立も深まるばかりにも思えます。 

 そんな国にいると、日本はいろいろと問題はあっても、結果的には上手く進んでいるようにも感じられます。アメリカ(人)には理解できない日本(人)の「集団意識」と、その源流ともなる「和」の精神が、今回のような非常時には功を奏しているのかもしれません。

トピック:パンデミックからの再開後に発生した大フェスでの大惨事

 入院治療中であった9歳の男の子が亡くなり、遂に犠牲者は10人となりました。11月5日にテキサス州ヒューストンの音楽ファスティバル「アストロワールド」で起こった大惨事は正に前代未聞と言えます。

 既に14歳と16歳の子供が犠牲となり、数百人の怪我人が出ているわけですが、衝撃度は更に増しており、フェスの主催アーティストであった、トラヴィス・スコットに対しては、スポンサーであったナイキが、トラヴィスとのコラボ商品の新作発売を延期するという報道もありました。

 

 ですが、事はそんなスポンサーシップの話ではなく、コンサートで10人もの人の命が奪われたということです。しかも、これは警備がずさんであったなどというレベルの話だけでもありません。

 

 もちろん、これまでにもコンサートでの惨事というのは度々ありました。そうした悲しく忌まわしい記憶をここで思い起こすことはしたくありませんが、10人もの人が亡くなり、子供も3人含まれていたというのは、コンサートというもの自体を根本的に考え直さなければならない状況に来ているとも言えます。

 

 のっけから厳しい言い方をしましたが、私自身はコンサートに関しては、自他共に認めるかなりの“ワイルド派”です。メタル好きでもあり、モッシングは大好き。細身で僅か170cmの身長でも、ドデカいアメリカ人に向かって体当たりしていきますし、ダイヴィングやクラウド・サーフィンの快感にも酔いしれる人間なので、そうしたコンサートでは文字通り体を張って楽しんできました。

 

 これまで流血や服が破れる、所持品(靴も)が無くなったことは何度もありましたが、それでもシリアスな怪我というのはありませんでした。

 その理由は、自分を含めて狂気乱舞する観客の“ギリギリの節度”というものがあったからだと思います。

 例えばモッシングでも誰かが倒れると、体のデカい人間が率先して間に入って抱き起こしたり、脇に連れ出したりします。

 ダイヴィングでは必ず受け取る側がしっかりと身構えますし、クラウド・サーフィンも押し上げて運ぶ観客達がリレーのように連動し、必ず着地点までケアします。

 

 そうは言っても、「このまま死ぬかもしれない…」と思ったことも何度かありました。

それは大抵、コンサートでは最も危険とされる、身動きの取れない完全パック状態でのことです。

 例えば、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンの再結成コンサートの時は、モッシングを期待してステージ前の最前線に陣取ったのですが、どんどんと身動きの取れないパック状態となっていき、このままではマズいと思ったのも束の間、コンサート開始と同時に既にモッシングなどをする隙間は無くなってしまい、野外にも関わらずステージ前一帯は酸欠状態となりました。しかも、周りは自分よりも背の高い人間ばかりでしたので、酸素が入ってくる隙間が無くなり、一気に頭が真っ白になっていきました。 

 

 幸い、顔を真上に上げて少しでも酸素を取れるようにしながら、少しずつパック状態の中から抜け出していきましたが、周りでは自分よりも背の低い人間や女性達が酸欠でバタバタと倒れ、セキュリティに連れ出されていきました。

 恐らく今回の場合も、パック状態での酸欠は起こっていたと思われますし、逃げ場の無い状況にも陥っていたのだと思われます。

 

 ですが、こうしたカオスの中での秩序というか、自分が楽しむためにも他人を危険な状態に陥れない。誰かが倒れたら必ず助ける、という精神は、実はアメリカの観客は非常に優れている、と思っていました。

 しかし、トランプ後、コロナ後(まだ終わっていませんが)の世界は大きく変わってきているようにも感じます。

 

 まずは観客サイドの話をしましたが、警備サイドに関しても以前はセキュリティの数や対応は非常に心強いものでした。

 観客の中にはセキュリティに敵対心を持つ者もいたりはしますが、大半の観客は彼らを自分達のセキュリティ、または、いざという時には救い出してくれるボディ・ガードとして、お互いに暗黙の了解を持っていたと思います。

 

 しかし、今回のセキュリティに関してはどうだったのでしょう。実は今回の場合はセキュリティの中にも倒れて怪我をした人間がいます。何でも、カオス&パニック状態を抑えようとしたものの、倒れて病院に運び込まれる結果となったそうですが、これには、コンサート前に何者かがセキュリティに薬物を投与した、またはカオス&パニック状態の中で何者かがセキュリティに薬物注射をした、などという報告も出ているそうで、謎は深まるばかりです。

 

 更に単なるセキュリティの対応だけでなく、プロモーター自体の対応の問題も浮上しています。

 今回のコンサートは、これまで度々本ニュース・レターでも紹介してきましたが、興業界のトップに君臨し、世界最大のライヴ・イベント会社と言えるLive Nationが主要オーガナイザーとして関わっていました。

 このLive Nationはビジネス規模的にも業界最大であると共に、実は安全基準・規定に関する違反や人身事故等による罰金・訴訟の数においてもトップクラスであると言われています。

 実はこの大事故の後、地元ヒューストンの新聞では、このLive Nationはその子会社を含めると、2006年以来(つまり過去15年間で)オーガナイズしてきたイベントにおいて、約200人の死者と少なくとも750人の負傷者を出していると報じました。

 この中には、まだ記憶に新しい2017年5月イギリスのマンチェスターにおけるアリアナ・グランデのコンサートでの自爆テロ事件(死者22人、負傷者数百人)、同年10月ラスヴェガスで開催されたルート91ハーベスト・カントリー・ミュージック・フェスティバルでの銃乱射事件(死者60人、負傷者800人以上)も含まれています。

 

 同社では、こうした観客を巻き込んだ事件以外に従業員の事故も多く、ステージ設営時や機材運搬時・作業時の事故での訴訟・賠償金発生や和解金の発生などが多数報告されています。

 ステージ現場での事故というのは、もちろん従業員個人によるミスもあるわけですが、同社については安全基準・規定に関する違反が数多いことも以前から指摘されてきました。

 

 今回の大惨事に関しては、既に12件の訴訟が起こされたと報じられていますが、訴訟相手はLive Nationのみならず、アーティストのトラビス・スコットやドレイク、そして会場のNRGパークも含まれているとのころです。

 Live Nation側では、「私たちはチーム一同、皆さんと共に喪に服しております。同時に、引き続きメンタル・ヘルス・カウンセリングの提供から医療費の費用支援、健康基金の設立など、フェスティバル参加者・被害者の家族の皆様、そしてスタッフ全員を支援する方法に取り組んでおります」との声明を発表しましたが、犠牲者の悲しみ・怒りは収まることはありませんし、報道・警察の調査・追及も更に強まっています。

 

 実はLive Nationは、去る第三四半期(7~9月)において大方の予想を遙かに超える収益を達成し、ウォール街までも驚かせることにもなったと言われます。

 これは、中断・停滞していたコンサート、フェスティバル、その他様々なライヴ・イベントに対する消費者の需要の高まりによるものだと考えられていますが、その一方で、

このパンデミックによって押しつぶされる結果となった中小のプロモーターや独立したイベンター達を尻目に、莫大な資産を武器に、更なる市場を掌握・制覇し、一層の独占化を図っていった成果であるとも言われています(今回の大事件によって、さすがに株価は下落したようですが)。

 

 さて、最後はアーティストの問題です。こうしたエネルギーが極度に集中するコンサートでは、アーティストが観客を煽ることは普通に見られます。前述のレイジでも、またメタルやパンク、ハードコア系のライヴでは、アーティストによる観客への煽動はよく起こることですし、観客がそれを期待している部分も少なからずあるわけです。

 しかし、煽動によって観客が向かう先、またステージ上からのアクションは常に群衆心理の危険性を孕んでいるという点に関しては、アーティストに責任が発生することも間違いありません。

 よって、もしも事が生じてしまった場合、「ファンのみんなを愛している」とか「自分の祈りは犠牲者と共にある」などというキレイ事だけでは済まされない責任をもっていることも事実です。

 

 今回、問題のアーディスト、トラヴィス・スコットは会場で起きている惨事には気がつかなかった・見えなかったと言っていますが、確かに巨大コンサートにおいては、大がかりな照明やスモークなど様々な効果によって、常にステージから観客席(最前列であっても)を見渡すことは難しいというのも事実です。

 ましてやアーティストが陶酔状態(ドラッグの有無に関わらず)に陥っていれば尚更ですし、そうした“死角”が生じている際に事件は起こったという言い分は成り立つかもしれません。

 

 しかし、ことこのトラヴィス・スコットに関しては、これまでコンサートでの煽動に関する度重なる前科があり、有罪判決まで受けているため、今回も既に様々な疑いや批判が起きていますし、今後の調査結果によっては責任を問われることも充分考えられます。

 

 実は今回のフェスティバルの直前に、ヒューストン警察の署長がスコットを個人的に訪問し、彼のコンサートでの観衆の盛り上がり方についての懸念を伝えたと、これまたヒューストンの地元紙が伝えていますが、この警察署長がスコット自身の煽動ぶりについての懸念や危惧も本人に伝えていたのかは定かではありません。

 

 トラヴィス・ファンにとって、こうした動きには異論・反論もあるところだとは思います。しかし、これまで安全対策用のフェンスを乗り越えるよう、またバルコニーから飛び降りるよう、観客を煽ってきた男が「自分が気付いていれば、ショーを中断して救助を促していた」などと発言していることに対しては、疑いと非難の目を向けている犠牲者の家族、負傷者、セキュリティを含めたコンサート関係者、そしてメディアや警察が多数いるということは厳然たる事実であると言えます。

ライター:Sam Kawa(サム・カワ) 1980年代より自分自身の音楽活動と共に、音楽教則ソフトの企画・制作、音楽アーティストのマネージメント、音楽&映像プロダクションの企画・制作並びにコーディネーション、音楽分野の連載コラムやインタビュー記事の執筆などに携わる。 2008年からはゴスペル教会のチャーチ・ミュージシャン(サックス)/音楽監督も務めると共に、メタル・ベーシストとしても活動中。 最も敬愛する音楽はJ.S.バッハ。ヴィーガンであり動物愛護運動活動家でもある。

 

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